お年玉ゲーム
前野チロル
「あけましておめでとうごさいます。」
――なぜ俺は、金を持っていることに、ここまで違和感を覚えないのだろう。
大学二年。一人暮らし。
駅から徒歩十分の、安いアパート。
仕送りは最低限。足りない分はバイトで補う。
特別に貧しいわけでも、裕福なわけでもない。
それが、俺の人生だった。
金に困ったことはある。
だが、金に怯えたことはなかった。
理由は、たぶん――
「もらう」という行為に、慣れすぎていたからだ。子どもの頃、正月は嫌いじゃなかった。
親戚の家に集まり、頭を下げ、「大きくなったね」と言われ、小さなポチ袋を受け取る。
中身の金額を確認する前から、
それが自分のものだと信じて疑わなかった。
使い道なんて考えなかった。
欲しいゲーム。
新しい服。
友達との遊び。
誰かの労力や、誰かの人生の時間が、
その紙幣に染み込んでいるなんて、考えもしなかった。
大学生になってからも、変わらない。
親からの仕送り。バイト代。奨学金。
数字が増え、
数字が減り、
また増える。
スマホの画面の中で、
金はただの「数値」だった。
――だから、だ。
あのモニターに
〈所持金:1億円〉
と表示された瞬間、俺は恐怖よりも先に、こう思ってしまった。
「……多すぎるな」
使い切れるのか?
そんなことを、
一瞬でも考えてしまった自分に、
あとから吐き気がした。
金は、いつだって
「使う側」に回るものだった。
誰かからもらい、
誰かに渡し、
自分はその中心に立っている。
まさか――
その“支払い”が、自分の命そのものだとは、
この時の俺は、まだ気づいていなかった。
モニターの端に、小さな文字が点滅した。
〈連絡可能〉
指先が、勝手に動いた。
頭に浮かんだのは、高校時代からの友人――大輔だった。派手じゃない。正義感もない。
でも、現実的で、困った時は文句を言いながらも手を貸す男。
少なくとも、
金に目が眩むタイプではないと、
俺は信じていた。
コール音。
一回。
二回。
映像が繋がる。
「……誰だと思ったら、お前か」
画面の向こうで、
大輔はソファに寝転がっていた。
背後には、見覚えのない高そうなテレビ。
「今、話せるか?」
「まあな。どうした?」
俺は、できるだけ簡潔に説明した。
目が覚めたら拘束されていたこと。
部屋から出られないこと。
モニター越しに、
金で交渉しろと言われていること。
「……は?」
大輔は一度、鼻で笑った。
「新手のドッキリ?」
「違う。マジだ」
俺は、モニターに表示された数字を、
画面越しに見せた。
〈所持金:1億円〉
大輔の表情が、ゆっくり変わる。
「……一億?」
「助けに来てほしい。金はいくらでも払う」
沈黙。数秒。
いや、
俺には異様に長く感じた。
「なるほどね」
大輔は、体を起こした。
「じゃあさ」
嫌な予感がした。
「まず三千万、くれ」
「……は?」
「現金じゃなくていい。今すぐ振り込めるんだろ?」
声は、驚くほど冷静だった。
「お前の話が本当かどうか、確かめる必要がある」
「確かめる?」
「そう。俺の口座に、本当に金が振り込まれるかどうか」
俺は、喉の奥がひくりと鳴るのを感じた。
「それは……助けに来る前提で、だよな?」
「もちろん」
大輔は、笑った。
「信用の問題だろ?」
逃げ場はなかった。
モニターに、
〈金額を入力してください〉
と表示される。
俺は、震える指で
「30,000,000」
と打ち込んだ。
送金。
数秒後。
大輔のスマホが、
小さく震えた。
「――マジかよ」
画面越しでも分かるほど、
彼の目が輝いた。
「本当に来た」
「だから言っただろ。
本当だって」
「……すげえな」
大輔は、
しばらくスマホを見つめていた。
「で?いつ来るんだ?」
俺は、必死に聞いた。
大輔は、画面から目を離さずに答えた。
「ああ、それなんだけどさ」
嫌な沈黙。
「正直、この金額使っても、警察は動かないと思う」
「……は?」
「行方不明ってだけじゃ弱い。証拠もないし」
「じゃあ――」
「でも、策ならある」
心臓が跳ねた。
「本当か?」
「うん」
その瞬間。
画面が、ブラックアウトした。
〈通信が切断されました〉
「おい!」
俺は叫んだ。再接続を試みる。
繋がらない。
数分後、
ようやく繋がった映像には――
夜景が映っていた。
高層階の、バー。
「悪い悪い」
大輔の声。酒のグラス。
「ちょっと外に出てた」
「策は!?さっき言ってた策は!?」
「ああ」
彼は、グラスを傾けた。
「追加で三千万くれたら、本気で考えるよ」
その笑顔を見た瞬間、
俺は理解した。
――こいつは、
もう助けに来ない。
「今、いいワイン頼んでてさ」
大輔は、楽しそうに言った。
「お前のお年玉で」
バーの騒音が、突然、消えた。
大輔の笑い声も、グラスの触れ合う音も、
すべてが途切れ、部屋には再び沈黙が落ちる。
〈通信が切断されました〉
「……くそ」
吐き捨てるように言ったが、
怒鳴る気力すら残っていなかった。
そのとき、モニターが静かに切り替わる。
〈追加情報を通知します〉
嫌な予感が、
遅れて胸に広がる。
〈所持金は、あなた専用の資産です〉
〈第三者への譲渡は、即時反映されます〉
「……だから?」
自分でも驚くほど、声は冷めていた。
〈なお、本資産は再発行されません〉
〈一度失われた分は、いかなる理由があっても
戻ることはありません〉
「……」
モニターに、
新しい数字が表示される。
〈所持金:70,000,000円〉
「七千万……」
三千万。
さっき、大輔に渡した金額。
当たり前の結果のはずなのに、
胸の奥が、妙にざわついた。
〈参考情報〉
〈残高の減少は、あなた自身にのみ影響します〉
「俺に……?」
〈他者には影響しません〉
その一文だけが、
やけに強調されて見えた。
「……どういう意味だよ」
もちろん、答えはない。
〈残高がゼロになった場合〉
〈ゲームは終了します〉
「終了って……負けってことか?」
〈勝利条件〉
〈この部屋から脱出する〉
同じ表示。
だが、最初に見た時とは、
重みが違う。
俺は、無意識に胸に手を当てていた。
何かを失った感覚がある。
金――
だけじゃない。
だが、それが何なのかは、はっきりしなかった。モニターの下部に、小さく文字が浮かぶ。
〈連絡可能〉
「……」
次は誰をあたるか。候補が何人か思い浮かぶ。
しかし大輔のこともある。中途半端な信頼関係では、また金を搾り取られて終わりだ…。
その中で、まだ信じられる“まともな友人”。
スマホの画面が、
勝手に点灯する。
呼び出し音は、一度で止まった。
「……もしもし?」
映像に映ったのは、亮だった。
大学で知り合った友人。
派手さはないが、人の話をきちんと聞く男。
飲み会では、いつも最後まで残るタイプ。
「今、大丈夫か?」
俺の声は、自分でも驚くほど早口だった。
「うん。どうした?」
俺は、また説明を始めた。
目が覚めたら、
知らない部屋にいたこと。
動けないこと。
金を払えば、
助けを呼べると言われていること。
途中、大輔の名前を出したとき、
亮の眉が僅かに動いた。
「……金、もう払ったのか」
「三千万」
少し間が空いた。
「……正直に言う」
亮は、カメラ越しでも分かるほど、
真剣な顔になった。
「それ、かなりまずい状況だと思う」
「だよな」
「でも――」
俺は、その「でも」に、
すがるような気持ちになった。
「監禁だとしたら、普通は証拠が必要だ」
「証拠……」
「位置情報、音、映像の反射」
亮は、淡々と続ける。
「今の映像、天井に何か映ってるか?」
俺は、必死に首を動かした。
「……照明だけだ」
「音は?」
「……エアコンみたいなのが、
ずっと鳴ってる」
「それでいい」
亮は、少しだけ頷いた。
「策ならある」
その言葉に、心臓が強く打った。
「本当か?」「ただし――」
亮は、言葉を選ぶように、
一度視線を外した。
「時間がかかる」
「時間?」
「警察に話を通す。弁護士にも相談する。正式な手続きで、居場所を特定する」
「……いくらかかる?」
俺は、思わず聞いていた。
亮は、一瞬だけ困った顔をした。
「金の話じゃない」
その言葉に、胸が少し軽くなる。
「お前、今かなり追い詰められてる」
「……ああ」
「だから、冷静な判断ができてない」
亮は、画面越しに俺を見つめた。
「今すぐ金を払うのは、一番ダメだ」
「でも、払わないと出られない」
「それは、向こうの言い分だ」
亮は、一度深呼吸した。
「いいか。これは“ゲーム”だ」
「……」
「相手は、お前が焦るのを待ってる」
俺は、唇を噛んだ。
分かっている。
理屈は。
でも――
「俺、 もう三千万払ってる」
その瞬間、亮の表情が、
はっきりと曇った。
「……そうか」
沈黙。
「なあ」
俺は、声を落とした。
「もし、もう少し金を払えば、すぐ助けに来てもらえるとしたら――」
「ダメだ」
即答だった。
「それは、完全に相手の思う壺だ」
「でも――」
「聞け」
亮は、少しだけ声を強めた。
「今は、何も払うな」
「……」
「俺が動く」
その一言で、胸の奥に溜まっていたものが、
少しだけ溶けた。
「ありがとう」
「礼を言うのは早い」
亮は、苦笑した。
「ただ、一つだけ問題がある」
「何だ?」
亮は、画面を見ながら、慎重に言葉を選んだ。
「この“ゲーム”、金の減り方が不自然だ」
「不自然?」
「金額が減った時、お前、何か変な感じしなかったか?」
「……変な感じ?」
「疲れたとか、息苦しいとか、理由のない違和感」
俺は、一瞬、
自分の体を意識した。
確かに――
胸の奥に、
小さな空白がある気がした。でも。
「……分からない」
亮は、画面越しに、じっと俺を見つめた。
「……そうか」
そして、低い声で言った。
「しかし、
策ならある」
「さっきも言ってたな」
「ただし――」
亮は、そこで言葉を切った。
「これは、
最悪の可能性を
考えた上での話だ」
「最悪?」
亮が、口を開こうとした、その瞬間。
映像が、大きく歪んだ。
「おい?」
〈通信品質が低下しています〉
「亮、
聞こえるか?」
〈……〉
「おい!」
亮の口が、
何かを言いかけている。
だが、音は届かない。
〈通信が切断されました〉
「……くそ」
再接続。拒否。再度、拒否。
モニターには、冷たい文字だけが残った。
〈連絡可能〉
俺は、しばらくそれを見つめていた。
策はあった。確かに。
でも、その策を聞く前に、
世界はそれを奪った。
「っ…」
それからどれだけ時間が経ったのだろう。
知り合いを何人もあたってみた。あえて、あまり面識のない友人に連絡してみたり、遠い親戚、高校の時の担任教師。
しかし、数を重ねるごとに、俺は人を信じれなくなり、それに応えるかのように金だけが搾り取られていく。投げやりな気持ちでも、本気で挑んでも、結局は皆、ゲームの内容など聞いてはいない。
俺はもう、
残る選択肢は、
一つだけ。
俺は、最後の名前を見つめた。
恋人。
金の話を、一番したくない相手。
でも――
一番、信じたい相手。
呼び出し音は、
三回鳴った。
切られるかもしれない。
そう思った瞬間、映像が繋がる。
「……なに?」
恋人は、少し疲れた顔をしていた。
部屋着。
背景は、
見慣れたワンルーム。
「今、大丈夫?」
「別に。どうしたの」
声は、冷たくも、優しくもない。
俺は、いつものように、雑談から入れなかった。
「助けてほしい」
一瞬、彼女の眉が動いた。
「……は?」
「冗談じゃない。本当に」
俺は、また説明を始めた。
知らない部屋。
動かない体。
金を払えば、人を呼べるというルール。
彼女は、途中で口を挟まなかった。
ただ、黙って聞いている。
「……で?」
説明が終わると、短くそう言った。
「助けに来てほしい」
「お金?」
「……ああ」
彼女は、少しだけ視線を落とした。
「いくら?
その言葉に、胸が痛んだ。
「……いくらでも」
沈黙。彼女は、ため息をついた。
「ねえ」
「なに?」
「私たち、最近どうだった?」
不意打ちだった。
「……どうって」
「ちゃんと話、してたっけ?」
俺は、答えられなかった。
「連絡、減ってたよね」
「それは……」
「会っても、スマホ見てばっかり」
彼女は、画面越しに俺を見た。
「正直さ」
少しだけ、
声が低くなる。
「今の話、信じろって言われても、難しい」
「……」
「でも」
彼女は、続けた。
「それでも、もし本当だったら」
一拍。
「最低だね」
その言葉が、静かに落ちた。
「こんな状況で、お金の話をしなきゃいけないの」
俺は、何も言えなかった。
反論できなかった。
「でもさ」
彼女は、
息を吸った。
「助けないわけ、ないでしょ」
その一言で、喉の奥が詰まった。
「……ありがとう」
「条件がある」
現実に、引き戻される。
「金額は、私が決める」
「……分かった」
「残ってるの、いくら?」
俺は、正直に答えた。
「……一円」
彼女は、目を見開いた。
「は?」
「他のやつに、全部取られた」
沈黙。
数秒。
彼女は、
笑った。
乾いた、でもどこか懐かしい笑い。
「ほんと、最低」
それでも。
「じゃあさ」
彼女は、画面に顔を近づけた。
「その一円、ちょうだい」
「……それでいいのか」
「いいよ」
即答だった。
「お年玉だと思えば」
その言葉を聞いた瞬間、
なぜか、胸が温かくなった。
モニターに、表示が出る。
〈金額を入力してください〉
俺は、震える指で
「1」と打った。
送信。彼女のスマホが、
小さく震える。
「……来た」
「これで、助けに来てくれるか」
「行くよ」
彼女は、
頷いた。
「絶対、行く。まずは…警察いや、信じてくれるかな」
俺は、笑った。
「ありがとう」
「待ってて」
その瞬間。
視界が、
ゆっくりと暗くなった。
「……あれ?」
声が、出ない。
彼女の口が、何かを叫んでいる。
音は、もう聞こえなかった。
〈残高:0〉
その表示だけが、
はっきりと見えた。
━━━━━━━━━━━━━━━
駅前は、正月の名残で少しだけ賑わっていた。
「行方不明者捜索へのご協力をお願いします」
彼女はそう言って、小さな箱を差し出していた。段ボールに貼られた紙には、見慣れた名前と、少し古い写真。通り過ぎる人のほとんどは、一瞥だけして足を止めない。
中年の男が、ポケットから小銭を取り出した。
硬貨が落ちる音。彼女は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
声は、震えていなかった。
募金箱の中身は、まだ軽い。
それでも彼女は、何度も同じ言葉を繰り返した。
通りの向こうで、
小さな声がした。
「ねえ、
お年玉ちょうだい」
振り返ると、母親の手を引いた少女が、にこにこしながら言っていた。
「こら」
母親は、少し困った顔で少女の手を引く。
「そんなこと言わないの」
少女は、不満そうに口を尖らせた。
「だって、みんなからもらってるもん」
母親は、苦笑いを浮かべて、軽く頭を下げた。
「すみません」
彼女は、何も言わずに頷いた。
お年玉ゲーム 前野チロル @chirorumaeno
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