亡霊の夜

朝霧

亡霊の悪巧み

 その夜、アムドゥシアス劇場は静寂に包まれていた。

 観客どころかスタッフすらいないのだから当然だろう。

 この劇場に今存在するのは、誰もいない空の観客が見通せる舞台にただ一人立つ歌姫だけだった。

 歌姫アイリスは空っぽの観客席と、観客の代わりに満ちる静寂に小さく身震いした。

 ここは普段、明るく、歌声や楽器の音色、それから人々の喝采に満ちた賑やかな空間だった。

 それに慣れきっていたからこそ、余計不気味に、余計恐ろしく感じるのだと歌姫は思った。

 それに最近は滅多に聞かなくなったが、この劇場には出るのである。

 歌姫も数年前にそれに遭遇したことがある。

 その時の悍ましい声が頭の中で響いた歌姫は思わず身体を振るわせ、遠くに見える出口を見た。

 もうここから出てしまえと歌姫は思ったが、右手に握る紙切れをもう一度見つめ直して、首を横に振った。

 紙切れにはこう書いてあった。

 本日全てが終わったあと、一人きりで舞台の上に。

 歌姫はこれを休憩のため控え室に戻った時に発見した。

 普通だったらきっと無視する。

 それに歌姫アイリスはこの国で一番の歌姫であるため、そんな彼女の元には時折不審物が届く。

 差出人も何も書かれていないその紙切れも、本当だったら不審物としてくしゃくしゃにまるめてゴミ箱に放り込むべきだ。

 けれど歌姫はそうしなかった、正確にはできなかった。

 表を見ても裏を見ても差出人はどこにもない。

 けれどもその紙切れに書かれた字に歌姫は見覚えがあった。

 何度見返しても、その字は歌姫の知る人物のものと同じだった。

 四年前に失踪した歌姫アイリスの幼馴染にして、かつてこの劇場を歌姫アイリスと同じか、もしくはそれ以上に熱狂させた一人の少女。

 千年に一度の逸材とまで言われ、誰よりも歌うことに真面目に熱心に取り組んでいたその歌姫は、四年前に呪いを受けた。

 声を悍ましい老女の声に変える呪いだった。

 歌姫アイリスは今だって夢に見る、美しく力強い声の持ち主だった彼女が聞くに堪えない醜い声で『もう二度と歌えなくなってしまったわ』と呟いた、その時のことを、あの日見た自分のたった一人の幼馴染の絶望に染まった顔を。

 歌姫アイリスが彼女を最後に見たのはその時だった。

 その後、慰めにすらならないだろうがそばにいたいと歌姫は彼女を探したが、とうとう見つけられなかった。

 そしていつの間にか彼女の部屋は空っぽになっていて、部屋の中には『さがさないでください』と書かれた紙切れ一枚しか残っていなかったのだ。

 誰も彼もが彼女の行方を追った、けれども誰も彼女を見つけられなかった。

 そうしてあっという間に四年の月日が流れた。

 歌姫アイリスが彼女のことを忘れた日はなかったが、世間ではとっくに彼女の名は薄れ、忘れかけられていた。

 そんな矢先に現れたたった一枚の紙切れ、どれだけ怪しげでも、その紙切れ一枚でもう一度幼馴染に会えるのなら、歌姫アイリスは書かれた通りに行動するしかない。

 だから今夜、歌姫アイリスは滅多に言わない我儘を言って、詳しいことは誰にも話さずにたった一人ここで待っている。

 一体、どれだけ待っただろうか。

 最低限の照明しかついていない劇場は薄暗く、物陰から今にもぬるりと恐ろしげな何かが這い出てきそうだ。

 歌姫は怖くて仕方がなかった、それでももう一度あの幼馴染に会いたかった。

「本日全てが終わったあと、一人きりで舞台の上に」

 唐突に、歌姫の真後ろから舌足らずの幼い子供の声が聞こえてきた。

 歌姫は勢いよく振り返る、しかし誰もいない。

 なんの影もないそこを歌姫が呆然と見つめていると、今度は歌姫の右側から甲高い笑い声が。

 キャハハハハ、と可笑しそうに可笑しそうに笑うその声は、先ほどの子供の声とはまた違う。

 歌姫は笑い声が聞こえる方に顔を向けた、しかしやはり、誰もいない。

「おろかもの」

 聞いただけで身体がこわばるような高圧的な男の声、歌姫は左を向いたが、やはり誰もいない。

「なんておばかなうたひめさま」

「あんなかみきれいちまいをまにうけて」

「おおばかものめ」

「かわいいね」

「かわいそうに」

「かえってきたよ」

「あいかわらずあたまはからっぽなんだね?」

「おろかもの、おろかもの」

「ほんとうにひとりでくるとかおおばかじゃん」

「せかいでいちばんのうたひめさま」

「じぶんのかちもわからぬか」

「おおばかもの」

「こんなところにひとりきり」

「そんなおろかなこむすめは」

「くろうてやろうか」

「いけにえ? いけにえ!」

「こよいはうたひめのふるこーす」

「めいんでゅっしゅはのどかしら?」

「ばかめ、のどはでざーとだ」

「まるかじる? きりきざむ?」

「すりおろすのもわるくはなかろう」

 前から後ろから右から左から上から下からあちこちからいくつもの、いくつもの声が。

 老人の怒鳴り声が、老女の唸り声が、赤子じみた子供の笑い声が、馬鹿にするような少女の声が、呆れるような男の嘆息が、人とは思えぬような声が、他にも識別しきれないほどたくさんの声が、歌姫アイリスの心を暗闇に引き摺りこむ。

 たまらず歌姫は悲鳴をあげた、そして堪えきれぬ涙を流しながら、いつか同じような目にあったとある日のことを思い出す。

 逃げなければ、逃げなければ、あの日と同じように、悍ましい『亡霊』達に支配されたこの舞台から降りなければ。

 しかし歌姫の足は動かなかった、動けなかったのではない、動かさなかったのだ。

「にげないの?」

「でぐちはあちら」

「まだまにあうかもな」

「むりだよ、ておくれ」

「ああ、おいたわしやうたひめさま」

「さあ、のうさぎのようににげまわれ!!」

「どうせのがれられはしない」

「我らアムドゥシアスの亡霊は、決してお前を逃さない」

 最後の声だけはがあちらこちらから同時に聞こえてきた。

 アムドゥシアスの亡霊。

 それは数年前からこのアムドゥシアス劇場に現れたと言われている『何か』だった。

 最初の遭遇者はチンピラ崩れの若者だったと噂では語られている。

 誰もいないこの劇場に肝試し目的で忍び込んだその若者は、一晩中姿が見えない化物達に追われ続けたという。

 その後も夜になると声だけしか聞こえない『亡霊』達はたびたび現れた。

 最初の若者のように追い回される者もいれば、一方的に笑い声を浴びせられた者もいた、中にはカツラのズレを指摘されただけの者もいる。

 亡霊は気まぐれに現れ、気まぐれに人々を脅し続けた。

 誰がどのような目に遭わされるのか、それに法則性もない。

 残業で残っていただけの作業員がノイローゼになる程までしつこく話しかけられたこともあった。

 盗み目的で入った悪党がただ一言だけ声をかかけられたこともあった。

 歌の練習のためにこっそり舞台に忍び込んだ歌姫がいくつもの声に追いかけ回されたこともあった。

 悪人だからと酷い目に遭わされるということもなく、善人だからと酷い目に遭わされないということもない。

 子供だからと甘い対応をされるわけでもなければ、大人だからと苦い思いをさせられるわけでもない。

 亡霊に怪我を負わされた、亡霊に殺されたという人物は今の所はいないらしい、ただし極度の恐怖を叩きつけられたせいなのか、それと呪いでもかけられてしまったのか、精神に異常をきたしたものは数名いる。

 歌姫アイリスは精神に異常をきたすまでではなかったが、それでも彼ら亡霊に遭遇してから数日は悪夢に苦しみ眠れない日々を過ごした。

 本物の怪異か、それとも誰かが魔法でも使って悪戯でもしているのか。

 一般人だけでなく悪魔祓いや魔法使いなど、少なくない者達がその正体を暴くために夜の劇場を訪れたが、結局その正体は分からずじまい。

 アムドゥシアスの亡霊についてわかっているのは、声しか聞こえず姿は見えない謎の怪奇現象であるということだけだった。


「おろかもの、おろかもの」

「ばかしょうじきにひとりでくるからこうなるんだ」

「ほら、たすけをよんでごらん?」

「どうせだれもきやしない」

「かわいそうね」

「あわれだな」

「ほんとうに、なんておろか」

「ここまであたまがわるいとは」

 亡霊達の声がグルグルと歌姫の周囲に響く。

 彼ら彼女らは歌姫を小馬鹿にしつつ、笑う。

 キャラキャラという子供の笑い声、低く抑え込むような笑い声、高らかな笑い声が。

「うるさい!!!!!」

 歌姫はたまらず叫んだ、耳を押さえてうずくまっても笑い声はまだ手のひらをすり抜けてくる。

「さけんだ」

「しゃがんじゃった」

「にげればいいのに」

「もはやうごけもせぬか」

「かんがえなし」

「ばーかばーか」

「キャハハハハ」

「そうら、なけなけ」

「にげろにげろ、ぶざまにけつをふってにげろ」

 嘲笑うような煩わしい声に負けないよう、歌姫は大声を上げる。

「うるさい、うるさいうるさいうるさい!! わたしは逃げない!! あの子が、だってあの子が、まってろって……」

「あのこってだあれ?」

「わたしの、わたしのたった一人の幼馴染!! エ……じゃなくて歌姫モリオン!! 亡霊達よ、もう直ぐきっとあの子が来るから、あの子が来たら直ぐにここから出ていくから!! だから……!!」

 歌姫がそう叫んだ後、二秒間だけ劇場内に沈黙が満ちた。

 歌姫は一瞬亡霊達が自分の言葉を聞き入れてくれたのかと思ったが、それは期待外れに終わった。

「だから、なんだ?」

「そんなのどうでもいいじゃん」

「そもそもほんとうにそいつはくるのか」

「そもそもそのかみきれをかいたのはほんとうにそのこなの?」

「ほんとうにそのこだっておもったの」

「だまされたとは?」

「おまえをおびきよせるためのえさだとおもわなかったのか」

「ほんとうに?」

「ふつうにそのこにあえるとおもってた?

「なにもうたがわずにしんじたのか」

「のうてんきねえ」

「じつにおろか」

「なにをされてももんくとかいえないよねえ」

「かわいそうに」

「かわいそうに」

「だまされやすいおひめさま」

「いたいめにあわぬとはんせいすらせぬか」

「ずっとむかしに、いっぱいいっぱいおどしてあげたのにね」

「にどめはない、かくごしろ」

 笑い声が大波のように歌姫に襲い掛かってくる。

 歌姫は恐怖から息を荒げる、ただでさえ暗くおぼつかない視界が、徐々に朧げになっていく。

 しかし、不意に全ての声が消え去った。

 後に残ったのは歌姫アイリスの苦しげな呼吸音だけ。

 歌姫アイリスはわけもわからず混乱したが、おそるおそる耳から手を離し、顔を上げる。

 歌姫の視界には、誰の姿も映らなかった。

 亡霊の声はすっかり消え去ってしまった、気まぐれなな彼らの気がおさまってくれたのだろうかと、歌姫は呆然としつつそうであればいいと思った。

「何をしているのかしら、あなた」

 それは老女のような嗄れた声だった。

 歌姫アイリスの直ぐ後ろ側からその声は聞こえてきた。

 歌姫アイリスは勢いよく振り返り、そしてその声の主を見た。

 姿なき亡霊達と違い、その声の主の姿は当たり前のようにそこに存在していた。


 その声の主は黒く長い髪、真っ黒な目の、真っ黒なロングコートを着込んだ、歌姫アイリスと同い年くらいの女だった。

 ギョロリとその黒い目が歌姫アイリスの顔を射抜くように見つめている。

「何よ、化物でも見るような目をして。ま、こんな醜い声の女、化物とそんなに変わらないだろうけど」

 そんなふうに言いながら皮肉げな笑みを浮かべる女。

 歌姫アイリスはその女に見覚えがあった。

 四年前にいなくなった幼馴染だった。

 ――少し、大人びた気がする。思っていたよりも元気そうで、でも声はあの時のままで、それでも。

「あ、ああ、ああああああ!!」

 歌姫アイリスは勢いよく立ち上がり、倒れ込むようにその人物に飛びつこうとして失敗した。

 やけに俊敏な動きで、女があっさりと歌姫の体当たりを避けたのである。

 勢い余った歌姫は舞台の上でゴロゴロと転がった。

「なにやってんのよ!?」

 コメディチックにすっ転んだ歌姫に女が声を荒げる。

 ガバリと顔をあげた歌姫は、自分のことをあっさりと避けた女に向かって這うような姿勢で近寄る。

「なんで、なんで避けるの……!!?」

「避けるに決まってるじゃない!! いきなり何よ!!」

「だって、だってぇ……」

「だってじゃない!! てゆうか這うな!! あなた世界一の歌姫でしょーが!!」

 女は、その若い女の姿にまるであっていない嗄れた老女のような声でそう怒鳴った。

 嗄れた醜い声なのに、何故か不思議と聞き取りやすく、そこまで不快感を感じる声ではなかった。

「だって、すごくいたいんだもん……あなたがよけるから……」

「避けてなかったらこっちが怪我してたわよ。……ああもう、骨とかやってないでしょうね? 簡単な治癒術なら使えるけど、人にかけるのはあんま得意じゃないのよ」

 そうぶつくさと言いながら、女は歌姫に向かって手を差し出してきた。

 その手のひらには決して小さくはない古い傷跡が残っていた、かつてはなかったはずのその傷を見て歌姫は数秒だけ考え込み、全部まとめて問いただせばいいとその手のひらを掴んだ。

 そして掴んだ手のひらに目一杯力を入れて立ち上がり、女の体に抱きついた。

 女はほぼ反射的に歌姫を自分から引き剥がそうとしたが、その直後に歌姫が大声で泣き始めたので身体を一瞬だけこわばらせた後、深々とわざとらしい溜息をついた。


 歌姫アイリスが若干落ち着き、言葉が発せられるようになったのはそれから大体五分くらいのことだった。

 正確にいうと落ち着けられたというのが正しいが。

「い、いままでどこでなにやってたのぉ……!!!! ひっく、うえ……ううぅ」

「泣くか喋るかどっちかにしなさいよみっともない」

 突き放すような物言いをしながら、女は小さな子供でもあやすように手慣れた様子で歌姫の頭を撫でる。

「だって、怖かったんだもん……それに」

「怖かった? ……あなた二十歳超えてるくせにまだこういう暗いところがこわーい、ってみっともなく大泣きしてるってこと? ほんと、なさけないわね」

「違うもん怖くないもん!! 暗いところはまだ苦手だけどもう怖くないもん!!」

「その、なんとか『もん』って喋り方、昔から変わってないのね。ちょっと子供っぽすぎるからいい加減直しなさいな」

「うう……どうだっていいじゃんそんなこと……」

「まあそうね。あなたがどれだけ幼い喋り方をしてても別にどうだっていいわ。……で? 暗いところが怖くて泣いてるわけじゃなければなんで泣いてるわけ?」

「出たの!」

「何が? ……ああ、ゴキブリとか? あなた虫全般ダメだものね」

「違うちがーう!! 出たのよ、アムドゥシアスの亡霊が!! あなたも何か見て……いえ、何か聞かなかったの!?」

「は? アムドゥシアスの亡霊? あなたまだあんな子供騙しの怪談を信じてるの? バカねえ、あんなの作り話に決まってるじゃない」

「ホントに出たの!! いっぱいいっぱいいろんな人の声が……わたしこわくて、すごくこわくて、けどあなたを待ってなきゃって。……ホントになにも聞こえなかった?」

「特に何も聞こえなかったわねえ……怯えすぎて幻覚でも見たんじゃないの?」

「げんかく……?」

「そ、幻覚。……特に変な気配とか魔力は感じないもの、ここには私達以外に誰も存在しない。……ほんと、馬鹿ねあなた」

 本当に心の底から呆れているような声でそう言った後、女は歌姫を自分から引き剥がした。

 歌姫はいやいやと首を振って抵抗しようとしたが、女に冷たい声で「暑苦しい」と言われて、小さく身体を震わせた後されるがままになった。

 歌姫は泣きすぎたせいで微妙に見えにくくなった視界で女を見る。

 四年前からそれほど印象や顔つきなどは変わってはいないが、それでも歌姫よりも真っ当に四年分歳をとり成長したようだった。

 身長がどうなったのかはよくわからなかった、うっかり彼女の胸元に目が行きかけた歌姫は慌てて視線を上に戻した。

 女は歌姫の視線の動きに気付いたようで、御伽噺に出てくる悪い魔法使いのようにニタニタと性格の悪そうな笑みを浮かべる。

「あなたは四年前と変わらないわねえ。記憶違いじゃなきゃ頭も身体もどこも成長してないわ」

「失礼な! 成長したもん色々と!! 身長だって八ミリは伸びたんだから!!」

「ミリ単位なのも、それを把握してるのも惨めね」

「うぐっ……そ、そういうあなたはどうなわけ!?」

「さあ、しばらく測ってないから知らないわ。身長とか今更伸びようが縮もうが別にどうでもいいもの」

 本当にどうでもよさそうに言った女に歌姫に歌姫はうぐぐ、と唸り声をあげた。

 普通に悔しかったのである、色々と。

「く、くそう……ってか、色々それどころじゃない!! いつあの亡霊の達が出てくるかわからないし……あとあなた今までどこでなにしてたの!? なにも言わずにいなくなって、ずっとずっと連絡一つよこさないで!! わたし、すごく怒ってるんだからね!! わたしだけじゃないよ!! みんなすっごく怒ってるし、心配してたんだから!! おばあちゃんと支配人とあなたのお兄さんダーリンも呼んで、お説教しなくちゃ……!!」

「重要な話の前に説教したいのは、どちらかというとこちらなのだけど」

「はあ!!? あなたがわたしたちに怒られるのは当然だけど、あなたに説教されるようなことなんてわたししてないわ!!」

「してるわよ。だからあなたは馬鹿なの。本当にどうしようもない。……一万年に一度の才能を持つ世界一の歌姫様。誰よりも何よりも美しい声を持つ尊いお方が、何故一人でこんなところにいるのかしら? 危ない目に遭うかもとか、思わなかったわけ?」

 それは絶対零度の声色だった、歌姫はその声の力強さに圧倒される。

 そして自身を睨め付けるその黒い目に心のどこかが折れそうになったが、それでも歌姫は俯くことなく女の目を見つめ返し、右手に握りっぱなしになってくしゃくしゃになってしまった紙切れを掲げた。

「あなたが『一人で』ってわたしを呼び出したからに決まってるじゃない」

「そこそこ急ぎの用事があるから手短にいうわね。おばかポイントその一『その紙切れの差出人が私だと信じきったこと』その二『差出人が私だと想定した上で、私か私の裏にいる何者かがあなたに悪意を抱いている可能性を全く考慮していなかったこと』その三『馬鹿正直に本当に一人で待っていたこと』その四『誰にも相談しなかったこと』……他にも言いたいことはあるけれど、一旦これですませてあげるわ」

 女は冷めた声のまま、正論じみたことをつらつらと挙げた。

 確かにその通りではあった、歌姫だって心の底から馬鹿正直に全く危険はないと思ってここで待っていたわけではない。

「だって、書いてある通りにしなかったら、あなたは来てくれないかもしれない。……あなたは私と違って慎重で、勘がいいから……」

 最低限の言葉で歌姫が言い返すと、歌姫は盛大に溜息を吐いた。

「役立たず。あなたもあなたを不審がらずにあなたを一人でここにいさせた輩も、全員大馬鹿者ね。……最低一人はどこかに潜ませているだろうと思っていたのに、その気配もない」

「や、役立たずって何よ!!」

「役立たずは役立たず。おかげで計画が狂ったわ。……大筋は変わっていないのだけど、少し面倒なことになったわね」

「何? 計画? あなたなにを……」

 不意に女が右手を少しだけ上にあげた。

「この四年で色々あったのよ。それでね、私、先週人を殺したの」

「…………え?」

 歌姫は急に息をしづらくなったのを感じた。

 そんな歌姫の前で女は、歌姫のたった一人の幼馴染はにこりと綺麗な笑顔を見せた。

 歌姫はその笑顔につられるように、半分泣きそうな滑稽な笑顔を浮かべて小さく首を横に振った。

「な、なに言ってるの、急になに……私の聞き間違え……それとも、冗談……?」

 しかし、女は静かに首を横に振る。

「聞き間違えでも冗談でもないわ。私、人を殺したの。それでね……ある人が私の冤罪を被ろうとしているっぽいのよね……それを阻止したいのだけど、協力してくれないかしら?」

 綺麗な笑顔を浮かべたままの女の右手に一瞬だけ黒色の魔法陣が瞬いた。

 直後、歌姫アイリスの喉笛に、何かとても鋭い、銀色に輝く何かが突きつけられた。

 それは女の両手に握られた、大振りな剣の鋒だった。

 先ほどの魔法陣は収納魔法だったらしい、収納していたそれを取り出した女は、それをそのまま歌姫アイリスに突きつけた。

 女の身の丈に全くあっていないとても重そうな剣だった、とても切れ味が良さそうで、生き物の命を奪うためだけに作られたものだった。そういった世界には疎い歌姫でもいやでもそれを理解できるような本物の凶器だった。

 小さく掠れた悲鳴が歌姫アイリスの口から漏れる、その声を聞いても女は剣を下すことはせず、ただ口元を歪めた。

「協力してくれないなら、世界一美しい歌声を響かせるその喉を貫くことになるわ」

 凶器を歌姫に突きつけた女は狂気が混じった凄絶な笑顔を浮かべながらそう宣言した。

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