亡霊の昔話

 私は元々、首都の東側にある町の出身でした。

 家族構成は母と兄。

 母の名はリイナ、兄の名はレイフ。

 兄のことは語るまでもないでしょう、あなたがよく知っているはずの人ですので。

 父親はいませんでした、生きていることとその名前は知っていたのですが、母は父に私達のことを隠していたので。

 ……詳しい話を聞く前に母が死んだので不明瞭なことが多いのですが、母は良くない家系の出身だったそうです。

 だから父に恋して、父に愛された後に姿を眩ませたらしいのです。

 随分と後になって父から聞いた話によると、母は父が彼女にプロポーズする寸前に姿を消したそうです、彼は随分と母のことを探していたらしいのですが、結局最期まで見つけ出すことは叶わなかった。

 母が父から逃げたのは自分に流れる卑しい血が原因だったと話していました、自分のせいで彼の人生に暗い影が落ちることを彼女は許せなかったのです。

 彼女が私達双子を何故産んだのか、もしも彼女がまだ生きていたら私はその質問をどこかでしていたでしょう。

 ……なんと答えるのかは、少しだけ想像がつきますが。

 きっと母は父の血をひく子供を殺せなかったのでしょう、たとえそれが卑しい自分の血をひく子供であったとしても。

 私達双子は、結構普通に育ちました。

 父親がいなくても生活はそれほど苦しくなかった、母がどんな仕事をして私達双子を養っていたのかは、今も謎のままですが。

 ……母はことあるごとにこう言っていました、あなた達を生んだのは私の自分勝手、だからこそ絶対にあなた達を幸せにする、と。

 私達双子はそれを素直に信じていました、父親がいなくても人並みに幸せで、大きな問題が起こることもなく。

 父親の名を知ったのがいつの頃だったか私は思い出せません。

 ……私達の父の名はロイス、こちらもあなたがよく知るはずの人物です。

 私達が幼い時には次期騎士団長になると噂されていて、今現在その噂通りに騎士団長をやってる人です。

 ……その時は、それが本当なのか嘘なのかはあまり気にしていませんでした、家にいない人のこととか、どうでもよかったので。

 母曰く兄は父に、私は母に似ていたそうです。

 兄は幼い頃から身体を動かすのが好きなアウトドア派でしたけど、私は家に引きこもって本を読むのが好きなインドア派でした。

 私達の家には母が集めたたくさんの書物がありました、私が特に好きだったのは極東の旅行記……というか写真集で、その旅行記を読んで大人になったらいつか旅に出てみたい、と夢見ていました。

 ……結構普通に、私達双子は育ちました。

 けれど、そんな生活が続いたのは私達双子が四歳になる直前まで。

 もうすぐ四歳の誕生日を迎える、そんな頃にあの大災害が発生しました。

 私達が住んでいた町は滅茶苦茶になりました。

 私達の家は全壊しました。

 その時ちょうど外に遊びに行っていた兄がどうなったのかはわかりませんでした。

 その時ちょうど家にいた私は、母に庇われ生き残りました。

 私を庇った母は、死にました。

 私は母の遺体を置いて逃げ出しました、本当は母を連れて行くべきだったのだと思います、けれども子供の腕力では無理でした。

 ……そういえば、いつか話したことがありましたね、遺体を遺棄した話。

 その場に残ったところで子供の死体がもう一つ増えただけだったのでしょう、それでもずっと後悔していますよ。

 その場から逃げてはみたものの、あちこち遺体まみれで、生きていても虫の息の人ばかりで、建物はぐちゃぐちゃで。

 ……あんまり覚えてないんですよね、この時のこと。

 兄もきっと死んだんだろうな、って思った覚えはあります、壊れた町や人々の遺体が怖かったことも。

 けれども、漠然とした恐怖しかもう思い出せないんです、どこをどう歩いたのかとか、どんなものを見たのかだとか。

 何日だったのか、それとも何時間だったのか。

 歩き続けてどのくらい経ったのかはわかりません、疲れ果てた私は瓦礫の上に座り込んでしまいました。

 そこから先もまた記憶がなくて、気がついたら私は保護されて避難所で手当を受けていました。

 怪我はしてなかったのですが、栄養失調と水分不足で倒れていたようです。

 食料と水をもらって、とりあえず簡単に衰弱死しない程度に体力は回復しました。

 それでもどうすればいいのかわかりませんでした。

 ぼんやりと母の遺体をどうにかしなければ、兄を探して、一人では無理でも二人ならあの人の遺体をどうにかできると思いました。

 避難所に兄はいませんでした、もしも生きていてここにいないのなら、家に向かったかもしれません。

 兄と二人なら遺体を運べる、とだけ思いました、どこに運ぶのかそこまでは思考が追いついていませんでした。

 だから私は避難所から出て行こうとしました、兄を探しに行かなければと思ったのです。

 ……けど結局、出て行くところを見られて炊き出しにきていたお婆様に止められました。

 今は駄目だと彼女は言いました、今はまだ危険だからと。

 それでもと言って出て行こうとした私にそのお婆様は眠りの魔法をかけて強制的に眠らせました。

 私が目覚めたのはその翌朝。

 災害の気配はすっかりと消えていました、もう外に出ても大丈夫らしいので、私はひとまず兄を探しつつ母の遺体を移動させるために家があった場所に向かうことにしたのです。

 昨日無理矢理眠らせたから、という理由で炊き出しのお婆様もついてきてくれることになりました、兄が見つからなくてもあんたのお母さんを一緒に運んでやると、そう言ってくれたんです。

 外に出た私は絶句しました。

 避難所となっていた場所は私が知っている場所でした、何か災害が起こって家に戻れなくなったらここに来るように、と母が教えてくれていたので。

 家からそこまで、そこから家までの道筋は把握していたはずでした、ほぼまっすぐ進んで一回だけ特徴のある屋根のお菓子屋さんの角を曲がるだけの簡単な道だったので。

 けれど、外はあちこち瓦礫まみれで建物はぐちゃぐちゃで、どこに何があるのやら。

 避難所は元々強力な魔法で守られた場所だから無事だったという感じでしたが、他の建物はそうはいかずになぎ倒されていました。

 それでもどうにかして私は私達の家があった場所に辿り着きました。

 ……更地になってました、何もなくなっていました、お母様の遺体は消し飛んでいました。

 夜のうちにもう何度か災害が起こって、私達の家はちょうどそれに巻き込まれてしまったらしいのです。

 斜向かいのお家は崩れて瓦礫になっていましたがその痕跡は残っていました、けれど私達の家があった場所を含めた狭くない範囲にあった、ほとんどのものが消し飛んでいました。

 私のせいです。

 私のせいでお母様の遺体は消えてしまった、あんなものに巻き込まれてしまった。

 私はその場所で立ち尽くしました。

 母はきっと永遠に見つからない、兄もどこに行ったかわかりません。

 けど、避難所にはいなくて、外にいた兄が真っ先に向かうであろう家は消し飛んでいて。

 だからきっと、兄も母と同じように消えてしまったのだろうと当時の私は思いました。

 ……その後、身寄りがなくなってしまった私は、色々あって炊き出しのお婆様に引き取られることになりました。

 お婆様は宿屋をやっていました、息子夫婦を事故で亡くしていましたが、その息子夫婦の一人娘、お婆様にとっての孫と一緒に暮らしていました。

 その孫の名はクラリス、のちに世界一の歌姫となる、私と同い年の女の子。

 私はお婆様に引き取られた後、宿屋の手伝いをしながら面倒を見てもらいました。

 お部屋のベッドメイクとかお掃除とか、食事の仕込みやその他雑用を。

 ……愛想が悪い可愛げのない子供で、途中でグレたにもかかわらず、あの二人は最後まで私を見捨てることはありませんでした。

 結構、恩知らずなことをした自覚はあります、わかってるんです、そんなことは。

 お婆様の孫、クラリス様は私とは正反対の、明るくて優しくて、とても愛らしい女の子でした。

 明確な欠点なんて人に騙されやすいところと料理ができないことくらいでしょう。

 料理の腕前については我が兄と同じくらい、と言ったらあなたにもその酷さがわかっていただけるでしょうか。

 ……正直、孫の料理の腕前がああだからお婆様は私を引き取ったのでは、と思わしき言動をしていた覚えもあります。

 きっと、クラリス様になんの才能もなければ私達は極々普通にあの宿屋で育って、何か仲違いするようなことが起こってもどうにか和解して、二人であの宿屋を継いでいたのかもしれません。

 接客その他は愛想の良いクラリス様が、料理含む裏方全般を私が、多分そこまで悪いことにはならなかったと思っています。

 けど、そうはなりませんでした。

 クラリス様には歌の才能がありました。

 世界一の歌姫、一万年に一人現れるかどうかと言うような、才能が。

 初めて彼女の歌を聴いた時、私は圧倒されました。

 そして、不相応にもこう思ってしまったのです。

 自分もあんな歌を、いや、あれを超える歌を歌いたい、と。

 できないことはわかっていました、それでも私は彼女を超えたかった、そう思ってしまったのです。

 そう思った時点で、私の人生は狂ったのでしょう。

 私は一人で、がむしゃらに歌の練習し始めました。

 けれどもどれだけ練習を重ねても、彼女の歌声を超えることはできません。

 宿の仕事の合間合間に練習して、納得できる歌なんて一度も歌えなくて、それでもいつか必ずと。

 私達が十三歳になった年、どこかで噂を聞きつけたとある劇場の支配人が彼女を歌姫に、と現れました。

 彼女は迷っていましたが、最終的に歌姫になりました。

 アイリスという芸名で活動を始めた彼女は瞬く間に大ヒット。

 私は彼女の才能を世界は今更気付いたのだな、と思っていました。

 クラリス様がいなくても宿屋は特に問題なく回っていました、可愛らしくて愛想の良い看板娘の不在を悲しむ宿泊客の方は大勢いましたけど、それでも大きな問題は起こりませんでした。

 仕事の合間に私は性懲りもなく練習を重ねていました、彼女が世間に認められようが認められまいが、彼女の歌声を超えるという私の目標は変わらなかったので。

 ……声真似ができるようになったのも確かこの辺りだったような気がします、昔読んだ怪盗小説に出てくる主人公の真似してちょっと練習してみたら、なんかあっさりできるようになったんです。

 とはいえ、声真似ができたところでだから何、という話ではありましたけど。

 …………やってみたことはありますよ、けど、歌姫アイリスの声の再現は難しいのです。

 それで歌ってみても、なんというかまあ、酷いのです。

 所詮はただの声真似ですからね。

 ……他の人はそんなに。歌姫アイリスの次に難しいのが神竜様で、その次くらいからはどんぐりの背比べって感じです。

 ええ、この声です。さっき使った私が知ってる一番迫力ある声の方。

 旅の途中で色々あって顔見知りなんです、声を使う許可はもらっているのでご安心を。

 えーっと、それで……彼女が歌姫になってから半年くらい経った頃、彼女を歌姫にした劇場の支配人が私も歌姫に、と声をかけてきました。

 なる気はありませんでした、興味なかったですし、宿屋の仕事もあったので。

 私はただ、彼女の歌声を超えたかっただけなのです。

 本当にただそれだけでした。

 誰にどう思われようとどうでも良いのです、ただ、私自身が彼女を超えたとそう思える歌が歌えればそれだけでよかったのです。

 誰かに認められる必要なんてなかった。

 というか、たとえ誰かが、多くの人があのアイリスよりも私の歌の方がいいと、世界一だと言われたところで私は納得しなかったです。

 だから断りました、歌姫になる意味はないから、と。

 けれども支配人はしぶとく私を勧誘しました。

 最終的に、人前で歌えば歌う技術や技能が高まるかもしれないから、と丸め込まれて私は歌姫になることにしました。

 その選択は、私の人生で一、二を争う間違えでした。

 大失敗でしたよ、私は歌姫になんてなるべきではなかった。

 当時の私は歌姫アイリスを超える以外のことを考えてなかったですし、それを達成するためにする必要のないことは極力何もしたくなかったのです。

 人前で歌いたいとか、自分の歌で人に娯楽を与えたい、とかも一切考えていませんでした。

 私はただ、自分の歌の技術を高めたかっただけ、あの歌姫を超える歌を歌えるようになりたかっただけ。

 それなら一人で勝手に歌ってれば良かったんですよ、人前で歌う必要なんてなかったんです。

 けれどもそれに気付いたのは結構後の話で、その時の馬鹿な私は私はモリオンという芸名の歌姫になりました。

 ご存知、なさそうですね。

 まあそうでしょう、私は歌姫としては下の下でしたし、悪評しかなかったので。

 さっきも少しだけ話しましたが、私は基本的に世界一の歌姫アイリスの前座をやっていました、なのであの歌姫のファンなら私のこともついでに知っているという程度でした。

 マリア様は歌姫アイリスの舞台を見た時についでのモリオンのことを知ったのではないかと、それで何故王女様があんなどうしようもない歌姫のファンになったのか、その理由は謎ですが……

 歌姫モリオンはあのアイリスの幼馴染にしてライバル、みたいなキャラ付けが一応されていました。

 最初の方は多分期待されていたのだと思います、なんていったってあの世界一のアイリスのライバルなのですから。

 けれど、それはすぐに失望に変わったのでしょう。

 私の歌は大したことなかったので。

 歌姫アイリスは一万年に一人の歌姫だと言われていました。

 それに対して私は千年に一人、歌姫アイリスさえいなければ世界一に手が届いたかもしれない歌姫、と言われていたようです。

 一万年に千年が勝てるわけないのです、越えられるわけないのです。

 それは誰が見ても明らかなことでした。

 けれども私はそれをどうしてもひっくり返したかった、彼女の歌を超えたかったのです。

 千年に一人が一万人に一人に勝つためには、地道に技術を磨く以外の方法はありません。

 だから、誰になんと言われようと、私はただ研鑽を重ねました。

 重ねようとしましたが、そううまくいきませんでした。

 私は歌姫になりました、歌姫という職業についてしまったのです。

 歌姫の仕事なんて、舞台で歌う、舞台でより良い歌を響かせるためにひたすら練習する以外に何もないと思っていたのですが、現実はそうではありませんでした。

 取材とか、お偉いさんの接待とか、その他諸々。

 私はあのアイリスのライバルというキャラ付けがされていたので、そういうゴシップネタが好きそうな出版関係の人から取材させられたり、アイリスと対談させられたり。

 あと金持ちというか劇場のスポンサーの屋敷に赴いて話をさせられたり。

 あー、それはないです大丈夫です、というかスポンサーは御婦人だったので。

 だから大丈夫ですって、お食事会とその後に余興でちょっと歌わされただけなので。

 ……と、まあ私にとっては余計な仕事をさせられるようになりました。

 歌姫アイリスも似たようなことをさせられていましたが、彼女は愛想の良いお人好しだったので、そういうのも笑顔でやってましたね。

 ……一人で歌っているより歌が上手くなるかもしれないから、そう誘われて私は歌姫になったというのに、全然そんなことありませんでした。

 というか余計な仕事をさせられるくらいだったら一人で好き勝手に歌っていた方がまだ上達しただろうとすら思いました。

 日に日に不満は積もって、どうにか捻出した時間で練習を重ねても彼女を超えることなんてできなくて、そしてとうとうある日、私の中で何かがぷっつんと切れました。

 余計なことはしたくない、と思いました。

 歌以外の余計なことをこれ以上押し付けられたら、元からないに等しい彼女を超える可能性が低くなっていくばかりだと。

 だから歌以外の仕事はしたくないと言いました、お金にがめつい支配人はそれを突っぱねました。

 そして、お願いしても余計な仕事がどんどん追加されていきました。

 なので、仕方ないのでグレました。

 普通に言ってもダメなら、強行手段を取るしかありません。

 昔読んだ小説や宿屋にきたお行儀の悪いお客様を参考に、敬語をやめて口調を強めて、高圧的に、横暴に、我儘に。

 典型的な我儘娘っぽい感じ、といえばわかりやすいでしょうか?

 グレた私を見た支配人は顔を真っ青にしました、歌姫アイリスは泣きました。

 それでも私はその横暴な態度を改めませんでした、ここでやめたら一生いいなりにされると思ったので。

 効果は覿面でした、口調をちょっと変えただけだったのに。

 私は元々おとなしめな性格でした。だからでしょうか? 多分それも相まって面白いほどこっちの主張が通るようになりました。

 おかげで歌以外の仕事はほぼなくなりましたよ。

 どんな感じだったのか、ですか。

 ……は? なんで私があんたの言うことを聞かなきゃならないわけ?

 こんな感じでしたね。これでもダメな時は駄々こねたり大声で怒鳴ったり、結構酷い言動を……

 そんな顔しないでくださいよ。

 ……と、まあこういう経緯で私はグレました。

 当時世間では歌姫アイリスにいつまで経っても追いつけないから、それが原因で心が壊れたんじゃないかとか別人と入れ替わったんじゃないかとか悪霊に取り憑かれたんじゃないかとか言われてたらしいですけど……けど、最終的にそういうお年頃なんだろう、って意見でまとまったっぽいです。

 歌姫アイリスのライバルがグレた話は、世間では笑い話になっていたようです。

 ライバルキャラのくせに歌姫アイリスの足元にも及ばない私が盛大にグレたので、面白かったんだと思います。

 失笑、嘲笑、落ちぶれていくものを見るときに笑う人というのは世界のどこにでもいるのですから。

 どうでもよかったですけどね、世間とかそういうの。

 練習する時間さえ確保できればそれでよかったので。

 今思うと、そのまま歌姫なんて辞めてりゃよかったのかもしれません。

 けど、当時はあんまりそうは思っていませんでした、支配人の人前で歌えば……という言葉を嘘だと断じられる段階ではなかったので。

 可愛くて愛想の良い世界一の歌姫アイリスの、横暴で我儘な幼馴染の歌姫、そういう図式が完成したのは私達が十四歳になった頃。

 そして、そういう私を嫌う人が、明確に敵意を向けてくる人が出始めたのもその頃の話。

 私宛のファンレターにカミソリが入ってたり、路地裏に引き摺り込まれて袋叩きにされそうになったり、そういう面倒なことが頻発するようになりました。

 ファンレターは初めから受け取っていませんでしたし、送られても「読まない」と公言していたのでそちらはどうでもよかったのですが、路地裏に引き摺り込まれるのは面倒でした。

 基本幻術でコテンパンにしてたので怪我させられたりとかはなかったんですけど、そんなことに時間掛けたくなかったです。

 幻術は母が生きていた頃に「女の子だから」と少しだけ、その後は基本独学で。

 宿屋に引き取られた後、買い出しに行っている時にたまにガラの悪い方に絡まれることがあったので、そういう時に無事逃げ切るためにとそこそこ頑張って練習してたんです。

 それがなかったらそのうち死体で発見されてたかもしれないです。

 ……大丈夫ですよ、一人でどうしようもなかったのは一回だけですし、その一回だってとても素敵な人に助けてもらったので無事で済みましたから。

 無事で済んでいたとはいえ、いつ誰かに襲われるかもしれないと思いながら道を歩くのは気疲れしましたし、襲われたら余計なことに時間をかけることになったので、すごく嫌でした。

 どうしようかと思って、最終的に舞台の私とそれ以外の時の私が別人レベルに違えば、少なくともその辺を歩いているときに襲われることはないだろう、と思いつきまして。

 それで、舞台に上がる時だけすごいケバケバな化粧をするようになりました。

 最初はあんまり効果なかったんですけど、だんだん私の素顔は忘れられていったらしく、数ヶ月経った頃には誰からも襲われなくなりました。

 ……結構酷かったですよ、化け物みたいな感じでした。

 衣装係の人がちょっと変わった人でして、私のケバケバ化粧を見て「サイコーだ」って化粧に合わせたド派手な衣装を用意し始めて……

 かなり趣味の悪い格好をしていましたね、当時の私。

 世間一般で語られる、というか語られていたであろう悪名高き歌姫モリオンの人物像がすっかり完成したのがこの辺りの話です。

 我儘で、自己中で、ケバケバ衣装にド派手な衣装の悪役的存在。

 世界一の歌姫には到底及ばない、惨めなライバルキャラ。

 嘲笑の的だったのでしょうね、当時の私は。

 けど、私は練習の時間さえ取れればそれでよかったので、自分がどんな格好してようが世間からどう思われようがどうでもよかったです。

 悪魔のようだ、と言われた事もありました。

 悪魔、人間以外の何かになれば、あの天使じみた歌姫を越えられるのであれば、そういう存在になってもいいと思っていました。

 歌以外の仕事を全て拒否して、襲われないように見た目を変えて、捻出した時間でひたすら練習しても、それでも私は彼女の歌に届かなかった。

 だから、次に睡眠時間を削りました。

 部屋で歌うと近所迷惑になるので深夜に誰もいない劇場に忍び込んで、そこで歌の練習をするようになったんです。

 ある日、劇場に肝試しに来たチンピラが現れたので、幻術と声真似で驚かしました。

 二度と馬鹿な真似をしないように、一晩中追い回してやったんです。

 声を使う練習、幻術を使う練習になるし、相手は自分と同じ不法侵入者、ちょっとくらい酷い目に合わせたところで罪悪感は湧きませんでした。

 その後、チンピラから話を聞いた若者が、若者から噂を聞いた人々が、深夜の劇場に忍び込むようになりました。

 全部追い払ってやりましたとも。

 姿は現さずに声だけをかけるのです。

 様々な声色で、大勢の何かがいるように見せかけて。

 それと同時に恐怖心を煽るだけの、声がより恐ろしく悍ましく聞こえるだけの幻術をかけてやるのです。

 それだけで劇場に忍び込んできた連中は怯えて逃げていきました。

 魔術に心得があって幻術が効きにくい方もやってきましたが、そういう人は逆に声真似だけで簡単に動揺しました、そして動揺させさえすれば幻術が効くようになりました。

 面白くなかったと言ったら嘘になります。

 あの程度のことで自分よりも余程強いであろう人達が悲鳴を上げて逃げていく様子は滑稽でしたから。

 ……性格悪いですよね、自分でもそう思います。

 ある日、次の舞台で少し難しい歌を歌うからその練習のために、と歌姫アイリスが深夜に劇場に忍び込んできました。

 私は彼女を徹底的に脅しました。

 当時あの劇場には噂を聞きつけ、正体不明の『声』の主を暴こうとガラの悪い連中が度々忍び込むようになっていました。

 そんな噂を知らなかった頭の悪い幼い歌姫と、噂話の正体を暴こうとするガラの悪い連中がもしも遭遇してしまったら。

 それでもしも、彼女の身に何かあったら。

 そんな可能性は徹底的に潰す必要がありました。

 彼女は私が超えるべき壁でした、馬鹿みたいな理由で倒れられでもしたら困ります。

 なので、二度と真夜中に劇場に一人で忍び込もうだなんていう気が絶対に起こらないように、やり過ぎなくらい脅かしました。

 歌姫アイリスは最終的に号泣しながら劇場を飛び出していきました、その先で何かあったら困るので一応こっそり跡を追いましたが、幸い何事もなく。

 歌姫アイリスは泣きながら周囲の大人達に「夜中の劇場で何か恐ろしいものに遭遇した」と訴えました。

 話を聞いた大人達は彼女の話を信じ、歌姫を怯えさせた『声』の正体を暴こうとしました。

 魔法使いや悪魔祓いなんかも雇ってその『声』の主を捕らえようとしていました。

 けど、誰も『声』の正体に辿り着きませんでした。

 正体不明の『声』はそのうちアムドゥシアスの亡霊という謎の怪現象として恐れられるようになりました。

 最後までその亡霊の正体が、ただの子供の悪戯、ただの愉快犯だったと気付く人はいませんでした。

 あー、アムドゥシアスは劇場の名前です、アムドゥシアス劇場ってそこそこ有名な方だと思っていたのですが、ご存知ないですか。

 亡霊が出るって当時ちょっとした騒ぎになっていた気もしますが、まあ怪我人とかはいなかったですしね。

 結局、歌姫を辞めるまで続けていましたよ、おかげで幻術の腕が上がりました。

 私はいくつか名前を持っていますが、今の名前の次くらいに自分の名前だという自認が強いのが、この亡霊の名だったりします。

 その次が本名と歌姫が同じくらいの割合、という感じですね。


 アグレッシブなところはあれど、基本的におとなしくて良い子ちゃんだと思っていた愛しい女の昔話に思わず絶句した。

 自分の中の妖精も彼女の話を聞いてドン引きしている。

 以前妖精が彼女にこう聞いたことがあった、「因果応報、因果応報ばかり言うけど、アンタ一体どんな悪事を働いてきたわけ?」と。

 彼女はその質問にこう答えた。

 前職で周囲の人に我儘ばかり言って困らせまくっていた。

 これは軽い方で他にすぐに思いつくのは、不法侵入と迷惑行為、建造物損害への関与、誘拐、傷害、それと遺体遺棄であると。

 当時妖精と自分はそれを疑って、信じなかった。

 弱っちいくせに幼い子供達を魔物から庇うようなお人好しが、そんなことするわけないと。

 その後少しだけ話を聞いて、主犯ではなかったらしい器物損壊と誘拐はどうやら真実らしいと。

 遺体遺棄は何やら仕方がなさそうな感じだったし、傷害は旅の最中に襲われた時に過剰防衛をしたという話だったので、それも納得していた。

 ただ、当時愉快犯だったと語っていた不法侵入と迷惑行為に関しては、自分も妖精も疑っていた。

 妖精がそんな話信じられないと疑いの目を向けた際に彼女はこう言った。

 私としては私が愉快犯やってたことが信じられないのが不思議なんですけどね。

 重ねて言いますけど、私はまあまあタチの悪い悪人ですよ。最近は悪事を働くような機会が偶然ないのでそこまで悪人にみえないかもですけど、と。

 その言葉を自分も妖精も信じていなかった。

 今も正直信じがたい。

 けど、今までの彼女の話に嘘が含まれているとは思えなかった、嘘を吐いている顔ではなかった。

「…………前、タチ悪い悪戯を繰り返してたって話、本当に、本当だったのか」

 そう問うと、小さく首を傾げられた。

 うっかりそれを可愛いと思ってしまって、妖精に今そんなことを思っている場合じゃないでしょうとツッコミを入れられた。

 その妖精だって今の彼女の仕草を可愛いと思っているくせに。

 首を傾げた愛しい女が口を開く。

「本当ですよ。嘘だと思ってたんですか?」

「信じてはいなかった。……なんというかお前……本当に、好き勝手やってたんだな」

「ええ」

「…………お前の話をした時に……お前のことおとなしくて良い子ちゃんって言った時にレイフがすごい微妙な顔してたんだが、その理由がやっとわかった。お前、わかってたつもりだったんだが結構……本当に好き勝手やってたんだな?」

「好き勝手しかしてませんでしたね……身寄りのないところを引き取って面倒を見てもらっていた分際で」

 そう言って彼女は小さく溜息を吐いた、その顔には反省の色が見えた。

 しょんぼりしてる。

「……けど、当時の私にはあれ以外に妙案というものが思い浮かばなくて。あの頃はそこまでとは思っていなかったんですけど、結構追い詰められていたのかもしれませんね」

 小さな声でそう呟いてから、彼女は再び話し始めた。


 表向きは悪名高き歌姫、裏では深夜の劇場を騒がす謎の怪奇現象を引き起こす愉快犯。

 そんな小悪党が当時の私でした。

 人に迷惑をかけ続け、悪事ばかり働く自分はいずれその報いを受けることになるのだろうとも思っていました。

 それでも、たとえこの先何が起ころうとも、自分の行いのせいで今後どれだけ悲惨な目に遭おうとも、それでも私は彼女の歌を超えたかった、そのためになら何をしてもいいと思っていました。

 結局、そんなふうに好き勝手にやったところで、私は彼女の足元にも及ばなかったのですけどね。

 私とは反対に歌姫アイリスは順調に順当に、栄光の道を爆走する勢いで駆け抜けていきました。

 大きな事件や何かが変わるきっかけも特になく、私の夢が叶う事もなく。

 あっという間に私は十六歳になりました。

 そんな私の元に一人の客人が現れました。

 兄です。

 死んだと思っていた兄が、悪名高き歌姫モリオンの噂を聞き、遠目にその顔を見て「まさか」と訪れてきたのです。

 この兄妹の再会は私が悪名高き歌姫にならなければ、きっと起こることはなかったでしょう。

 私が歌姫になった後、唯一起こった『良い事』はそれだけでした。

 驚きましたよ、生きているだなんて思っていなかったので。

 それは向こうも同じだったようです。

 というか向こうの方が驚いていました、死んだと思っていた妹が生きていたうえに我儘で横暴な問題児になっていたので。

 兄は騎士になっていました、例の大会で十二歳という幼さで勝ち抜いて。

 ……知らなかったのですよね、私、興味ある事以外にはとことん無知だったので。

 本当に知らなかったのですよね、誰もが知っている話だったというのに。

 あなたの名を知ったのはその時でした、兄と相打ちになった、兄と同い年の兜の少年騎士のことをその時になってはじめて。

 ……兄はもし妹や母が生きていたら、という考えもあってその大会に出たそうです。

 勝ち抜いて騎士になっても一向に私や母が現れなかったので、あの大災害で死んだのだろうと思っていたそうです。

 兄が生きていたことは、純粋に嬉しかったですね。

 再会した直後、お母様のことを謝りました。

 私のせいでお母様が死んでしまったことと、お母様の遺体がなくなってしまったこと。

 お兄様は仕方がなかった、と言ってくれました。

 それでも、悲しそうな顔をされてしまいました。

 その再会の数日後、兄は一人の男性を引き連れ再び私に会いにきました。

 その男性は、私達の父親でした。

 兄は自分の素性、どうやら自分が彼の息子であるらしいことを隠していたらしいのですが、顔と戦い方がそっくりすぎてあっさりバレたそうです。

 親子の再会は結構ぎこちない感じでした、そりゃそうでしょう、十六年会ったことなかったのですから。

 そういうわけで私は兄と再会して、はじめて自分の父親と話をして。

 それでも心を入れ替えたり改心したりはしませんでした。

 私はただひたすら、彼女の歌を超えるためだけに生きていました。

 そのために余計だと判断したことは全て切り捨てて、邪魔者はみんな追い払って、我儘に横暴に。

 当時の私はがむしゃらに突っ走りつつ完全に迷走している状態でした。

 何をしたってあの歌姫アイリスを超えることなんてできない、というのは最初からわかっていたんです。

 けど、当時の私はそれでも彼女を超えたかった。誰が何を言おうとどうでもいい、一瞬でもいい。自分が納得できる形であの至高の歌姫を越えたかったのです。

 けれどもそんなことを続けていれば、いつかは限界が訪れます。

 心はとっくに荒んでいました、いつまで経っても彼女を超えられない自分に失望して、それでも今更立ち止まることなんてできなくて。

 十七歳になる直前、私は久しぶりに街中で人に襲われました。

 当時私の歌姫の私から私の素顔を見破れる人なんてほとんどいなくなっていたのですが、その男は私を歌姫モリオンだと識別した上で、私を路地裏に引き摺り込みました。

 幻術を使って逃げ切りましたが、その時になって疲れた、と思ったんです。

 いくら練習しても彼女を超えられなくて、心だけでなく身体にもガタがではじめていました。

 もう限界が近かったのでしょう。

 休まなくてはと思いました、こんなところで倒れでもしたら、この先一生彼女を超えることはできなくなる、と。

 だから、強制的に休むために私は船旅に出ました。

 地元に残って休む事もできたでしょうけど、自分を知るものがいる場所ではきっと気を休めることなんてできないと思ったので。

 ちょうどいい感じに仕事が途切れるタイミングでもあったので、思い切って四泊五日の豪華客船に乗り込んだんです。

 ライアーバードという偽名を使いはじめたのはその船旅からでした。

 ……由来は単純ですよ、声真似が得意な鳥の名前をそのまま使っただけ。

 その船に私のことを知っている人はいませんでした、誰も私の正体に気付くことはありませんでした。

 私を知る人がいなかったので、我儘に横暴に振る舞う必要もありませんでした。

 だから、久しぶりに我儘娘を演じることなく、素直な気持ちで船に乗っていました。

 海を見たり、星を見たり、美味しいものを食べたり、ちょっとした事件に巻き込まれたり。

 途中で立ち寄ったロンウェーですごく美味しいハニーティーを飲んだり、砂浜でぼーっと夕陽を眺めて船に乗り遅れそうになったり。

 そんなふうに旅を続けているうちに、まだお母様が生きていた頃の、子供の頃の記憶を思い出しました。

 小さな子供の頃、あの世界一の歌姫の歌を聴くまで私は大人になったらいつか旅に出てみたいと夢見ていたのです。

 とっくに忘れていた、子供の頃の小さな夢。

 それを思い出したところで、今の夢を諦められるわけがないと思いました。

 結局、そんなことは全くなかったのですけどね。

 豪華客船に乗っている間、私はちょっとした事件に巻き込まれていました。

 とある女の子が謎の怪人に狙われていましてね、初日で偶然彼女が襲われているところを目撃して、それを助けたのをきっかけに。

 詳細は省きますが四日目に事件は解決しました、彼女を付け狙っていた悪い怪人は無事お縄に。

 この事件の時に私はその女の子ととある貴族の少年、魔術師の少年とその幼馴染の絵描きの少女と関わることになりました。

 ……絵描きの少女に関わったのは最後の方だけだったのですけど、その絵描きとの出会いが、私の人生を変えました。

 その絵描きは、私と同じでした。

 私と同じく、絶対に越えられないものを越えようと無駄な努力を続けて足掻き続ける人でした。

 後から聞いた話になりますが、その絵描きはこのままだと心と身体を壊すからと幼馴染の魔術師に無理矢理自宅から連れ出され、あの船に乗っていたそうです。

 それでも部屋から出てくるのは食事の時くらいで、ずっと部屋に引きこもって絵を描き続けていました。

 四日目に偶然、私は魔術師が絵描きを部屋から引っ張り出そうとする場面に遭遇して、その部屋の中を、部屋の中で一心不乱に絵を描き続ける彼女の姿を見ました。

 直感的に思いました、彼女は私と同じだと。

 一心不乱に絵を描き続ける彼女の姿は酷く痛々しくて、そして、醜かった。

 これと同じなのかと思いました、こんな見ているだけで心の奥底から苦痛が溢れてくるような、酷いものと。

 だから、彼女を見て、その酷く痛々しい姿を見て、私は自分の夢を諦めました。

 無理なのです。

 越えられるわけがないのです、あの世界一の歌姫を。

 人が悪魔や怪物になれないように、私達が世界一を超えるだなんて夢を実現させることは不可能でした。

 それでも実現したいというのなら、人の道を外れる他ありません。

 そしてそれはきっと、とても醜い行為でした。

 だから諦めるしかなかったのです、あれと自分が同じだと自覚したその瞬間に。

 そう自覚した直後に自然と歌を歌っていました。

 舞台でよく歌っていた極東の歌でした。

 鬼女と蔑まれ望んだものは一つも手に入らず絶望の淵に堕ちた女の歌。

 越えられない者を超えたいと願い、それが叶わない絶望と自身への失望をたっぷりと込めて。

 歌の半ばで彼女は手を止めました。

 歌い終わった時に彼女は振り返ってこちらを見ました。

 彼女が私と同じ答えに辿り着いたのは、その顔を見ただけで分かりました。

 私達は大声で笑いました、泣きながら、それでもきっと人生で一番大きな声で。

 夢を叶えられない自分に絶望して、そんな自分が滑稽で仕方なくて。

 それでも私達は、夢を諦めました。

 夢を諦めた後、この先何のために生きていけばいいのだろうと思いました。

 けど、この世界にはとてもたくさんの美しいものがあるから、生きる理由なんてそれだけでいいって。

 そう言われて、私は子供の頃の夢を叶えようと思ったのです。

 とはいえ、現実はそううまくいきませんでした。

 船旅を終えた後、私はすぐに支配人に歌姫を辞めると言いました。

 表向きの理由は歌姫になっても大して歌が上達しなかったから、ということにしました。

 問答無用で却下されました。

 支配人にとって私は歌姫アイリスほどではありませんが、金蔓でした。

 一度つかんだ金蔓を易々と手放す気はなかったようです。

 とにかく駄目だの一点張り、交渉の余地なんてありません。

 どうしたものかと思いました。

 悩みに悩んでいた私は、その帰りに間違えを犯したのです。

 化粧を落とすのを忘れたんです。

 どうすれば円満に歌姫を辞められるのかと考え込んでいたせいで、私はうっかり歌姫モリオンの顔のまま、帰路についてしまったのです。

 歌姫モリオンが大勢の人から嫌われていたことなんて、わかっていたのに。

 そういうわけで私は路地裏に引き摺り込まれて袋叩きにされました。


「こうガッて手を引っ張られて、顔面ぶん殴られた後ボッコボコに。十何人くらいいたので、今思い返すとずっと狙われてたのかもしれません……いくつもの手に身体を押さえ込まれて……色々考えすぎてた時に不意を打たれたせいで思考が止まってしまいまして、咄嗟に幻術を使う事もできずにされるがままに」

 なんて事のない話のように彼女はそう言った。

 その顔に苦痛の色はない、ただ、過去を懐かしむような穏やかな表情をしていた。

「この時はとうとう天罰が下るんだなあって思ってましたね……五体満足で生きてられれば十分、殺されても文句は言えないって思ってました」

 穏やかな顔のまま、そういうことを平然と言う。

 そんな女の顔に、自分の中の妖精がブチ切れる。

 自分にも当然怒りはある、けれども妖精のそれは自分よりも苛烈で暴力的だった。

 二度とそんな顔をできないように、二度とそんな口をきけないように、わからせる。

 殺されかけた過去を平然と語れないように、自分はどんな目にあっても仕方ないなんて、二度といえないように。

 地獄を見せてやると、肉体の主導権をよこせと叫ぶ妖精を抑え込む、今はおとなしく彼女の話を聞くべきだ。

 わからせるのはその後でいい。

 自分の中で起こっているそんな主導権争いに気付くことなく、彼女は穏やかに懐かしそうに、笑みすら浮かべてその続きを語りだす。

「結局、助かったんですけどね。通りすがりのとても素敵な騎士様が助けてくれたんです……すごかったですよねアレは、十数人いたのにあっという間に」

「……ふーん」

 自然と機嫌の悪い相槌を打っていた。

 襲われた話を平然としていることにもだが、自分以外の誰かのことをこの女がを素敵な騎士様とか言っているのが気に食わない。

 妖精がさらに機嫌を悪くする、これを抑え込んだところで多分、後々この妖精は暴走するだろう。

 そんなこちらに気付くことなく、女は話を続ける。

「当時私は混乱してたので、本当だったらお礼を言うべきところで何も言わずに逃げてしまったんです……結構、後悔しましたよ。けど、あの時私の頭の中はぐちゃぐちゃで、何をどうすればいいのかわからなかったんです……気がついたらその場から逃げ出していました。ずっとずっと後悔しているんですよね、お礼の一つも言わなかったことを」

「あっそ」

 こちらが機嫌を損ねていることに気付いていないのか、気付いた上で無視しているのか、女は申し訳なさそうな顔でこう続けた。

「だから今この場でお礼を言わせてください。あの時、助けてくれてありがとうございました。そして、逃げ出してしまって本当にごめんなさい」

「…………は?」

 一瞬思考が完全に止まった、妖精も呆気に取られた様子で黙り込む。

 何だそれ。

 覚えがない、全く覚えがない。

 自分は騎士なので、時折仕事ではない時に街中で起こっているトラブルを力づくで解決したことが何度かあった。

 ひったくり犯とかカツアゲしてるチンピラとか、街の暗いところで人に暴力を振るっているような輩とか、そういう輩を相手に。

 けれども、目の前の女を助けた記憶はない。

 人違いだとそう言う直前で、彼女が口を開く。

「四年くらい前に、路地裏で袋叩きにされて化粧崩れて化物みたいな顔になってた生意気そうな小娘を助けた覚えありませんか?」

 四年前。

 ぐちゃぐちゃに泣き腫らしていたせいで化粧が崩れて顔が黒くなっていた女の子。

 目の前にいる女とは似ても似つかない、そもそもその顔をほとんど見ていなかった。

 けれども確かに、路地裏で女の子を袋叩きにしていたクズどもを蹴散らした記憶があった。

 気がついたらその女の子がいなくなっていた事も。

 当時は恐怖のあまり解放された時点で逃げたのだろうと思って、あまり気にかけていなかった。

 無事に帰れただろうかとは、思っていたが。

「……あれ、お前か!!?」

「私ですね」

 そう返したあと、彼女は再びごめんなさいと呟いた。

「後になって、あなたが兄の同期なことと、あの大会の決勝戦で兄と相打ちになった方だということを知りました。……今思うと兄経由でお礼を言いに行こうと思えば行けましたし、出会ってから今まで言おうと思えばいえたのですが…………あなたに私が元々あんなケバケバな我儘娘だったことを知られたくない、と思ってしまって……」

 心底申し訳なさそうな顔で見上げられる。

 先程まであれほど喧しかった妖精が不気味な程静かになっている。

 衝撃といえば衝撃の事実だった、過去に騎士だからと当たり前のようにクズどもを蹴散らしていた事で、後々ベタ惚れする女を救っていた、だなんて。

「……礼とか詫びとかどうでもいい。あそこで襲われてた女の子を助けたのは騎士として当然のことだ。……あの後、大丈夫だったのか?」

「はい。無事帰れました」

 嘘を吐いている顔ではなかった。

「なら、いい。……無事だったのならそれで」

 ふと、あの時こいつが逃げていなかったら、どうなっていたのだろうかと思った。

 それでも俺はこの女に惚れたのだろうか、それとも。

 考えても無駄なことでしょう、と妖精がボソリと呟いた。

 それもそうかと思った。

 不意に目の前にいる彼女のことを抱きしめたくなった。

 今この瞬間もこの女が生きていることが奇跡のように思えたのだ。


 ……と、いうわけであなたに助けてもらって無事に帰れはしたものの、問題は一つも解決していませんでした。

 支配人は金にがめついので、金蔓である私をそう易々と手放してくれなそうでした。

 普通に失踪してしまおうかと思いましたが、そうすると本気で追ってきそうです。

 いろんな伝手を使って、指名手配なんかもして、赤字にならない程度に私に懸賞金でもかけたりもしそうだなって思いました。

 考えれば考えるほど円満に歌姫を辞めることは無理そうでした。

 いっそとんでもない大問題でも引き起こして無理矢理辞めてやろうかとも思いましたが、具体的にどんな問題を起こすか思い浮かびませんでしたし、そんな悪業を犯した私を世間は許さないでしょう。

 私はただ、歌姫を辞めて子供の頃夢見た旅人になりたかっただけ、これ以上人に嫌われれば不特定多数の誰かにその旅路を邪魔されるのは明らかでした。

 長々と考え込んだ結果、一つ案が思い浮かびました。

 支配人が歌姫を辞めさせてくれないのは、私がまあまあ歌が上手いからでした。

 世界一には程遠い下の下ではありましたけど、それでも私は普通の人よりは確かに歌が上手かったのです。

 なら、それを崩してしまえばいい。

 歌なんて歌えなくなってしまえばいい。

 本当に声を潰す必要はないのです。ただ、聞くに耐えない声になったと、そう思い込ませればそれでいい。

 幸い、私にはそれが可能でした。

 唯一の特技でしたからね。

 私がユーモアのある人間だったらこの声真似をどこかで誰かに自慢げに披露していたでしょうが、その時まで私はこの特技を人前で使ったことがほぼなかったのです。

 例外はあの船旅の時だけ、あの時だけは怪人の気を逸らすために何度か使いましたがそれだけです。

 そしてあの船旅で、ライアーバードと名乗った私の正体が悪名高き歌姫モリオンだと気付いた者は一人もいませんでした。

 では、どうやって支配人を騙せばいいのか。

 悪名高き歌姫モリオンは人々から嫌われていました、ならばそれを利用しましょう。

 歌姫モリオンを嫌う誰かが私の声に呪いをかけた、醜く嗄れた老婆のような声になる呪いを。

 こんな酷い声では歌姫なんて続けられない、続けられるわけない、そういうことにしてしまえば私は晴れて自由の身。

 ……しかし相手はあの金にがめつい支配人、素直に辞めさせるかある程度高い金を払って歌姫モリオンにかけられた呪いを解呪する方法を模索するか。

 ギリギリ後者を取られそうな気がしました、そしてもしそうなれば『呪い』がデタラメであることなんてすぐにバレてしまうでしょう。

 だから、呪われたと知られた頃に私は逃げ切っている必要がありました。

 逃げたその後、支配人に捜索しても無駄だと思い込ませることができれば十分です。

 では、どのように支配人を騙せばいいのか。

 考えて考えて、私は一つの答えに辿り着きました。

 騙すのは支配人でなくていいのです。

 もっと素直で、騙されやすくて、嘘が吐けない、誰からも信用される者を一人、騙せばいいのです。

 おあつらえの娘がいました。

 世界一の歌姫アイリス、誰からも愛される、正直者で騙されやすい、誰からも信用される女の子が。

 彼女の言葉であれば、誰も彼もが信じるでしょう。

 もちろんそれは、あの支配人だって例外ではありません。

 そういうわけで私は旅に出る準備をしっかりしてから、歌姫アイリスを騙しに行きました。

 彼女はあっさりと私の言葉を信じました。

 彼女が私のデタラメを完全に信じ込んだと確信した私はこの国を経ちました。

 行き先はこの国から遠く離れた極東の地。

 ケバケバしい化粧を落としてしまえば、私はどこにでもいるただの人。

 船に乗り込んでも、極東に着いた後も、その後の旅路でも、誰にも気に留めらず誰にも正体を気取られることなく。

 しばらく遠く離れた極東、歌姫モリオンどころか歌姫アイリスの話題すらほとんど語られない国にいたので、歌姫モリオンの失踪後にどうなっていたのか詳しいことは知りません。

 身内は必死に探していたらしいのですけどね、最近聞いた話によると。

 兄と、父と、あとクラリス様に滅茶苦茶怒られました。失踪したのと、デタラメ言ったの両方……

 連絡とか一切してませんでしたからね、というか今回の件がなければ一生それでいいとすら。

 支配人にも連絡行くんでしょうね、どうしましょうかね、誰に何言われても歌姫に戻る気なんてないのですが。

 ……まあ、支配人には最悪賄賂でも渡せば何とかなるでしょう、金にがめついので。

 神竜様の鱗一枚でどうにかなるでしょう、どうにもならなければトンズラです。


 心底面倒臭そうな顔で彼女がそう言った直後、肉体の主導権を妖精に奪われた。

「ちょっと待ちなさい。その神竜の鱗って、前話してた踊り子のアシスタントの報酬でもらったとかいう『質のいい竜の鱗』じゃないでしょうね?」

「その質のいい鱗ですね。というか神竜様の鱗以外は持ってないです」

 いきなり妖精に切り替わったにも関わらず、彼女は気にかける様子もなくあっさりそう答えた。

「数枚、って言ってたわよねえ?」

「言いましたね、今は八枚持ってますよ」

 神竜の鱗一枚で豪邸が立つと言われている、それを八枚も持っているらしい。

 とんでもないことをなんてことないようにそう言った彼女に、妖精が唖然とする。

 その隙に肉体の主導権を奪い返す、奪い返した直後に妖精が喚き散らしたが、完全に無視する。

「お前、なんつーもんを持って平然と旅してるんだ。それ目的に襲われでもしたら……」

「大丈夫ですよ。人前で出したことありませんし、持ってることがバレたこともありません……一枚だけ換金してもらいましたけど、その時も幻術使ってこちらの正体がバレないようにしていたので」

 さらっと言われて、頭が痛くなってきた。

 危なっかしすぎる。

 何でこいつ今も普通に生きているんだろうか、運がいいのだろうか?

「……ラズが、経緯を全部吐かせろってすげーうるさいから聞くが、何がどうなれば神竜の鱗を八枚も手に入れられるんだ?」

「あの時話した通りですよ。高貴な方……神竜様の思い人の命を狙う不届きものを」

「その前だ、どこで何があって神竜なんかと知り合って、報酬に鱗をもらうような関係になった?」

「……旅の途中で色々あったんです」

「だからその色々を吐けって言ってんのよ!!」

 また妖精に主導権を奪われる。

 ただ、その色々を知りたいのは妖精だけでなく自分も同じ。

 彼女は少しだけ考え込む素振りを見せた後、口を開いた。

「あの船であなたに遭遇する三ヶ月くらい前に妖精廃遊園地に立ち寄ったことがありまして」

「なんて?」

「妖精廃遊園地に……」

「馬鹿!!」

 主導権を奪い返してそう怒鳴った、なんてところに行っているんだこの馬鹿は。

「おま、妖精廃遊園地って妖精に占拠されたっつーあの……一度足を踏み入れれば妖精の魔力にあてられて狂死するか、そうでなくとも妖精達の怒りを買って殺されるっつー、いわくつきのやべえ所じゃねえか!!」

「ええ、そのやばい所ですね。……私はただの観光で訪れましたし、妖精の方々も話してみると結構理性的な方が多かったので特に何も……妖精のみなさんは自分の住処さえ荒らされなければ人に危害を加えるつもりはなかったそうで、死んだり殺されたりするのは妖精に危害を加えるような人達だけだったみたいですよ」

「ちょっと待て、妖精と話したっつった?」

「ええ、子供の頃に興味本位で妖精言語覚えてたので、カタコトでしたけどね」

 また、なんてことないような顔でとんでもないことを言ってきた。

「興味本位で覚えられるようなものか?」

「覚えられましたよ。……お世話になっていた宿屋に一回妖精学者の人が泊まったことがあってその時に少し、あとは本とかで」

 簡単そうな顔で言われたのでそんなもんなのかと納得しかけたが、自分の中の自称妖精が「そんな簡単なわけないじゃない!!」と怒鳴る。

 やっぱり絶対何かがおかしいと思ったが、それを本人にぶつける前にその本人が話を続けてしまった。

「そういうわけで特に何も問題なく遊園地の中を散策していました。その途中で記憶喪失かつ妖精のくせに妖精言語を話せない妖精に遭遇して、何となく流れで一緒に行動して……それでちょうど観覧車を眺めていた時、突如としてとんでもない咆哮が聞こえてきまして。様子を見に行ったらティーカップの真ん前に小さな竜の亡骸らしきものと、それを抱えて呆然とする神竜様の姿が」

「何がどうしてそうなった」

 何で妖精が住み着いている廃遊園地に竜の死体と神竜が出てくるんだ。

 自称妖精も意味がわからないと喚いている、うるさい。

「順を追って説明しますね。その時に廃遊園地にいた人間は私を入れて五人、その全員が咆哮を聞きつけティーカップの前に集まっていました。神竜様が抱えていた小さな竜は死んではいませんでしたが、全く意識を取り戻しません。かろうじて死んでいないような状態でした。……その小さな竜は神竜様にとって最愛の存在。誰が彼女をそのような状態にしたのでしょうか。神竜様は廃遊園地にその時存在した『全て』をその小さな竜の殺竜未遂事件の容疑者とし、廃遊園地を完全に封鎖した上で犯人探しを開始しました……三日経っても犯人が見つからなかったら遊園地ごと『全て』を押し潰すと、そう宣言して」

「…………お前、よく生きて」

 一度も聞いたことがないとんでもない話に呆然とそう呟くと、彼女は乾いた小さな声で笑った。

「それは私も思います。すぐさま犯人探しが開始されました、誰も彼も死にたくなかったので必死に。それでも犯人は名乗りあげません。酷い罵倒の応酬の後、誰かが『人間如きに竜がどうにかできるわけないだろう、妖精の仕業では?』と言い出しました。そこから先は各自が思い思いの方法で調査を開始、私も記憶喪失の妖精と一緒に犯人探しを始めました……犯人……いえ、黒幕が見つかったのは三日目の夕方、あと少し遅ければあの廃遊園地はペシャンコにされていたでしょうね」

「……で? その黒幕ってのは一体誰だったんだ」

「その死にかけていた竜本人ですよ」

 ほんのわずかに機嫌悪そうな、嫌なことを思い出しているような苦々しい顔で彼女はそう言った。

「……自殺、ってことか?」

「厳密には違いますが大雑把に言うとそうですね。彼女、竜から妖精に転生しようとして失敗したんです。……完全に失敗していれば何事も起こらなかったでしょうに中途半端に成功したせいで魂が体から抜け出て不完全な形で妖精化、魂が抜けた身体は昏睡状態に。……その妖精もどきになっていた魂が、私が行動を共にしていた記憶喪失の妖精でした……ずっと黒幕と行動を共にしていたと知った時には、思わず膝から崩れ落ちましたよ」

 あはははは、と彼女は力のない乾いた笑い声をあげた。

「……そもそも何でそいつは妖精なんかに転生しようと?」

「彼女は竜の国の出身でしたが、その力は国では最底辺レベルでした。そんな彼女は子供の頃、ある日突然神竜様に一方的に一目惚れされたそうです。それで最底辺のくせに神竜に気に入られやがって、と嫌な目にあったり、そもそも大人になったら国の外で冒険するのが夢だったのに神竜様に付き纏われているせいでそれも叶いそうになくて……それである日、自分が竜でなくなれば完全に逃げ切れるのではと思いついて実行に移した、と。廃遊園地を転生の場に選んだのは転生したい生き物の力が満ちる場所であれば転生の術の成功率が上がるから、というか理由だったそうです」

「……なるほど?」

 とりあえず、事件の真相と理由はわかった。

 それでどうしてこいつが神竜の鱗を大量に手に入れる話に繋がるんだ。

「ギリギリのところで記憶を取り戻した彼女が神竜様の目の前に飛び出して事件は無事解決、彼女は神竜様の手で自分の身体に戻され元通りに。……それで、巻き込まれた人間五人は「疑って悪かった」とお詫びの品を受け取ることになったのです。神竜様が用意できるものなら何でも、と。私以外の人間は竜の鱗や血、すごい魔法の素材なんかを所望していました」

「ふーん、お前は何を貰ったの?」

「神竜様の声を使う許可をいただきました。……竜の国でしか取れない希少な蜂蜜と迷ってたんですけど、そっちは彼女がくれることになったので」

「声を使う許可? そんなもんをもらって何になる?」

 そう聞くと、彼女は小さな、しかし耳にするだけで身が竦むような唸り声をあげた。

 朧げだが覚えがある声だった。

「彼の声、とても迫力があるでしょう?」

 その声のまま彼女はそう言った、それがどうやらその神竜の声であるらしい。

 確かに、聞いているだけで全身がゾワゾワとする、嫌な声というわけではないが、とてつもない力を持つものと直面しているような、そんな感覚だった。

「本物はもっとすごいのですが……再現度は八割といったところです。それでもただの小娘の声真似でも大抵のものはこの声を聞いた時点で怯みます、幻術と組み合わせれば竜が相手でも騙しきれます。……けど、一応高貴な方ですからね、神の名を冠する竜の声を勝手に使うのは流石に不味かろうと思って」

 元の聞き慣れた老女の声でそう言って、彼女は小さく笑った。

 そういうものなのかと聞き流しかけたが、そこで自称妖精が待ったをかける。

 その主張を聞いて、確かにと思ったのでその疑問をぶつけてみる。

「竜が相手でも、つったか?」

「ええ」

「まさか、あの海竜相手にも使ったのか?」

「使いましたね」

 当時のことを思い出した、恐慌状態に陥っていた海竜とそれから逃げ惑うあいつの姿を。

 深々と溜息を吐いていた。

 竜を恐慌状態にするような幻術って何だったんだって思ってたんだが、そういうカラクリだったのか。

 自称妖精も溜息を吐いていた、頭が痛くなってきた、とか言ってる。

「……それで、そのあと何がどうなって神竜の鱗を報酬でもらうような関係に?」

「その事件の後竜の国に招待されたり、旅先でちょいちょい遭遇するようになったんですよね。大抵彼女が国を一人で脱走して、神竜様がそれを追いかけて。基本彼女の脱走は失敗しているのですが、懲りずにしょっちゅう国を抜けてるみたいです」

「ふーん、で?」

「それでたまたま神竜様の思い人である彼女を付け狙う不届き者がいるから探している、っていう時に遭遇して。……彼女、一応私の悪友なので殺されるのは嫌だなと思ったのでその捜索に協力を。大したことしてなかったんで見返りはいらないって言ったんですけど、悪友が「ソンナ訳にはいかないヨォ、コンナのいくらデモあるカラ持ってっチャッテ」って、神竜様の鱗をぶちぶち剥がして手渡してきたんです」

 途中で声真似を挟みつつ彼女はそう言って、小さく溜息を吐いた。

「ええ……?」

「どうしたものかと思いましたけど、神竜様にもその程度だったら持ってけって言われたので結局受け取って……そういうわけで、神竜様の鱗をもらうことに」

「だいたいわかった……わかったが、お前、変なことに巻き込まれすぎじゃねぇか?」

 そう問うと、彼女は小さな声で「そうかもしれません」と答えた。


「と、まあ私の人生はこんな感じでした。元悪名高き歌姫で、劇場を騒がす亡霊騒ぎを起こしていた愉快犯で、ただの旅人。あとあなたの同僚である騎士レイフの双子の妹で、騎士団長の娘。……廃遊園地ペシャンコ未遂事件の三ヶ月後にあなたに遭遇、というか再会して、そのあとはだいたいあなたが知っている通り」

 そう言っている途中でライアーバードは一つ言い忘れていることを思い出した。

 実は一つどころではないのだが、その一つ以外はライアーバードがちょっとした厄介ごとに巻き込まれた程度の話なので別に話さなくても構わないだろう。

 ただ、その一つだけは話しておいた方がいいかもしれない。

 それを口にするか迷っているうちに、彼が胡乱げな目でライアーバードを見ていた。

 ライアーバードは白状することにした。

「そういうわけで廃遊園地ペシャンコ事件の後、私はあの船であなたに遭遇したわけですが……これ言うかどうかすごく迷ってるんですけど、言った方がいいですかね?」

「何? 言えよ」

「…………わかりました、白状しましょう。……私、昨日まであなたのご両親がどこの誰で何者なのか、全く把握してませんでした」

 意を決してライアーバードがそう言うと、彼は目を大きく見開いた。

 そのまま信じがたいものを見る目でライアーバードの顔を凝視する。

「言い訳を、言い訳をさせてください……私、本当に趣味のこと以外どうでもよくて、王様の顔とか見たことはあっても覚えてなくて……あと目……私の中で赤い目ってそんな珍しいものじゃなくなってまして……竜って赤目が多いんですよ、神竜様も、悪友も赤い目ですし……だから」

 言い訳の最中、彼が口を挟んでくることはなかった。

 愕然とした顔のまま、動かない。

「だから、王族とかだとは全然思ってなくて、普通だったら知ってるような有名人の人の子、くらいに思って……」

 そこでようやく、彼が深く、深く溜息を吐いた。

「呆れた。……まさかとは思っていたが、流石にそれはないと…………ば、バッカじゃないのアンタ……そこまでだとは思ってなかったわ」

 後半は騎士ではなく妖精の言葉だった、最愛の二人に心の底から唖然とされたライアーバードはもう一度自分の駄目っぷりを呪った。

「……そうですね、私は世間知らずで、普通だったら知っているようなことを知らない駄目人間です」

 そう言ったライアーバードはふと、はじめから自分が彼らの両親がどこの誰だかさっぱりわかっていないということを正直に話していたらどうなっていたのだろうかと思った。

 きっと疑われて終わりだっただろう、もしくはその時に彼らの口から直接その話をされていたか。

 それならば何か変わっただろうか、あの殺人事件は殺人事件以外の何かに変わったのだろうか。

 多分変わらなかっただろうとライアーバードは思った、彼らの母親がライアーバードへの殺意をおさめなければ、もしくはライアーバードが完全に逃げ切らなければどうしようもなかっただろう。

 そんなことを考えているライアーバードの目の前で、今は彼女であるらしいその人は頭痛か胃痛にでも耐えているような顔をしている。

「…………なら、なんでアンタは、何も知らなかったアンタは、ことの重大性を全く理解していなかったアンタは、なんでアタシ達の元を去らなかったの? 何もわかっていなかったのなら、なんでアンタはアタシ達のあんな理不尽に付き合い続けたの?」

 そんな顔をさせてしまって申し訳ないと思うライアーバードに彼女がそう聞いてくる。

 確かに、彼と彼女は結構理不尽だった。

 逃げようと思えばいつでも逃げられた、ライアーバードだったらそれは容易だった。

 それでも逃げなかったのは。

「さて、なんででしょうね」

 それを素直に面と向かって堂々と言えるほどライアーバードは馬鹿正直ではないので、そう誤魔化した。

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