或る襖絵

疋田匹

或る襖絵



とある襖の前に、私は立っている。


畳四畳分はあろうかと見える、おおきな襖だ。

二枚の襖はぴっちりと閉じ切られている。


私がこうして、もう長いこと立ち尽くしているのは、なにも閉じ込められているからとかして、途方に暮れているのではない。


女が、そう女が、私をとらえているのだ。


なよやかな女である。

肉色の線が辿る輪郭は、ともすれば掠れ消えそうなほど弱々しい。おっとりと下がる薄墨眉も、慎ましい鼻や口も、全てがいささか過剰なまでに前時代風なつくりである。


衣装も同じくだ。


女の身を包むのは艶やかな十二単。

錦織の虹が架かる胸元へ、ふっさりとして豊かな、こればかりは生命力に溢れた黒髪が長く長く落ちてゆく。


瀑布のように流れる黒髪は、しかし私の正面でこつ然と立ち消えてしまう。


当然のことだ。

何故なら女は、襖絵である。


四畳分はあろうかという襖二枚にわたって描かれた、途方もなく巨大な襖絵だ。


ここまで微細に語っておきながら、私が女の目について語らないことを、あなた方は不自然に思うだろう。


語りようがないのだ。

女は目を閉ざしているのだから。


花びらよりも薄い一重の瞼を下ろし、女は死んだように沈黙している。


しかし、私にはその匂やかな呼気が聞こえる。

鼓動も潮騒のごとく畳を伝って感じられる。


全ては襖を隔てて、確かに存在するのだ。


幾度となく、私の手は襖の引き手へと伸びる。

五本の指はひしゃげたような形で届かない。


かといって、私の足は潮騒に浸されながら、立ち去りも出来ずにいる。




蕾に似た唇がうっすらと、ほころびかける。


「おいでくださいまし、わたしのうちへ」


かような女の声を聞く。


私の手はまた引き手へと伸びる。


届いた時、それが本当の最期なのだ。





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