川岡慶次の異世界江戸前ボクシング
zakuro
第1話 異世界でも変わらない殴り方
目を開けたとき、空は低く、乾いた匂いがした。
土の道がまっすぐ伸び、左右に木造の建物が並んでいる。
どこかの映画のセットに似ていたが、風の通り方だけは本物だった。
川岡慶次は立ち上がり、両足に体重を乗せてみた。
違和感はなかった。靴も、グローブもない。代わりに、素手の感覚がはっきりしていた。
周囲の人間は、刀を腰に下げている者と、分厚い拳当てをはめている者が混じって歩いていた。剣と拳が同じ距離でぶつかり合う場所らしかった。
慶次はそれを見ても、特に何も思わなかった。試合前の控室で、知らない体育館に入ったときと似た感じだった。
通りの先で、小さな囲いができていた。人だかりの中心で、二人の男が殴り合っている。拳は火花を散らし、地面に焦げ跡が残る。片方は剣を抜かず、炎のような拳で振る舞っていた。見物人は騒がず、魚の値段を決めるときの声量で、勝ち負けを口にしていた。
慶次は立ち止まり、拳の動きを見た。
力はあるが、体重の乗せ方が違う。
肩が先に出て、腰が遅れる。
殴り方が、彼の知っているものと少しずれていた。
それだけが目に残った。
囲いの外で、女が立っていた。
薄紫の羽織を着て、背筋を伸ばしている。
年齢は分からない。視線だけが古く、声は落ち着いていた。
「旅の御仁、拳闘は初めてかえ」
慶次は首を横に振った。女は頷いた。
「水無月アヤメ。拳闘奉行を預かっておる」
名乗り方は、規則の一部のようだった。
慶次は名を返さなかった。返す必要を感じなかった。
「この地では、殴りもまた道でな。剣と同じく、型がある」
慶次は囲いの中を指さした。指先に力は入れていない。
「重心が、前に行きすぎてる」
自分の声が、少し低く響いた。アヤメは目を細めた。
「見えるのかえ」
慶次は答えなかった。代わりに、地面に足を置き、軽く一歩踏み出した。
拳は出さない。体だけが動いた。
空気が変わった気がした。
囲いの中の勝負は、いつの間にか終わっていた。
勝った男は肩で息をし、負けた男は土を払って立ち上がる。誰も拍手はしない。
「殴り方が違うだけで、勝ちも負けも変わるものよの」
アヤメが言った。指摘するというよりは、ただ確認するように。
慶次は通りの先を見た。日常が、そのまま続いている。異世界だという実感は、まだ来なかった。
彼は歩き出し、アヤメは少し遅れてついてきた。
距離は一定だった。風は乾いたままだった。
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