フェリックス・ハーウェルの洞察 ~獣人世界の奇妙な事件簿~
黒羽
夜来の雨の街角で
※本作は新作のプレストーリー版です。
ガラス作りの精油式街灯の下に薄ら雨が降り、固い石畳がしとどに濡れる。人々は足早に道を歩き、その側を蒸気を燻らせて自動車が走る。薄暗く陰鬱とした空気がこの【ネビュロン】という都市を包むが、その街道の誰もがこの当たり前の光景に顔色を変えることなく自分の道を急いでいた。
そんなネビュロンの細道、ダンロンストリート6番地にあるアパート、石造りの建物のシックな木造りの扉に掛けられた、板切れを打ち付けただけのような看板。辛うじてカリグラフィだと分かる様な文字で書かれた【フェリックス探偵局】という文字を下げたそのドアの向こうは、その扉の風情に違わず雑然としていた。
天井の精油灯によるシャンデリアが雨の夜の部屋を灯してその姿を露わにする。壁付きの本棚にはすき間だらけの本が並び、窓の側に構えるデスクにはグラス、マグカップと空き瓶、そして封筒の束と本の山。ラグの敷かれた床こそ小ぎれいにされてはいるものの、デスクに向かい合う形で置かれた赤のソファには、帽子やシャツ、トレンチコートなどが引っかけられており、この部屋を使う住人の性格が顕著に表れていた。
「あー、今週はまるっと雨だったぜ。これじゃおちおち家賃も払いにいけやしねえな」
服が無造作に掛けられたたソファの座面に、足を投げ出して寝転がる男はそんなことを言いながら顔の上で薄っぺらな紙を弄んでいた。男が息を吹くと紙は飛び上がり、10センチ程でまたすぐに男の顔に乗っかる。一体この男はどれだけこんなことをしていたのか、紙が吹きあがる度に明らかになるその表情は退屈と苛立ちに満ちていた。
フェリックス・ハーウェル。彼こそがこのフェリックス探偵局の主である私営の探偵である。そしてフェリックスがこうして暇を持て余しているという事は、彼の所に数日以上依頼が来ていないという意味だった。そしてフェリックスが暇つぶしに興じている所に、扉を隔てて隣の部屋から水洗トイレの音が流れ出して、誰かが入ってくる。
「ふぅ……ちょっと飲み過ぎるとすぐこれですよ。大体フェリックスさんが事ある毎にコーヒーを進めるから……」
ハンカチで手を拭きながら、少女のような人物がこの部屋に入ってくる。紺色のセーラーワンピースとスカート、ひざ下の白いソックス、そして童顔で少し毛先の荒れたショートヘア。だがそれらの特徴など目にも留まらない程のある特徴が彼女には有った。
「ちょっと! フェリックスさん! まーた家賃督促状で暇つぶししてますね! 自分の状況を分かってるんですか? もうかれこれ1週間は仕事が来ていないんですよ!?」
「あ? んなこたぁ日常茶飯事だ。焦るこったねえよ、オレの最長記録は……」
「そういう話をしてるんじゃないんですよ! 先月の家賃も払いそびれて、明かり用の精油を買うお金だってそろそろ危ないんですよ!?」
「うっせぇなぁ。そんなにでっけえ耳をバタバタさせなくっても聞いてるっつの」
フェリックスは、そう言って煩わしそうに手を仰いだ。この様なやり取りも二人の間では幾度となく行われており、そのたびに彼女……アウリス・ハーウェルは憤慨と諦観を繰り返していた。
アウリス・ハーウェル。フェリックス探偵局の住み込みの助手であり、何よりも目立つのは、そのあどけない顔と同じ程のサイズの、大きな獣耳である。動物のフェネックのそれと近い形質を持つその耳は、アウリスの情緒を代弁するかのように前後に動き、持ち主の不満げな表情をより強調する。
「その上、保冷庫の中身もそろそろ底をつきますし、ここ二日ぐらいはついに三食パンだけになるし、なぜかコーヒー豆だけは小さいタルでストックされているし……もうそろそろ限界なんですけど!?」
「ギャアギャア言うなって。依頼なんて来るときゃ来るし、来ねえときは来ねえんだよ、お前もここに来て一日二日じゃねえんだから黙って待ってろよ」
アウリスの小言が無理やりにフェリックスの耳をこじ開けて、その脳内にこびりつく。フェリックスがこの事態を軽んじている限り、アウリスには小言を言う以上の行動は出来ず、アウリスはソファで寝転がっている『恩人』に対して憎み切れない不満を抱える事しか出来なかった。
フェリックス・ハーウェルの洞察 ~獣人世界の奇妙な事件簿~ 黒羽 @kuroha_wadatsumi
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