青褪めた月

 好きの反対は無関心だ、なんて。そんなことを、誰が言い始めたのだろう。好きの反対なんて、考えるまでもなく嫌いに決まっているのに。

 もしも嫌いではなく、無関心であってくれたのなら、どれほど良かったことだろう。

 でも、天原美月わたしの現実はそうではなくて。

 物心ついた時から私の周りを取り巻いていたのは。

 嫌い。

 嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い──

 そんな単色の感情だけ。

 ある時は、言葉の刃で直接に。またある時は、その視線や表情で雄弁に、私は否定され続けてきた。

 だから──

 大袈裟なのかもしれない。

 けれど彼女が、雫が私という存在に何の関心も抱いていないのだと気づいたあの時に。苦しいだけのこの世界にも、確かに救いはあるのだと、そう信じることができたのだ。



 きっと、家というものは牢獄で、親とはその看守なのだ。私がそう気付かされたのは、物心着いて直ぐのことだったように思う。

 客観的に見るならば、私の家庭は恵まれていると言えるだろう。

 私の両親は、共に世に言う旧華族。だから、十分な資産と広大な土地を有していたし、それに伴う様々なコネクションも持っていた。

 そのうえ、父はいずれ総理の座すら狙えるとまで言われている政治家なのだから、社会的な身分に関しては十分過ぎると言っていい。

 しかし、そんな父にとって。

 そしてまた、私にとっても。

 不幸だったことがあるとすれば、それは己が優秀に過ぎたことだったのだろう。

 およそ挫折というものと無縁であった父は、それゆえ信じて疑わない。優秀な自分の遺伝子から産まれる子は当然、自分と同じように優秀であると。

 けれど、そんな根拠のない妄信も虚しく。産まれたのは、色のない子供わたし

 白皮症、つまりは先天的なの欠陥。

 そんな私を見て父が何を思ったのか、正確なところまではわからない。

 それでも、私が成長し、多少なりとも言葉を理解できるようになったとき、父から向けられた最初の言葉だけは覚えている。

「出来損ない」

 当時はまだ、その言葉の意味をはっきりと理解は出来なかった。

 それでも、父の表情や視線から読み取れる侮蔑や嫌悪の色から、私という存在は望まれてこの世界に生まれ落ちたのではないのだと、そう否応なしに理解させられたのだ。

 だから、そんな父に対して苦手意識を、憎悪を抱くのは当然のことで、母に縋ろうとしたこともあった。

 けれど、

「父の足を引くような真似はするな、せめて誰にも見られないように過ごしてくれ」

 返ってきたのはそんな言葉だけ。

 直接言葉にこそしなかったものの、結局のところ母も父と同じ。

 自分の遺伝子から産まれた子だとは思えない、と。その表情が、何よりも雄弁に物語っていた。

 私を可能な限り人目に晒したくないからと、たとえ私が活動できる夜であろうと外に出ることは許されなくて。

 だから私は、少なくとも記憶している限りにおいて殆ど外に出られたことはなかった。

 勿論、そこは遊びたい盛りの子供だ。

 外に対する興味も憧れもあったけれど、子供心に、それは叶うことがないだろうということも薄々と理解していた。




 そうして、何もしないまま、何もできないまま過ごしていた私に、転機が訪れたのは十歳の頃。

「明日から学校に通え」

 と、あまりに唐突に。

 滅多に話しかけてくることのない父から一方的に告げられ、当時の私はそれは困惑したものだ。これまで一切外に出してくれなかった癖に、今更何故と。

 今になって思えば、大方育児放棄ネグレクトを行う親というレッテルを貼られるよりはまだマシだと思ったのだろうが。

 まったく、あの男の考えそうなことだ。

 父にとっては皮肉なことに、私が白皮症なのは彼にとって実に都合が良かったのだと思う。それを理由にすれば、学校に通わせる回数も最小限で済むのだから。

 そうであるならば、まだ出来損ないわたしを外に出すことのリスクも許容できる範囲だと考えたのだろう。

 だから、この時から今に至るまで、私が学校に通うことを許されるのは一日中雨の日だけ。

 小中の頃ならばともかく、高校ともなれば本来は出席日数の都合上、そんなことは許されない筈なのだけれど。

 そこは偉い偉い父が押し通したのだろう。全く、そこまでするのかと呆れてしまう。

 故に私が外に出られるのは、精々が月に三、四日といったところだろうか。

 それでも、当時の私には衝撃的で。初めて外に出られることが、そして何より両親ではない「誰か」に出会えることが嬉しくて仕方がなかった。

 この牢獄いえの外には、私を好きになってくれる誰かがいるかもしれないと、心を躍らせながら登校したものだ。

 結局、そんな期待は幻想でしかなかったのだけれど。

 子供にとって、自分と違うということは、それだけで排斥の対象となるものなのだから。

 まして、すでにある程度コミュニティが形成されているにもかかわらず後追いで、それも滅多に来ない癖にそこに参入を試みる輩など、歓迎されようはずもない。

 本来頼るべき教師さえ、面倒事は御免だからか、あるいはけんりょくしゃに何かを吹き込まれてか、何一つ手を差し伸べてくれなかったものだから、必然孤独はいや増すばかり。

 勿論苦痛を味わうくらいなら、これ以上外に出ないというのも一つの選択ではあった。

 幻想が打ち砕かれた今、殊更に外に拘る理由も最早ない。

 父にもう通いたくないと伝えれば、それが叶った見込みはそれなりにあった。実際、それ自体は父の利益とも一致するのだから。

 そうして、いつの頃からか描くようになっていた絵にでも没頭しながら、自室に閉じこもっていたほうがまだしも幸せだったのかもしれない。

 それでも結局、誰一人助けてくれることのない学校に通い続けることを選んだのは、やはり何処かで願っていたからなのだろう。

 そんな奇跡など起こるはずがないと思いながらも、いつか見た目や両親の存在に縛られず、本当の私を見てくれる誰かが現れることを。

 私が初めて外に出てから、凡そ七年。

 あの男が私を大学まで通わせるつもりがないことはわかっていた。だからきっと、外に出ることを許されるのも今年が最後。

 結局最後まで「誰か」が現れることはなかったなと、半ば諦めかけていた頃。

 遂に願いは結実する。

 陳腐な言い方にはなるけれど、それはまるで、運命のように。

 私は出逢ったのだ。

 私を私として見てくれる誰かに。石上雫という少女に。




 それは一月前のこと。雨が降り頻る中、私は学校へ向かっていた。学校なんて大嫌いだけど、通学自体は嫌いじゃない。

 運動不足のこの身には中々堪えるとはいえ、景色が移り変わっていくのを見るのは気分の良いものだ。

 流れゆく川も、人の行き交う商店街も、どれも自宅からは見ることのできない光景で。だから、雨は好きだ。私にとって雨は、知らない世界へ飛び出していける通行券のようなものだから。

 それでも少し不満があるとすれば、登校もすでに三年目。

 通った回数自体は少ないとはいえ、それでも流石に目新しさも薄れてきている。叶うことはないのだろうが、もし出来ることならば様々な景色を目にしてみたいものだ。

 そんな風に考えていたのが良くなかったのか。

 ばさ、という音と共に手に軽い衝撃が走る。どうやら傘をぶつけてしまったらしい。

「ごめんなさい。大丈夫かしら」

 幸い傘同士が軽くぶつかっただけだ、怪我があるようには見えない。

 先ずはそのことに安堵する。けれど、同時に憂鬱も襲う。

 私を認識した相手は、その大体が変なものを見たとばかりに嫌悪の目で見る。最早それには慣れたとはいえ、堪えるという感情まで失ったわけではない。

 だから、今回もまたそうなのだろうと私は当たり前に思っていた。

「……別に、大丈夫だから」

 けれど、予想に反して少女はちらりと私を一瞥しただけで、それ以上何も言わずに去っていった。

 たったそれだけ。それこそ、時間にすれば十秒にも満たないであろう邂逅。それは他人から見れば、本当になんてことのない一幕だろう。

 だけど。

「信じられない」

 あの少女の目は、明らかに私を捉えていた。その上で、何一つ興味を抱いてはいなかった。

 悪意で一色に染められていたはずの私の世界に、初めてそれ以外の色が混じる。

 私に関心を持っていないこと自体は当然だ。ただ一度、それも軽く会話をしただけの相手に興味を持てというほうが難しいのだから。

 重要なのは、アルビノという記号を抜きに私を見てくれたこと。もしもそうでなければ無関心でなどいてくれるはずがないことは、この十七年の人生で嫌というほど思い知らされ続けてきた。

 熱を感じる。私の胸が、今まで感じたことのない熱を帯びていく。

 彼女は誰なのだろう。どうして、私に負の感情を抱かずにいられたのだろう。

 知りたい。なんとしてでももう一度、彼女に会いたい。

 彼女の着ていた制服は、間違いなくうちの学校のものだった。顔ははっきりと見えなかったから、確かな情報はその一つだけ。

 それでも構わない。必ず見つけ出してみせる。

 そう決意してから一ヵ月。名前も顔も知らない相手を見つけ出すのは想像以上に大変だった。随分と時間はかかってしまったけれど、その甲斐あってようやく見つけた。

 間違いない、あの子だ。あの時、はっきりと顔が見えたわけではないけれど、それでも何故だか確信できる。

 意志の強さを感じさせる鳶色の瞳に、肩の辺りで整えられた栗色のショートボブが合わさり、本来見るものに活動的な印象を与えていたであろう少女は、それに反して随分とやつれているように見える。

 詳細までは分からないが、漏れ聞こえてくる会話から推察するに、なにやら結構な問題を起こしたようだ。そういう意味では、彼女も私と同じく厄介者ということになるのかもしれない。

 だとしても、そんなことは関係ない。私のすべきことは変わらない。この一か月、彼女に会いたいという思いは募っていくばかりだったのだから。

 もう一度顔を見たい。そして、できることなら話してみたい。

 あの日胸に宿った熱は、日に日にその主張を強めていく。女の子を相手に、ではあるけれど。もしかしたら、これが恋という感情なのだろうか。

 わからない。恋なんて、私にとってはあまりにも縁遠い感情だったのだから。

 だからこそ。

「ねえ、雫──」 

 確かめてみたい。この感情の正体を、彼女と一緒に。

「私と恋をして頂戴」

 そしてもし叶うのならば、彼女にも私に関心を、好意を持って欲しい。

 アルビノの少女だれかとしてでなく、天原美月わたしという一人の人間を見て、その全てを知って欲しいと思うのだ。

 その代わり、と言うわけではないけれど。私もあなたが何をしていたとしても、その全てを受け止めるから。

 戸惑いながらも、結局は頷きを返してくれた彼女の姿に思わず笑みが零れる。

 嬉しい。もう絶対に離れてあげない。必ず、後悔なんてさせないから。

 だから、ねえ、雫。

 私と一緒に、生きましょう。

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雨に月光 水無月 碧 @Rutie

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