第1話 売り先は故郷

ジェイド・ヴァーニストは、いわゆる旅の商人だった。

ただし扱う品は人であり、奴隷商人という肩書きが付く。


店は持たない。

看板も掲げない。

決まった拠点もない。


その代わり、荷馬車一台と最低限の書類、それから商人としての勘だけを頼りに、国と国の間を移動している。

安く買える理由を見つけ、高く売れる相手を探し、条件が合えばそこで取引をする。

それだけの仕事だ。


善人ではない。

だが、無計画でもない。


扱うのが人間である以上、雑に扱えば価値が落ちることを知っている。

壊れた商品は売れないし、面倒を抱えた商品は長く持つほど損になる。

だから、最低限の手間は惜しまない。


それを優しさと呼ぶ者もいるし、冷酷だと言う者もいる。

ジェイド自身は、どちらでもいいと思っている。


商売として正しいかどうか。

それだけが判断基準だった。





荷馬車は街道をゆっくりと進んでいた。舗装などされていない道はところどころ石が露出していて、馬の蹄がそれを踏むたびに車体が揺れるが、今さら気にするようなことでもない。この辺りの道はどこも似たようなものだ。


道の両脇には森が続いている。ただし鬱蒼としているわけではなく、枝は高く、下草もある程度刈られていて、少なくとも何かが飛び出してきそうな雰囲気はない。

魔物の気配も感じないし、獣の鳴き声も聞こえない。街道として使われている以上、この森は人の管理が入っている安全な部類だ。


「酔ったか?」


そう聞くと、荷馬車の後ろで揺れに身を任せていたリーナが、小さく首を振った。


「少しだけです」


年は二十前後。髪は手入れされていないが絡まってはいないし、顔立ちも整っている部類だ。服は簡素で、動きやすさを優先したものだが、破れや汚れは最低限に抑えられている。

少なくとも、雑に扱われてきた様子はない。


声は落ち着いている。感情が表に出にくく、こちらを見上げるときも視線は真っ直ぐで、媚びるような様子はない。

そのくせ、強気に出るわけでもなく、言われたことは一度受け止めてから返すタイプだ。


「吐いたら止める」

「……止めてから言ってください」

「それだと俺が掃除係になるだろ」


軽口を挟むと、リーナはほんの一瞬だけ口元を緩めた。笑うほどではないが、拒絶もしない。この距離感が一番扱いやすい。


後ろを振り返ると、男が二人、壁にもたれて静かに座っている。無駄口は叩かず、体力を温存するタイプだ。子供は毛布に包まれて眠っていて、道の揺れにもすっかり慣れたらしい。荷馬車の中の空気は、必要以上に荒れてはいない。


「もうすぐ境界だ」


そう言うと、リーナは視線を上げた。


「……もうですか」


丘の向こうには、領地を示す旗が見え始めている。色は褪せ、布も薄い。

金がない土地だということは一目で分かるが、それはつまり人が住んでいるということでもある。


「逃げるなら今だぞ」


「逃げません」


即答だった。声に揺れはない。


逃げた場合どうなるかを、この子はもう理解している。森に入れば身を隠すことはできるが、今度は山賊や人攫いの領域だ。魔物が出るほど深くはないが、安全とも言えない。その先にあるのは、さらに値段が下がる未来だけだ。


「森でやられたんだったな」


「……はい」


リーナは視線を落とした。俯き方は浅く、完全に顔を隠すことはしない。


街道のすぐ脇でも、森の中は暗く、木の幹が視界を切り、音も吸われやすい。襲う側にとっては、これ以上ない場所だ。


「一人で入ったのが悪い」


「……分かっています」


「分かってるならいい。次は生き残れ」


慰める気はない。この世界では、それで十分だ。


山賊に捕まり、違法な商人に流され、正規の商人に渡る。書類自体は揃っているが、経路が汚いというだけで扱いは一段落ちる。

後から揉める可能性がある商品を、わざわざ高く買う商人はいない。


面倒な商品は、安い。世の中はだいたいその法則で回っている。


夜になると、リーナは森の気配に敏感になる。遠くの物音に反応して目を覚まし、眠りが浅くなる。騒ぎ立てるわけではないが、身を強張らせる癖が抜けない。それを嫌がる商人は多いし、敬遠される理由としては十分だった。


「扱いづらいって判断された」


「……」


「俺は、そう思わなかった」


理由は単純だ。安かったから。


「壊れてたら買わない」


「……商品、ですか」


「商品だ。俺は商人だからな」


感情を挟むと、余計なことになる。この距離感が一番楽だ。


門が近づいてくる。兵士が二人、槍を持って立っているが、周囲を警戒する様子は薄い。この辺りは平和な土地らしい。


「戻れると、思いますか」


「戻れる」


そう、断言する。


「……住めますか」


「それは交渉次第だ」


金は出ないだろうが、労働と物資は出る。それで十分だ。


無償はない。それだけは譲らない。


「これは救済じゃない」


「……分かっています」


「商売だ」


「……はい」


荷馬車を止め、境界の門を見上げる。森の風と土の匂いが混ざる。


感情は値段に乗る。今日は、その条件が揃っている。


悪くない取引になりそうだ。

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