ふっかつのじゅもん
駄作ハル
Re:Start
錆びついたドアノブが回る音がして、いつものように莉奈が俺のボロアパートに入ってきた。
「よっ」
軽い調子で片手を上げる女子高校生。
まるで自分の家のような振る舞いで鞄を放り投げ、何の躊躇もなく人のベッドに横たわる。
彼女はいわゆる幼馴染というやつで、親同士が会社の同期だとかで、俺たちは物心つく前から兄妹のように過ごしてきた。
俺が実家を出て大学に進学してからも、彼女はわざわざこのアパートまでやって来ては、こうして我が物顔で入り浸っている。
小さい頃はもっと無邪気だった。
なんでも「おにーちゃん、これ教えて!」と言い寄ってくる三つも下の少女は、天使のように可愛げがあった。
互いに親が家を空けることが多かったこともあり、俺たちは二人で一つの時間を共有して育った。
――しかし、時の流れというのは残酷なものだ。
膝上二十センチの短いスカートに、香水の匂いとくどいメイク。かつて絹糸のように綺麗だった黒髪を痛めつけるかのように茶色に染め、緩いパーマをかけてポニーテールに縛り上げている。
彼女はすっかり、典型的な陽キャの女子高生に仕上がっていた。
……対する俺はと言えば。
親と喧嘩別れするかのように家を飛び出し、バイトと講義だけで大学生活の前半をすり減らした。
友人と呼べるような繋がりもないまま、気がつけば三年次。
周囲が就活やインターンで色めき立つ中、俺だけが一人取り残されたかのような灰色の大学生活を送っている。
「莉奈、今日は高校行かなかったのか」
「そういう裕介こそ」
「……今日の一限は出席も取らない楽単なんだよ」
そんな生産性のない会話を交わし、再び沈黙が訪れる。
六畳一間の狭い部屋に、換気扇の回る音だけが響く。
彼女が気だるそうにごろんと俺のベッドに寝転がり、携帯ゲーム機で名作RPGのリメイク版を遊び始めた。
ピコピコという電子音が、妙に神経を逆撫でする。
寝返りを打った拍子に、捲れたスカートから白い太腿が露わになった。
無防備なその姿が俺の劣情を刺激する。
目のやり場に困り、それを誤魔化すように俺はつい口調を荒らげてしまった。
「おい莉奈、もう少し女の子らしくしたらどうだ……」
「は? うっざ。てかそーゆーの時代遅れすぎだろ」
スマホとゲーム機を両手で器用にを弄りながら、投げやりな返事が返ってくる。
その態度の軽さが、今の俺にはたまらなく重かった。
「こんな所でせっかくの青春を無駄遣いするなよ。学校でちゃんと勉強して、友達と遊んで、恋人と掛け替えのない時間を過ごせ。それができるのは今だけなんだぞ」
それは彼女の為を思っての言葉か、それとも彼女の眩しさに対する、陰湿な嫉妬か。
自分でも判別がつかなかった。
「いつからそんなに説教くさくなったの? ……もういい、帰る」
莉奈は不機嫌そうに立ち上がりゲーム機を放り出すと、バタンとドアを閉めて出て行った。
狭い部屋に静寂が戻る。
残されたのは彼女の残り香と自己嫌悪だけ。
そうだ、これでいい。
俺みたいな停滞した人間とつるんでいても、彼女のためにはならない。
◇
次の日、いつもなら彼女がやってくる時間に、チャイムは鳴らなかった。
「……流石に怒らせたか」
講義帰りの夕暮れ、あてもなくコンビニに寄り、彼女の好きだったみかんゼリーを無意識にカゴに入れていた。習慣とは恐ろしいものだ。
アパートへの帰り道。
その時、目に留まったのは、制服姿の男子高校生と並んで歩く莉奈の姿だった。
楽しそうに笑っている。
俺には見せない、年相応の華やかな笑顔で。
隣の男も俺とは違う、未来のある顔をしていた。
お似合いだと思った。
自分がそうけしかけた癖に、なんでこんなに胸が苦しいんだ?
胃の奥が焼けつくような感覚を抱え、俺は逃げるように部屋に帰った。
みかんゼリーは俺が自分で食った。
プラスチックの蓋が俺の口に小さな傷を残し、みかんの筋が奥歯に挟まる。
彼女が冷蔵庫に残していった飲みかけのジュースも、シンクに流して捨てた。
食べかけのお菓子も、忘れていったメイク道具の小物たちも、すべてゴミ袋に放り込んだ。
彼女の痕跡を消してしまいたかった。
そして、あのゲームのセーブデータも。
彼女が「あとちょっとでクリア」と笑っていたあのデータも。
『データを削除しますか?』
『はい/いいえ』
迷わず『はい』を選んだ。
未練ごと、この世から綺麗さっぱり消去した。
バチンという音とともにゲーム機の電源が落ちる。
これで、俺たちは他人だ。
◇
次の日の朝。
インターホンが鳴った。ドアを開けると、彼女はいつも通りの時間にそこにいた。
何食わぬ顔で、まるで昨日という一日が俺たちの日々から抜け落ちているかのように。
「……お、おはよう」
「おはよ。何その顔、幽霊でも見たみたい」
莉奈はズカズカと部屋に入り込む。
その無神経さに、張り詰めていた糸がプツンと切れた。
「なんで来たんだよ」
「は? なんでって」
「昨日の男と仲良くやってればいいだろ!」
感情のままに、俺は彼女の細い腕を掴みベッドに押し倒していた。
軋むスプリングの音。驚いたように目を見開く莉奈。
けれど、彼女は抵抗しなかった。
「……あ、いや……、ごめん」
動揺する莉奈の瞳を見て我に返り、すぐに身を引こうとする。
だが、彼女の手が俺の服を掴んで離さない。震えるその手が俺を縫い止める。
「昨日の男と……付き合ってんのか」
絞り出した声は情けなく裏返る。
「はあ? あんたが説教したから、学校行ってやっただけなんだけど。そしたら面倒な男にナンパされて散々だったの。もう何言われても学校なんて行かないから」
「……そういうこと、だったのか」
全身から力が抜けた。
彼女は誰のものにもなっていなかった。
安堵と、自分の浅ましさへの後悔が一斉に押し寄せる。
「昔から似た者同士なんだから、学校で馴染めないのも同じだっての。そんなの祐介が一番わかってるでしょ」
「…………」
「……でも、ふうん?」
莉奈の瞳が悪戯っぽく細められる。
潤んだ瞳が、至近距離で俺を捉えた。
「私のこと、そんな目で見てたんだ?」
「ご、ごめ――」
「えい」
彼女は自分から身を寄せ、スカートの裾を指先で弄んだ。
「こら、からかうな!」
「別にからかってないんだけどなー?」
吐息がかかる距離。甘い匂いが鼻腔をくすぐり、脳を麻痺させる。
「
その言葉は、まるで古い記憶を呼び覚ますかのように、俺の脳髄に響き渡った。
バチンという理性のタガが外れる音を、俺は確かに聞いた。
◇
乱れたベッドの上で、俺は呆然と天井を見上げていた。
気怠い倦怠感と、満たされた幸福感が混ざり合う。
カーテンの隙間から差し込む西日が、部屋の中の埃をキラキラと照らしていた。
「あー! 残ってたコーラ一人で飲んじゃったの!?」
白い滑らかな裸体を晒したまま、冷蔵庫を覗いた彼女が叫ぶ。
恥じらいのないその後ろ姿に、生活感と非日常が奇妙に同居していた。
「ああごめん……喉乾いてて」
「後で買ってよね。まあいいや」
そう言って彼女はTシャツ一枚だけを身にまとい、テレビの前に座り込んでゲーム機を起動する。
「あ、まずい……」
俺が止める間もなく、画面には無慈悲な初期設定画面が表示された。
「あれ、データ消えてるんですけど!?」
「ご、ごめん……」
「もうちょっとでクリアだったのに! 信じらんない!」
情けない行動を深く恥じた。嫉妬に狂ってデータを消したなんて、口が裂けても言えない。
どう謝ろうか口を噤んでいた俺を見て、彼女は怒るどころかケラケラと笑う。
「何その顔……! 必死すぎ。まあいいよ。じゃあ、こっちでクリアしようかな」
そう言って彼女は部屋の隅のダンボールをごそごそと漁り始めた。
埃をかぶっていた、黄ばんだ古いゲーム機を引っ張り出す。コンバータを介してテレビに接続すると、懐かしい起動音が響いた。
「わざわざこんな機械買ってまで。そんなに思い出なんだ」
「小さい頃はゲームも買って貰えなくて、父さんのお下がりのこれをずっとやってたからな。――でもどうせやり直すなら、リメイクの新しい方が画質も綺麗だろ」
「ううん。こっちも、もうすぐクリアだったから」
そう言って今度は本棚からボロボロの自由帳を発掘する。
表紙には二人の名前がマジックで書かれていた。十年以上前の、俺たちの宝物。
「えっと確かこの辺に……。あ、あったあった」
そこには幼い俺たちの拙い文字で、平仮名の羅列が記されていた。
ふっかつのじゅもんだ。
「ええっと……」
コントローラーを握り、彼女が一文字ずつ入力していく。
決定ボタンが押された瞬間、ファンファーレと共に俺の名前を冠した勇者が画面に表示された。
「そんなの、覚えていたのか」
「こんな大切な思い出、忘れるわけないじゃん」
彼女の言葉に、懐かしい光景が脳裏にフラッシュバックした。
狭い部屋。ブラウン管のテレビ。二人で一つのコントローラーを握りしめていた夏休みの日々。
そうだ。俺たちはずっと二人で一緒に過ごしてきたんだ。
自分自身のくだらない勘違いと、ちっぽけな自尊心に吐き気がした。
――そして同時に、救われたような気がした。
セーブデータは消えても、俺たちが積み上げてきた時間は消えていない。
気がつけば俺は、莉奈を後ろから抱きしめていた。
「ちょっと邪魔しないでよー。やりづらいって」
そう言いながらも彼女は抵抗せず、荒いドットに目を凝らしながらゲームを進める。
画面の中の勇者は、レベルこそ最高ではないけれど、確かにそこに生きていた。
ここで諦めなければ、冒険はいつだって続きから始められる。
「――そこの小部屋、遠回りになるけど行ってみたらいいことあるぞ」
「嘘だー。ここまでリメイクの方でやったけどなんにも……。あ、あった」
「初代だけのやつだな。強すぎるからリメイクじゃ消されたんだよ」
「へえー。やるじゃん。無駄に年喰ってないね」
「そんな変わんねえだろ……」
俺たちは笑い合う。
彼女の首筋からは甘く、そしてどこか懐かしい匂いがした。
「ねえ、裕介」
「ん?」
「この勇者、まだレベル足りないからさ。クリアまで手伝ってよね」
それはゲームの話か、それともこれからの俺たちの話か。
どちらにせよ、答えは一つだ。
「ああ。……任せとけ」
俺は彼女の肩に顎を乗せ、画面の中の勇者を見つめる。
止まっていた俺の時間が、今、再起動した音がした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
あとがき
お読みくださりありがとうございます。
本作はカクヨムコン短編部門に応募中です。ぜひ評価・レビューから応援していただけると幸いです。
普段はラブコメや異世界ファンタジーを投稿しております。
少しでも興味を持っていただけた方は私のプロフィールから併せてご覧ください。
また次の作品でお会いしましょう。 ————駄作ハル
ふっかつのじゅもん 駄作ハル @dasakuharu
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