Log4:双方向の共鳴

「……それ、本当に動くんです?」


実験棟の片隅で、俺は目の前のロボットアーム凝視していた。


久津輪さんが「ママのアンティークをリメイクしたドレス」と誇らしげに語るそれは、一言で表せば異形だった。


外装は沈没船から引き揚げたような鈍い輝きを放つ真鍮製の義手。指先の節々には繊細な彫金が施され、隙間からは色とりどりの配線が血管のようにのたうつ。基板がむき出しで、結束バンドと医療用テープで補強されていた。


「失敬な、これでも最新の医療用触覚センサを積んでるんだぞ。空冷が追いつかなくて、ファンを増設しちゃったけど……」


久津輪さんがスイッチを入れると、結束バンドで強引に固定された小さなファンがヒュイィンと高音の悲鳴を上げた。


「今日はこの試作機がシミュレーターとして動作するか、いつみくんに人柱になってもらう」


「人柱、だと…?給金アップを要求してもいいですか?」


久津輪さんは、あーあー聞こえないと両手で耳を覆ったあと、続けた。


「さあ、デバイスを装着して。成功すれば海中の感触を体験できるよ……やる気、出ただろ?」


俺は興奮気味な久津輪さんに促されるまま、VRゴーグルを装備し、右腕に重厚なロボットアームを嵌めた……ずしりと重い。


久津輪さんが隣に立ち、俺の手に自分の手を添える。正確には、俺が動かすアームの親機に、彼がそっと触れた。


「まずはアームの指先の感度調整から始める。ゆっくり握って」


言われた通りに指を曲げる。その瞬間、グローブの内側に仕込まれた極小のピンが僕の肌を突き、高周波の振動が走った。


「っ、あつ……っ、いや、痛い!」


刺すような、それでいてザラついた不快な摩擦。耳の奥で火花が散るような感覚に、俺は反射的に手を引き抜こうとした。逃げ場のない恐怖が首筋を這い上がる。


「――動かないで。大丈夫だから」


久津輪さんの、ひんやりとした生身の手が、アームの上からぎゅっと握り込まれる。仰々しい機械越しなのに驚くほど冷たく、滑らかな感触。その冷たさが触れた場所から、火照っていた俺の感覚が急速に凪いでいく。


「ごめん、ノイズが強すぎたね。僕がフィルタリングする。……落ち着いて、僕の拍動、わかる?」


「……はい、わかります」


「OK、そのまま同期させる」


ゴーグルのせいで視えないけど、久津輪さんの声は、どこか遠いネットワークの深淵を見つめているように思えた。


彼が俺の手を握り直すと、不快な振動がスッと消えた。代わりに、グローブを通じて流れ込んできたのは、重厚で静謐な「何か」だった。


「もうそろそろROVのアームが海底のサンプルに触れたはず。……送るよ」


次の瞬間、僕の指先に「海」が届いた。


「……っ、これ、は……」


重く、粘り気のある泥の感触。指先を押し返してくる、圧倒的な水の重圧。単なるデータじゃない。骨の髄まで凍てつかせるような、かつて誰かがそこにいたという絶対的な零度の記憶だ。


「泥……すごく、やわらかい。でも、底の方が冷たくて、固い……」


「ふふ、伝わってよかった。この環境はね、僕の家族が前に住んでた場所を再現しているんだ」


久津輪さんの声が、耳元で少しだけ揺れた気がした。研究所のデータベースから引き出された深海のログそのもの。


デバイスを介して、彼の思考が透明な奔流となって流れ込んでくる。普通なら、プライバシーを暴かれるような不快感があるはずなのに、なぜか俺はそれに疑問を抱かず、逆に守られていると感じていた。


筒抜けなのに妙な安らぎを感じる。俺の指が震えていることも、緊張で心拍が上がっていることも、彼はすべてログとして受け止めてくれている。


「……久津輪さん。これ、もっと深い場所……『下』はどうなってるんですか?」


触れてはいけない、本能では分かっていたのに、好奇心に駆られ、俺はVR上に表示されたスライダーを不意に下へ降ろした。


「あ、待っ――」


瞬間。

視界が真っ白になった。


指先に、数千メートルの水圧が直接叩きつけられたような衝撃が走る。アームが岩に挟まり、フィードバックの限界を超えたのだ。


ギギギギギギッ!


アームの関節が悲鳴を上げ、増設されたファンが火花を散らして止まる。


「っ、熱……! 通信過負荷オーバーロードだ!」


久津輪さんが叫び、俺を突き飛ばすようにして電源ケーブルを引っこ抜いた。バチン、と火花が散り、実験棟のブレーカーが落ちた。

しん、と静まり返った暗闇。


ファンの回転音も消え、ただ、二人の荒い息遣いだけが残った。


「……ハハッ、……あーあ。ママの初期設定デフォルト、殺意高すぎるよ」


暗闇の中で、久津輪さんが力なく笑った。

俺の手には、まだデバイスの余熱と、彼に握られていた、ひんやりした感覚が混ざり合って残っている。


「……大丈夫、ですか?」


「僕は平気。ただ、ちょっと肩代わりしすぎたかも」


久津輪さんが手を振ると、暗闇の中で彼の腕に巻かれたセンサが、弱々しく赤いエラーランプを点滅させていた。


そのときの俺は、彼が、俺に届くはずだった衝撃の半分以上を、自分の身体で引き受けてくれたことなど知る由もなかった。


「……変な家ですね。久津輪さんのところ」


ぽつりと呟くと、久津輪さんは少し意外そうに笑った。


「そうだね。……君にそう言われると、否定できないな」


俺も、少しだけ笑った。この人の家も、俺の家と同じように、きっと普通じゃない。血の繋がりに縛られ、何かの端末のように役割を強いられている。……根拠はないが、そんな気がした。


けれど、このひんやりした手の温もりだけは、機械でも、他の誰かでもない、俺だけの観測結果だ。


「……もう一回、やりましょうか。次は、俺もちゃんと支えますから」


暗い研究棟で、俺たちは手探りで明かりを探し始めた。指先が時折、久津輪さんのひんやりとした手に触れる。


そのたびに、さっき共有した海水の冷たさを思い出し、なぜか不思議と落ち着く。


​「……あ、ライト、ついた」


​懐中電灯の小さな光が、久津輪さんの少し困ったような、けれど穏やかな顔を照らし出す。


薄灯りのなかで​壊れた「ドレス」の配線を一本ずつ繋ぎ直す。久津輪さんが俺の心拍を観測するように、俺もまた、彼のノイズを分かち合いたいと思いはじめていた。


闇はまだ深いけれど、もう、独りで震えていたあの頃の暗闇じゃなかった。


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