第1話 売り先は故郷
ジェイド・ヴァーニストは、いわゆる旅の商人だった。
ただし扱う品は人であり、奴隷商人という肩書きが付く。
店は持たない。
看板も掲げない。
決まった拠点もない。
その代わり、荷馬車一台と最低限の書類、それから商人としての勘だけを頼りに、国と国の間を移動している。
安く買える理由を見つけ、高く売れる相手を探し、条件が合えばそこで取引をする。
それだけの仕事だ。
善人ではない。
だが、無計画でもない。
扱うのが人間である以上、雑に扱えば価値が落ちることを知っている。
壊れた商品は売れないし、面倒を抱えた商品は長く持つほど損になる。
だから、最低限の手間は惜しまない。
それを優しさと呼ぶ者もいるし、冷酷だと言う者もいる。
ジェイド自身は、どちらでもいいと思っている。
商売として正しいかどうか。
それだけが判断基準だった。
◇
荷馬車は街道をゆっくりと進んでいた。舗装などされていない道はところどころ石が露出していて、馬の蹄がそれを踏むたびに車体が揺れるが、今さら気にするようなことでもない。この辺りの道はどこも似たようなものだ。
道の両脇には森が続いている。ただし鬱蒼としているわけではなく、枝は高く、下草もある程度刈られていて、少なくとも何かが飛び出してきそうな雰囲気はない。
魔物の気配も感じないし、獣の鳴き声も聞こえない。街道として使われている以上、この森は人の管理が入っている安全な部類だ。
「酔ったか?」
そう聞くと、荷馬車の後ろで揺れに身を任せていたリーナが、小さく首を振った。
「少しだけです」
年は二十前後。髪は手入れされていないが絡まってはいないし、顔立ちも整っている部類だ。服は簡素で、動きやすさを優先したものだが、破れや汚れは最低限に抑えられている。
少なくとも、雑に扱われてきた様子はない。
声は落ち着いている。感情が表に出にくく、こちらを見上げるときも視線は真っ直ぐで、媚びるような様子はない。
そのくせ、強気に出るわけでもなく、言われたことは一度受け止めてから返すタイプだ。
「吐いたら止める」
「……止めてから言ってください」
「それだと俺が掃除係になるだろ」
軽口を挟むと、リーナはほんの一瞬だけ口元を緩めた。笑うほどではないが、拒絶もしない。この距離感が一番扱いやすい。
後ろを振り返ると、男が二人、壁にもたれて静かに座っている。無駄口は叩かず、体力を温存するタイプだ。子供は毛布に包まれて眠っていて、道の揺れにもすっかり慣れたらしい。荷馬車の中の空気は、必要以上に荒れてはいない。
「もうすぐ境界だ」
そう言うと、リーナは視線を上げた。
「……もうですか」
丘の向こうには、領地を示す旗が見え始めている。色は褪せ、布も薄い。
金がない土地だということは一目で分かるが、それはつまり人が住んでいるということでもある。
「逃げるなら今だぞ」
「逃げません」
即答だった。声に揺れはない。
逃げた場合どうなるかを、この子はもう理解している。森に入れば身を隠すことはできるが、今度は山賊や人攫いの領域だ。魔物が出るほど深くはないが、安全とも言えない。その先にあるのは、さらに値段が下がる未来だけだ。
「森でやられたんだったな」
「……はい」
リーナは視線を落とした。俯き方は浅く、完全に顔を隠すことはしない。
街道のすぐ脇でも、森の中は暗く、木の幹が視界を切り、音も吸われやすい。襲う側にとっては、これ以上ない場所だ。
「一人で入ったのが悪い」
「……分かっています」
「分かってるならいい。次は生き残れ」
慰める気はない。この世界では、それで十分だ。
山賊に捕まり、違法な商人に流され、正規の商人に渡る。書類自体は揃っているが、経路が汚いというだけで扱いは一段落ちる。
後から揉める可能性がある商品を、わざわざ高く買う商人はいない。
面倒な商品は、安い。世の中はだいたいその法則で回っている。
夜になると、リーナは森の気配に敏感になる。遠くの物音に反応して目を覚まし、眠りが浅くなる。騒ぎ立てるわけではないが、身を強張らせる癖が抜けない。それを嫌がる商人は多いし、敬遠される理由としては十分だった。
「扱いづらいって判断された」
「……」
「俺は、そう思わなかった」
理由は単純だ。安かったから。
「壊れてたら買わない」
「……商品、ですか」
「商品だ。俺は商人だからな」
感情を挟むと、余計なことになる。この距離感が一番楽だ。
門が近づいてくる。兵士が二人、槍を持って立っているが、周囲を警戒する様子は薄い。この辺りは平和な土地らしい。
「戻れると、思いますか」
「戻れる」
そう、断言する。
「……住めますか」
「それは交渉次第だ」
金は出ないだろうが、労働と物資は出る。それで十分だ。
無償はない。それだけは譲らない。
「これは救済じゃない」
「……分かっています」
「商売だ」
「……はい」
荷馬車を止め、境界の門を見上げる。森の風と土の匂いが混ざる。
感情は値段に乗る。今日は、その条件が揃っている。
悪くない取引になりそうだ。
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