ワードスピリットキャンディー
白美希結
第1話 スピチャン
2050年 10月。
ドク、ドク……。
ぜんぶたべちゃった。
スピちゃんが笑った。
これでよかったんだ。
トク、ト、ク……。
彼女が最後に聞いたのは、自分の鼓動だった。
その姿は両耳が溶けていた……。
2050年 5月。
『まもなく1番線に列車が参ります』
事務的なアナウンスを聞き流す。
この声には反応をしなくてもいい。
そう思うだけで心が軽くなる。
「座れますように」
小宮架純は願いを口に出し、電車を待った。
ホームに立つ人たちは皆、画面を片手に同じ姿勢をしている。
「指と目。それだけしか動かしていないじゃない」
思わず笑った。
「ふぅーー」
深く息をし、誰の声も聞かずにすむ時間を堪能していた。
そのとき、甲高い雑音が耳を刺す。
反射的に十字架のピアスをつけた耳たぶを、引っ張ってしまう。
「口がなかったらしいよ」
「やば。もしかして今回も……」
「正解!溶けていたみたい。でね、散歩中の犬が見つけたんだって」
「臭ったんだね。飼い主、見ちゃったのかな?」
緊張感のない声色が、現実味を失わせる。
「ドロドロだったって。……スピチャンキャンディーのせいかもね」
「うそ、信じてるの?」
制服姿の二人組は、遠慮のない声量だ。
まるで周りの人たちが透明人間かのように。
「信じてるわけないじゃん」
「だよね」
「でも、あのキャンディーってね『限定スピチャン』の特典なんだって」
カバンにぶら下がったものを触りながら嘆いている。
「なにそれ」
「そのキャンディーを食べると癒されるらしい」
誰の声も聞きたくないはずなのに、会話に集中してしまう。
「食べてみたい!」
二人ともお揃いの『スピチャン』のモフモフした毛を撫でている。
「でも、限定スピチャンの顔はね……」
シューッという電車の到着を告げた音に、言葉は掻き消されてしまった。
あっという間に人に飲み込まれ、二人の姿を見つけることは出来ない。
仕方なく吊り革に手をかけた。
体は揺らされているが思考が止まっている。
「……スピチャン」
自分の声に驚いた。
しかし、誰も反応などしない。
だから遠慮なく続けた。
「スピチャンキャンディー……。口が溶ける?」
キューピー人形に、ウサギの毛が生えたようなぬいぐるみを思い出す。
検索画面を表示しようと思ったが、皆と同じ姿にはなりたくなかった。
夕日が眩しく、窓に視線を向けると最寄り駅の文字が見える。
「あの声を、聞きたくない」
私は、無意識に十字架のピアスをグリグリと触っていた。
ビニール袋を片手に玄関の戸を引く。
どんな開け方をしても必ず、ガタガタという。
「直してくれる人、現れたりしないかな」
音に紛れて舌を鳴らした。
「架純!遅いじゃない」
「いつもと同じよ」
姿を表さない母に小声で反論した。
「お腹空いたわ。今日は肉じゃがでしょ?」
リビングに入った途端に始まった。
「そうだよ」
「糸こんにゃくは入れないで」
母はソファに寝そべり目も合わせない。
「わかってる」
「じゃがいもは、男爵じゃなきゃだめ」
相変わらず『おかえり』の言葉はない。
家の中でも体が言葉に覆われてしまいそうになる。
仕事だけで十分なのに。
───今日のお客は支離滅裂だった。
チャイムの合図と共にヘッドホン装着し、点滅しているボタンを押す。
相手先は、軽やかな音楽が鳴り止んだはずだ。
「大変お待たせいたしました。こちら『ライフスパン堂』カスタマーセンター、小宮が承ります」
「ほらね。そうなのよ」
「お客様。ご要件をお伺い致します」
「何度かけても繋がらないようにして、年寄りから搾り取る気なのね」
「お待たせしてすみませんでした。こちらは、カスタマーセンターですが……」
「知ってるわよ!リダイヤルを押したんだから」
電話口から飛び出してきそうな勢いだ。
耳たぶを触りたいが、ヘッドホンが邪魔をする。
「毎月、サプリメントが届くのよ。電話しても、毎回同じ。『返品不可です』しか言わないの。一体どうなってるのよ!」
「申し訳ございません。定期購入の解約をして頂く必要があります」
この程度ならマニュアル通りに進められる。
よくあるクレームだ。
「……あんた、子供は?」
母の言葉かと錯覚し、耳がムズムズする。
「すみません。個人的なご質問はご遠慮頂いています」
「何様なの。解約の仕方も教えないで、偉そうに。答えなさいよ!」
「解約のお手伝いをさせて頂きますので、お客様のお名前を教えて頂けますか」
「子供いないのね」
何の関係もない質問を繰り返してくる。
「ですから……」
「だから年寄りが困ってても、優しく出来ないのよ。その声の感じだと、四十代。……もう期限切れね」
何の迷いもなくヘッドホンを外し、耳たぶを触る。
「女に産まれた意味。……価値がな───」
音は漏れ続け、時々ガラスの破片のような言葉が耳を刺す。
「すみません。少々お待ちください」
事務的に伝えマイクをオフにし、右手を上げる。
「マニュアル不適合」
ボタンを押しマネージャーの回線へ切り替えた。
───あんた、子供は。
聞きたくなかった言葉を、ピーラーで男爵いもの皮と共に削ぎ落とした。
しかし、母の声で再び体は覆われる。
「そういえば近所の藤村由紀ちゃん、女の子を産んだの」
「あの子と同級生よね。親孝行な娘で羨ましい。高齢出産なのに頑張ったと思うわ」
「そうだね」
ズキっと電流のような痛みが裏耳に走る。
引っ張りすぎてカサブタが取れたのだろう。
「孫は目に入れても痛くないって本当かしらね。今度、藤村さんの奥さんに聞いてみようかしら」
───子供を産むことが親孝行。
「人生で一度は『おばあちゃん』って呼ばれてみたいわね」
「その辺の子供に、呼んでもらえばいいじゃない」
「あんた意地悪ね。だから、いつまでも売れ残ってるのよ」
口だけはよく動かす母の姿にうんざりする。
『キャンディーを食べると癒されるんだって』
ホームで聞いた言葉を思い出す。
……そうだ。
私には『癒し』が必要だ。
カサブタを治すために。
「スピチャン……キャンディー」
心の中で呟いたつもりだった。
「あ!キャンディーと言えば、これ」
「ちょっと、見せて!」
折れてしまいそうな細い手から、思わず奪い取った。
「い、痛い。暴力まで振るうのね」
戯言を相手にしている場合ではない。
『スピチャン・キャンディー』
「信じられない」
霧が晴れたように視界が開けた。
肉じゃがすら宝石に見えた。
キャンディー袋をギュッと抱きしめた。
とろけそうな甘い香りに包まれていく。
ワードスピリットキャンディー 白美希結 @hakubikiyuu
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