陽部

kugi

陽部

「生きる意味ってわかんなくない?」


 学校の昼休み。

 弁当を食べながら、なんとなく言葉にした。


「どしたん、ユイ?」


 エリは購買で買った焼きそばパンを片手に、その言葉を拾う。


「だって、そうだよ。どんなに立派に生きても、死んだらあの世には何も持っていけないんだよ。頑張って生きても、全部無意味なんじゃない?」

「高校生で虚無主義は流行んないって。みんな、そんなこと考えて生きてないよ」

「じゃあ、何を考えてるの?」

「勉強だるい~とか、推しがどう~とか、そんなのだよ」

「それって、逃げてるだけじゃん。本当の意味で、みんなは人生と向き合ってないんだ」

「ユイ~。人生楽しんでる人にまでケチつけるのはインモラルだよ。ていうか――」


 エリは話を続ける。

「インモラルって言葉、なんか『陰毛』みたいだよね」


 私は飲んでいた紙パックの紅茶を噴き出してしまう。


「急に変なこと言わないでよ」

「だってさ、『インモ』まで言っちゃってるんだよ? 75%陰毛ってことだよ」

「今、ご飯食べてるんだけど」

「てことは、インモラルの60%は、75%の陰毛でできてるってことだよ」


 本当にエリは突飛なことを言う。

 そのせいでクラスでも若干浮いているが、私はそんなエリのことを、いつも目で追っていた。


「ていうか、陰毛ってあるけど、陽毛ってないよね。陰があるなら、陽もあるべきなのに」

「いい加減にしなよ」

「ユイが暗いことばっか考えちゃうのも、そのせいなのかも!」

「どういうこと?」

「人間には陰部はあるのに、陽部はないんだよ! だから、心に日が当たらないんだよ!」


 エリは突然、絆創膏を取り出した。

 そして、私の背後に回ると、首の根元にその絆創膏を貼った。


「なんで絆創膏貼ったの?」

「ここが陽部ってことにしよう。そうしたら、ユイも生きる活力が湧くよ」

「なんで首の後ろ……?」

「陰部は下半身にあるから、陽部は上半身にあるでしょ。たぶん、この辺だよ」


 訳が分からないが、結局、絆創膏を貼ったまま午後の授業を受けた。

 そして、剥がそうと思ったのは、帰宅してお風呂に入っていたときだった。


 剥がして、貼ってあった場所に手で触れたとき、驚いた。

 まるでニキビができてしまったかのように、ぷっくりと肌が浮き出ている。


「なにこれ……」

 そこに触れると、肩の力が抜けていく。


 首の後ろにあるせいで、よく見えない。


 風呂から上がり、スマホでそこを撮影して確認する。

 イボのようなものができていた。


 触ってみる。

 痛みはない。


 むしろ、

「あったかい……」


 体の力が抜け、呼吸が深くなる。

 そこには、ただ安心感があった。


 私はエリが言っていたことを思い出す。

「陽部……?」


 エリがここを陽部だと決めたから、陽部になってしまったのだろうか。


 だが、触るのをやめると、また暗い顔に戻った。

 この気持ちになるのは、触れているときだけのようだ。

 それに、散々生きる意味が分からないなんて言っていたのに、肌の隆起に触れただけで生きたくなるのは、気持ちが悪い。


 私は不貞腐れるように眠った。


 次の日、また二人で昼食を食べる。


「エリが昨日、陽部とかいって絆創膏貼ったじゃん」

「そうだったかも」

「これ見て」


 私はエリに陽部を見せる。

「なんかできてるよ」

「昨日帰ったら、できてた。これ、多分、陽部だよ」

「え~? さすがに冗談でしょ?」

「でも、触ったら、なんかいい気分になる」

「そうなの? じゃあ……」


 エリはグリグリと陽部を人差し指で触る。


 乱雑に触られたが、痛みは一切ない。

 ただ、暖かい気持ちになる。


「あんまりベタベタ触らないで」

「今、いい気分なの?」

「……うん」

「えっ、気持ち悪!」


 私はエリの手を振り払った。


「エリが、陽部とか言い出したんじゃん!」

「私も知らないよ! でも、いい気分なら、よかったじゃん」

「でも……」

「でも?」

「ううん、なんでもない」


 私は紙パックの紅茶を一口飲んだ。


 自分で、もう一度、陽部に触れる。


 やっぱりだ。


 エリを横目でちらりと見る。

 今日も焼きそばパンにかぶりついている。


 その手の人差し指が、忘れられなかった。


 放課後、私は帰り道を一人で歩いている。

 一人でいると、自分の世界に入ってしまう。


 そこは、ただの寂しい暗闇だった。


 私は、そこから抜け出したくて、思わず陽部に触れた。

 しかし、そこに差し込む光は、あまりにも小さかった。


「また、エリに押してほしい」

 でも、そんなこと言えない。


 晩ご飯のときも、お風呂でも、寝る前にも陽部に触れたが、最初ほどの安心は得られなかった。


 次の日、私は目を覚ました。


 寝起きの憂鬱感を消したくて、私は陽部に触れようとした。

 だが、触れなかった。


 陽部は消えていた。


 私は言葉を失った。


 学校に来ても、何一つ集中できなかった。


「ユイ~、なにボケっとしてんの?」

「……ごめん。なんでもないよ」


 私たちは、また一緒に昼食を食べている。


「ユイは、まだ陽部あるの?」

「あっ、ちょっと待って」


 エリは、私の陽部があった位置を見た。

「なくなってるじゃん。よかったね」

「えっ!? 何もよくないよ」

「あれって、デキモノでしょ? なくなったほうがいいじゃん」

「あれは、陽部だったの! 押したら生きていける気がした! それがなくなったんだよ! それに、また、エリに……」


 私は、それ以上言えずに黙ってしまう。


 すると、エリが口を開いた。

「陽部は、今もあると思うよ」

「……どういうこと?」

「ユイが、生きていける気がしたなら、それで十分じゃん」


 エリは、にっこりと笑った。


「……歯に……青のりついてる。焼きそばパンの」


 私は思わず笑った。


 ――七年後。


 私は上京して、会社員をしている。

 エリは地元の企業に就職した。

 最近、お互い忙しく、ほとんど連絡は取っていない。


 日が落ちた後のオフィスで、私はパソコンの前にいる。

 明日までに、この資料を作らないといけない。

 ただ、連日の残業で疲れているのも事実だ。


 缶コーヒーを飲んで、一息ついた。


 私はなんとなく、首の後ろを触った。

 そこに、陽部はない。


 だが、なんとなく、自分はまだ生きていけるような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

陽部 kugi @coral_nail

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画