【短編怪談】或る年賀状

久保

或る年賀状



『 

   あけましておめでとうございます


   今回も、うまくいったみたいですね 


   ありがとうございました


   次の人にも、どうぞよろしくお伝えください


   ただ一緒に見守ってくだされば、それで構いませんので

                              』



恐らくは肌がひりつくほど冷え込んでいるであろう、正月の夜。


私は、部屋の机の上にぽんと置かれた一枚のはがきに、視線を落とした。


ごく普通の年賀はがきだ。

干支の絵柄も、印刷の質感も、どこにでもありそうなもの。

そこに、その文章だけがただ添えられている。


昨年と、一言一句違わない。

弱々しく不鮮明な筆跡も、

不自然に広く空いた文の配置も、まったく同じだった。


差出人の名前は、今年もない。

相変わらず、誰から送られてきたものなのかは分からなかった。


唯一の違いがあるとすれば、

宛名の欄に書かれている名前だけだ。



「佐久間祐輔 様」



──私の名前。


そこに自分の名前が書かれている理由は、

もう、明確に分かっていた。




思い返せば、このアパートに引っ越してきたのは、二年前の四月だった。


社会人になり、

半ば強引に実家を追い出され、

初めての一人暮らしを始めることになった。


不動産屋から紹介されたそのアパートは、

相場を考えると、どう考えても安いものだった。


いわゆる、事故物件。


直近の入居者が、入居から一年も経たないうちに、

部屋の中で亡くなったという。


正直なところ、

私は霊感というものを一切持ち合わせていなかったし、

幽霊だとか祟りだとか、そういう類の話を信じる性質でもなかった。


だから、その安さを理由に、

ほとんど迷うことなく、ここに決めた。


実際に住み始めてから、特に変わったことは起きなかった。


深夜に足音が聞こえるとか、風呂の鏡に髪の長い女性が映るとか、金縛りに遭うとか、

いわゆる怪奇現象と呼べるようなものは、何一つ起こらなかった。



──いや、違う。


本当は、起こっていたのだろう。

ただ、私の知らないところで。

気づかないまま、静かに、進行していただけで。




おかしいと感じたのは、昨年の正月が初めてだった。


差出人不明の、あの一枚の年賀はがき。


『今回も、うまくいったみたいですね』

『次の人にも、どうぞよろしくお伝えください』


そんな、身に覚えのない言葉とともに、

宛名には「野々山拓斗」という、見知らぬ名前が書かれていた。


前の住人宛のものが間違って届いてしまったのだろう。

そのときは、そう思った。


けれど、

そのはがきを眺めているうちに、

ある違和感に気が付いた。



消印が、ない。



つまり、このはがきは、

郵便で届けられたものではない。


何者かが、このアパートのポストに、

入れたのだ。


以前この部屋に住んでいた「野々山」という男宛に、

わざわざ、直接投函しに来たのか。


そう考えかけて、すぐに自分で否定する。


前の住人は、既に亡くなっている。

その事実も知らず、年賀状を投函するためにわざわざ訪れる可能性は、低い。


では、この年賀はがきは、いったい何なのだろうか。



──『今回も、うまくいったみたいですね』

──『次の人にも、どうぞよろしくお伝えください』

──『ただ一緒に見守ってくだされば、それで構いませんので』



これらの言葉は、何を指しているのだろうか。


気が付くと、

私は検索窓に「野々山拓斗」と打ち込んでいた。


幸い、ありふれた名前ではなかったらしい。


画面に表示されたのは、

とあるニュース記事だった。



《文京区のアパートの一室で、30代男性が倒れているのが見つかる 急性心不全か》



野々山という男は、やはりこのアパートで亡くなっていた。

二年前の一月。私が入居する三ヶ月程前だ。


死因について詳しい記載はなく、急性心不全の疑い。

事件性はないとされている。


自分が今まさに住んでいる場所で、他の誰かが死んでいる。

その事実を改めて突きつけられた瞬間、背筋に冷たいものが走った。


ふと、視線を感じる。

画面の向こうではなく、この部屋のどこかから。

一瞬だけ、本当に一瞬だけ、野々山という男に見られている気がした。



さらに調べを進めていくうちに、

とある事故物件をまとめた公示サイトにたどり着いた。


日本各地で起きた事故や事件の情報が集められ、

該当する物件には、地図上にどくろのマークが表示される。


名前だけは聞いたことのある有名なサイトだったが、

実際に見るのは、これが初めてだった。




恐る恐る、自分のアパートの住所を入力する。



そして、

思わず、息を吞んだ。



一見しただけでは数えきれない程のどくろマークが、

自分のアパートの位置に、重なるように密集していた。


真冬にもかかわらず、背中を汗がつたう。


億劫な気持ちになりながらも、

一つずつ、どくろマークを押下する手が止まらない。



どれも「死体発見」といった簡素な情報に留まっており、

詳しい事情は分からなかった。


けれど。


一つだけ、

すべてに共通している点があった。


死亡推定日。


表示されている日付は、

例外なく、すべて一月だった。



嫌な予感が、遅れて脳裏をかすめる。


しかし、その時には、もう遅かった。

もう、遅かったのだ。


あの年賀はがきに書かれた言葉の意味を、理解したときには、もう。





「いやー、寒すぎるって」


「早く暖房つけて。あとお風呂沸かしてほしい」


若い男が、恋人らしき女性と一緒に、部屋に入ってくる。


「え、なにこれ?年賀状?たーくん宛?」


「いや、これが多分間違いなのよ。『佐久間祐輔』って人に来てるんだけど。

 前に住んでた人かな。てかさ、これ見てみ。マジで意味わかんないから」


「何これ...めっちゃ怖いんだけど。気持ち悪。

 ここ事故物件じゃなかった?ちょっと、マジでそういうやつなんじゃないの?」


「アホか。そんなの信じてるの?

 ここに住んでから変なこと何も起きてないっつーの」


何の他愛もない、

若い男女の会話が、

当たり前のように交わされている。



私は、ふと隣に目をやった。


そこには、

私を含め、十人程の老若男女が半円状の列をなして並んでいる。


──かつて人間だった、人型の塊、

そう呼ぶしかない。


顔も、手足も痩せこけ、

肌は灰色にくすみ、

目のあるべき場所は、

漆黒の空洞になっている。


きっと、今の私もこんな風貌をしているのだろう。


彼らは口をぱくぱくと開け、

ただ、何かを訴えようとしている。


こんなところに住むべきじゃなかった、という後悔か。

はやく逃げろ、という忠告か。

もう、今すぐに楽になりたい、という願いか。


分からない。

別に、どうでもいい。

もう、何の感情も、感覚もない。



私たちがなす半円の中心には、

血に濡れた赤ん坊が、

静かに横たわっている。


そして、そのすぐ隣で、

楽しそうに雑談を続ける若い男女。


彼らは、

自分たちの影が、

少しずつ薄くなっていっていることに、

まだ気づいていない。



気づかなくていい。

気づいたとしても、気づかなかったとしても、

何も変わらないのだから。



そして、私たちは、

それを見守ることしか、できない。



ただ一緒に、

見守っているだけだ。

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