天気を司る想い

朝昼夕夜

第1話

天気を司る想い



そう、すまんな……。小さいお前に、押し付けることになってな」



 病室。

 ベッドで横になったまま、祖父は言った。

 窓を雨粒が叩く。

 その音に紛れて祖父は泣いていた……。

 まだ小さかった俺は、感情を滅多に表に出さない祖父の泣き顔が見たくて、椅子に乗って顔を覗き込んだ。


「僕は大丈夫だよ。全然、大丈夫。強いからどんなことだって大丈夫だよ。おじいちゃんみたいになかないからさ」


 あの頃の俺は、祖父が何を伝えたかったのか何も分かっていなかった。

 無邪気に揶揄う俺に、祖父は笑った。


「そうだな。想は強いから大丈夫だ」


 祖父の笑顔に答えるように――空はゆっくりと晴れていく。


「ほら、見て! 虹だよ!」


 幼い俺は窓の外を指さした。

 その虹は。俺が見たどの虹よりも美しく輝いていた。

 今でもはっきりと覚えている。


「本当……。最後に想に言えて――良かった」


 祖父は動かなくなった。

 幼かった俺は、虹を見てよと祖母の身体を揺らした。

 隣に居た母が涙を流しながら小さい肩を抑えた。


「ごめんなさい」

「おい、泣くな。お前が泣いたら想が――!!」


 母は謝り、父が叱った。

 母は必死に鼻を啜り涙を拭くが、泣き止むことはなかった。


「……ねぇ、おじいちゃん、死んじゃったの?」


 母と父の様子に俺は祖父が起きないことに気付いた。

 必死に、必死に堪えようとしたが――そこから三日間。

 俺はずっと泣き続けた。

 空もまた泣き続けた。





 八意町(やごころちょう)。

 昔からこの街の天気はどこかおかしかった。

 例えば周りに大雪が振ってもそこだけは晴れていたり。台風が直撃するはずなのに直前で逸れたりする。

 その理由をしっている者は、ほとんどいない。

 八意家だけに、代々受け継がれてきた力――、


 感情と天気が同調する力だ。


 力を持つ者が死ぬと次の男へ受け継がれる。例外的に女に継がれることもあるが、どうやら、母でなく俺に継がれたようだ。


「おーい! 今日、皆でさ、隣町に映画を見に行くんだけど、想も一緒に行かないか?」


 高校二年生になったある日のこと。

 クラスメイトが俺を誘う。

 困ったな。

 ホラー映画とか感情が揺さぶられるモノは極力避けたいんだけど、どう断ろうか。

 悩んでいる俺を助けるように幼馴染の刃(じん)が割って入った。


「おい。想は映画とか苦手なんだよ。あんまり意地悪すると、俺がお前に意地悪するぞ」

「おいおい。柔道で全国狙ってるお前が言うと怖いって」


 クラスメイトは笑いながら逃げ出した。


「助かるよ……。刃」

「これくらいはな。あんまり力のこと――知られるのもよくないだろ」

「ああ」



 泣けば雨が降り、怒れば風が吹き荒れる。

 天気を操るとは災害を引き起こせるということ。

 例えば祖父が死んだ時。

 泣き続けた俺は、山を崩した。

 幸いにも怪我人は出なかったが、一歩間違えば人を巻き込む危険がある。だから俺は感情を起伏させないよう過ごすようになった。


「でも、子供のころは時々使おうとしてたよな。マラソン大会の日……覚えてるか?」

「ああ。覚えてるよ」


 力を使わないようにしても、子供が完全に意思をコントロールできるわけもない。

 マラソン大会が嫌で、雨になるようにわざと泣ける映画をみたり、わざとゴミを目に入れて涙を流したりしたが――天気は変わらなかった。

 天気は自然だ。

 だから、自然と感情が揺さぶられないと効果はなかった。

 泣きたいと思って泣いた涙じゃ天気は変わらない。


「そう言えば、照れても突風が吹くのは意外だったよな。想のラブレター紛失事件は笑ったな」

「……俺は泣いたけどな」


 俺が中学一年生の頃だった。

 俺は人生で初めてラブレターを貰った。なんだか空けるのが恥ずかしくて、でも、中を見たくて勢いよく開いた時、突風が吹いたんだ。

 風にラブレターは舞い上がり消えていった。

 俺の人生で初めてのラブレターは、今もどこかで眠っているのかもしれない。

 いや、その後に泣いた雨で、土に返っているかも。


「ていうか、なんで今更そんな話をするんだよ。言われなくても分かってるって」


 一々、言われなくてもわkってるってーの。

 俺は口をとがらせた。


「いや、それがさ。俺、今度転校するんだよ。本気で柔道で頂点を取りたいんだ」





 その日から、俺は刃と距離を取るようになった。

 顔を見たら泣きたくなるし、なんで直前まで何も言わなかったんだと怒りで風を起こしたくなかった。

 稲作の刈り入れ時だ。

 俺の感情で、町の作物を壊したくない。


「でも……最後くらいは……」


 想と刃は、昔ながらの友人だ。

 一日くらいは泣いてもいい。

 別れの時くらいは。


「何か、送別の品を渡したいよな」


 想は考える。

 刃は何が好きだったのかを。


「食べ物は変か? あとは……柔道で使う道具とかかな?」


 想は、時をさかのぼるように思い出していく。


「あ、そうだ」


 刃と初めて会った時のことを。

 初めて会ったのは、祖母が死に、山を崩した直後のことだった。

 自身の力が恐ろしく、泣いていた俺の気を変えようと、親が秘密を知る存在として連れてきたのだ。

 今と変わらない笑顔で、刃は言った。


「天気を操れるんでしょ!? こないだの虹、凄い綺麗だった! また作ってよ!!」


 あの日、意外にも泣いて笑って、虹ができた時もあった。

 でも、なぜか、どれもあの日ほど綺麗じゃない。


「だったら、それを超えてやる」


 想は、その日から準備を始めた。

 泣くこと自体は、できる。

 問題は――その後だった。

 雨を降らせたあと、

 ちゃんと笑えるかどうか。

 お気に入りの漫才を何度も再生し、面白動画を片っ端から見返した。

 胸の奥が自然と軽くなる感覚を掴めるように――想は努力した。





 当日。

 想は陣の家を訪れた。


「なんだ、来てくれないかと思ったぜ。てか、天気……曇りなんだけど? 俺のためには泣けないってか」


 陣はいつも通りの軽い調子で笑っていた。


「……うるせー。これから泣くんだよ」


 想はそう返すが、いざ泣こうと意識すると、涙はまったく出てこない。

 雨が降らなければ――虹は生まれない。


「はは、無理すんなよ。大体、俺はこういう時は晴れがいいからさ。むしろ笑えよ」


「知ってるよ」


 陣がそういう性格なのは、よく分かっている。

 だからこそ、泣いて、それから笑って送り出したかった。

 なのに――。


「無理すんなって。お前のことだ、どうせ虹を作ろうとしてるんだろ」


「え……なんでそれを」


「長年の付き合いだからな。分かんだよ」


「……くそ」


 想は肩から力が抜けるのを感じた。


「あ、雨だ」


 陣が空を見上げる。

 ぽつり、と一粒の雨が地面を叩いた。


 違う。

 それは空じゃない。

 想が泣いていた。


「おいおい。泣くなって。そんなんで今後、大丈夫なのかよ。それに、晴れにしてくれって言っただろ」


 想は小さく頷く。

 だが――陣の目元も、いつの間にか赤くなっていた。


「ったく……締めっぽくしやがって」


「ごめん……」


「本当は、これ……使いたくなかったんだけどなー」


 陣はそう言って、ポケットから一通の封筒を取り出した。


「それは――!」


 想は息を呑む。

 それは、かつて自分が貰ったラブレターだった。

 突風に攫われ、失くしたはずの――。


「実はさ。こっそり探してたんだ」


「なんで……そんなこと」


 風に飛ばされた手紙を探すなんて、簡単なはずがない。


「だってよ。この子のこと――俺は好きだったんだ!!」


 陣が、照れも隠さず叫んだ。


「え……」


 想は言葉を失った。


「だから、お前がこの手紙を無くしてたって、俺が言いに行ったんだよ。そしたらお前が嫌われると思ってな」

「刃……」

「そしたらさ……俺が嫌われた」


 一瞬の沈黙。

 そして――。


 想と陣は顔を見合わせ、同時に吹き出した。


 腹を抱えて笑うほどでもない。

 けれど、込み上げてきて止められない笑いだった。


「そりゃ嫌われるって。だって、めちゃくちゃダサいもん」


 想は目尻に残った涙を拭いながら言った。


「うるせー。それくらい、俺は好きだったんだよ」


 陣はそっぽを向きながらも、どこか誇らしそうだった。


 気付けば、雨は止んでいた。

 雲の切れ間から光が差し込む。


「おい……見ろよ」


 陣が顎で空を指す。


「虹だな」


 空に、ゆっくりと虹が架かっていた。


 二人は並んでそれを見上げ、同時に呟く。


「あの時ほど――綺麗じゃないな」


 それでも。

 その虹を見て、二人はもう一度、静かに笑い合った。

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