転生トラックの憂鬱

二ノ宮恒一

本編

 ――キィィィィイィィィイ、ガシャンッ!


 今宵も、罪のない人間が交通事故で亡くなり、その人間が別の異世界を救いに行った。

「仕事終わり……はあ」

 トラックを運転していたその人物は、一瞬のうちにその世界から姿を消した。

「よくやりましたね、あなたは良く働いてくれて助かります」

「め、女神様……」

 そこは天界。神々が集う世界の要。神々しいくらいに美しく輝いている女神様が、男の上司だった。

 そんな環境で働く彼だったが――。

「俺、そろそろ仕事辞めたいんですよね」

 辞職を考えていた――!

 慌てる女神様。わたわたとして、足場の雲から落ちそうになる。

「な、な、何故ですか!?」

「いや、何となく」

「何となく!?」

 女神様は体勢を立て直し、頭を抱えた。

「いいですか、あなたは私達神々から特別に仕事を与えられた選ばれし存在なのですよ?」

「それは理解しています。飲まず食わずで死にそうだったところを拾ってくれたことには感謝しています」

「ならば、何故辞めようと?」

 男は少し俯いた。

「だって、人を轢くのって、普通に辛いんですよ。ハンドル越しに人を轢いた感覚が残って」

「そ、それは確かにそうでしょうけど――あっ、いいことを思いつきました」

 女神様は雲を摘み上げて、チョチョイのちょいと形を変え、モニターを作ってしまった。

「このモニターで、先ほど轢いた方の転生先を覗いてみましょう。それで転生者が幸せなら、あなたが苦しむ必要もないですよね?」

「そんなことできるんですか」

「私はできませんよ」

「んなっ」

「ただ、他の女神ならできますから、力を借りたんです……ほら、みてください」

 モニターに映るのは幸せそうな転生者の姿だった。ファンタジー世界に転生して、美少女に囲まれながら、夢のような冒険活劇を繰り広げていた。

「凄く楽しそうでしょう。ポロリもあるそうですよ、見ますか?」

「いいえ、それはいいです」

「あら、紳士なのですね」

「女神様?」

「いえ失礼」

 女神様はモニターを閉じた。

 男は少し疑問に思った。

「もしかして、そのモニターを使ったら、未来が見えたりしますか?」

「まあ、まあ、とても人間らしい考え方を思いつきますね。ええ、できますよ」

「でも、女神様、勝手にそんなことしていいんですか?」

「良いんです。これもあなたのためですから。――では、あなたがこの仕事を辞め、人間社会で暮らした後の生活を見てみましょう」

 再びモニターが開かれる。そこに映るのは間違いなく男の姿。スーツに身を包み、オフィスビルでパソコンのキーボードを打っている。

「普通だ」

「普通ですね」

 そこに上司のような男が現れて、画面に指を指して指摘する。それに対してペコペコと頭を下げる男。

「怒られてる」

「怒られてますね」

 場面は打って変わり、電車でガタンと揺られて帰路に着く男。陰鬱で暗い空気が流れている。

「辛そう」

「辛そうですね……ほら、やはりあなたはこの仕事をしていた方が幸せなんです。しかも、トラックで轢いた方々は転生先で幸せにしているんですよ。あなたはいわば、世界と人間のマッチングアプリみたいな大事な存在なんです」

「もう少し言い方なかったんですか?」

「近代に寄せようかなと」

「変な気遣いですね」

 モニターの男は辛そうだ。毎日同じ生活、同じ仕事を繰り返すのだろう。家に帰っても誰もいない――。

「あれ、家に誰か……」

「あーっと、ここまで、と他の女神に止められてしまいましたー、残念残念」

 女神様は慌ててモニターを隠す。

「……何で見せないんですか?」

「え、何のことです? 私はただ、他の女神に『これ以上の使用は許さない』と言われてしまったから閉じただけですよ?」

 女神をじっと見つめる男。女神は揺るがない。

「ほら、でも結論は出ましたよね。あなたは辛い現実を直視する必要はない。そういう立場になったんです」

「そ、そうですが……でも」

「でも?」

「ラーメン食べたいです」

「ラーメン!? ラーメンですか。またジャンキーなものを欲しがるのですね」

 男は人間と似たような姿でありながら、存在のあり方は人間とは異なる。だからこそ、食事を必要としない。本来は必要がないのだ。

「人間の食欲を侮っていました。そうですね、ラーメン。食べさせてあげたいのは山々ですが、あなたの体では栄養補給などはできないでしょう」

「そうですよね。だから仕事を辞めないと……」

「――でも、味は与えられます。ほーら、口の中いっぱいに醤油ラーメンの味がするでしょう?」

 その時、男の口に、確かに醤油ラーメンが感じられた。とても美味しい、老舗の醤油ラーメンだ。あっさりとしながら満足感の高い鶏ガラ出汁に、コクの強いカエシ、のどこしのよい麺に、ジューシーなチャーシュー。

「……でも、女神様。これじゃないです」

「これじゃない!? そ、そんな、これがラーメンなのでは?」

「そうなんですが、そうじゃなくて……ラーメンを味わっている空間を味わいたいんです」

「な、な、なんですとぉ!?」

 女神様はひっくり返って驚いた。

「実は感情豊かですよね、女神様」

「それは感情も出てきますよ……何ですか、空間を味わうって」

「女神様。人間は、結果が欲しい時と、結果に至る過程が欲しい時があります」

「え、な、何故!?」

「それが人間です。女神様」

 女神様は顎に手を当てて考える。

「結果が手に入れば良いのではないですか?」

「違います。俺は、ラーメンを噛み締めているあの瞬間を味わいたいんです。ラーメンの味を感じれば終わり、ではないんです」

「そ、そんな……」

 がくりと倒れる女神様。その後、自ら進んで起き上がり、少しモニターを見ていた。

「ま、まさか、これが――いや、ない、ないです。ありえない」

「女神様はきっと知らないんです。あの、美味しそうな匂いを漂わせた空間で、今か今かと待ち侘びる気持ちが」

「ぐっ……それは」

「どんぶりが自分の元へ届いた瞬間の高揚感。そして、箸の先をスープにくぐらせて麺を持ち上げるあの一瞬」

「な、何と言われようとも……」

「口いっぱいに麺を頬張るひと時は、まさに匂いの答え合わせ。美味しさがじわりと頬をつたい、頭を刺激するんです」

「ご、ごくり」

「全身がぴくりと鼓動して、そこに居る意味を理解する。そして、その過程を何度も味わいたくなる。また一口、また一口と、麺を啜るたびに、味――そして、生きる意味の答え合わせをするんです」

「そ、そこまでなんですか!?」

「……女神様」

「はい」

「『過程』、味わってみたくないですか?」

「そ、そんな、わ、私が欲望に従うなど、そんなことあってはならない……ことなのに!」


 *


 オフィスビルの六階。誰もが羨む有名商社で俺は働いている。今日も目の前のパソコンが友達だ。毎日同じ作業のようにも感じる書類整理と作成を繰り返していく。

 こんなことがしたかったのかと自問するけれど、これ以外にすることもないうえに、給料は安定している。

「ちょっとキミィ。ここ、また間違えてるよ」

「うわ、本当だ。申し訳ありません」

 俺はぺこりと頭を下げる。

「別に良いけどさ。よく働いてくれているのは分かるから。ただ、働きすぎなんじゃないの? 君、有休消化してないでしょ」

「そ、それは、あはは……」

「しなくちゃダメよ、有休消化」

「は、はーい。この仕事が終わったら……」

「あー、典型的な休まないタイプの子だね。無理すると生産性落ちるんだから。ほら、その仕事、私にも少し貸しなさい――って、何でこんなに仕事あるのかねキミィ」

 上司は疑いの目で俺を見てくる。

「仕方ないんです。他の人が任せてくれるので」

「こんな量、誰でも消化しきれないよ。ちょっと一回全部貸しなさい。他のメンバーと分担するから。というか、こうなる前に言いなさいよね、全く」

「あはは……すみません」

 そんなこんなで、仕事を分担したことで負担が少なくなり、明日から二日間は有給を消化することになった俺なのであった。

 電車で揺られる。足場が覚束ない場所で、吊り革に捕まりながら途方に暮れた。

(久しぶりの休日、どうするか)

 残業もなし、定時で帰ることすら久しぶりだ。どうしたものか迷ってしまう。やりたいことも全然ないからだ。

 ぼーっと考えていたら、あっという間に家の玄関についた。俺は玄関の扉を開いた。

「ただいまー」

「お帰りなさい。遅かったですね」

「いや、いつもより遅くないですよね?」

「え、これが人間社会の基本挨拶なのでは!?」

 俺の家には、愉快な元女神様がいる。

「さて、今日もラーメンですよ!」

「……ラーメン多すぎじゃない?」


 ――俺は、楽しく過ごしています。

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