2:前世の記憶と黒歴史

 英里緒には、前世の記憶がある。

 それは、どこの国ともどこの世界とも知れない、曖昧な記憶だった。

 だが当時の名前がエリザベートで、領主か小国の王女か定かではないが、深窓の令嬢だったことは覚えている。

 容姿端麗、才色兼備。

 完璧な令嬢と呼ばれたエリザベートは──しかし、その心は割と大雑把な性格をしていた。

 責任感ゆえに、貴婦人としての所作や教養を身につけ、いつか政治的な理由でどこかに嫁ぐのが当たり前と理解していたが。


──コルセットのない生活がしてみたいですわ。


 とずっと思っていた。


 前世の記憶は、幼少の頃からあった。

 ただ英里緒は、エリザベートだった頃から周囲の空気を読む力が強かった……と言うか、〝臨機応変〟というべき対応力が備わっていて。

 自身が男性であることも、置かれている環境が違うことも、ほぼこだわりなく受け入れていた。


──休日にゆるゆるのトレパンで、昼からビールとか最高!


 はっきり言って、現状のほうが英里緒の性格には合っている。

 英里緒という名前も、前世と音が重なる部分があったので、すぐに馴染めたのも良かった。

 前世の記憶は断片的なので、教養の方はあまり役に立たなかったが、所作は親や他人から好印象を得た。


 そんな英里緒にとって、護衛騎士レオンとの記憶は、現状〝黒歴史〟以外の何物でもない。


 英里緒は、史上最速で牛丼をかっ込むと、部下の視線が微妙に居たたまれない空間から、そそくさと退場した。

 支払いも済ませてある。

 あとは昼休みを堪能して、それぞれ帰社してくれれば問題はない。


 とにかく、一人になりたかった。



§



「エリザベート様!」


 一人になりたくて、逃げるように牛丼屋を出た英里緒の背後を、人目も気にせず大声で呼びかけながら田中が走ってくる。

 英里緒は、後ろを振り返らずに脱兎の如く走り出した。


「エリザベート様!」


 だが、37歳のSE──毎日コンピューターに向かって、肩こりと腰痛に悩む中年と、爽やかイケメンでまだまだ体力に余力のある22歳では、差がありすぎた。

 その距離はあっという間に縮められ、さらに英里緒は息が切れて走れなくなった。


「大丈夫ですか?」

「だ……だれの……せい…………だ……」


 ぜえはあ……ぜえはあ……と息切れ甚だしく、英里緒は言った。


「なぜ、逃げるんです?」

「ひ……と、ちがい……だから……だ」

「あの……エリザベートという女性名を聞いただけで、人違いとおっしゃる時点で、お認めになってらっしゃいますよ?」


 冷静な田中のツッコミに、英里緒は「……あ」と言ったまま、言葉を失った。


「それに、僕がエリザベート様の魂を見誤ったりしません」


 そんなキリッとした顔でドヤ顔されても……と英里緒は思ったが。


「わかった。降参だ」


 英里緒は両手を上げて、大きく息を吐いた。

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