祈るほど、魔物が強くなる世界で
TERU
第1話 山は、越えられない
祈った回数だけ、魔物は強くなる。
そして祈った者の身体に、“刻印”が増えていく。
――俺はまだ、それを知らなかった。
***
この集落は、閉じている。
背後は断崖だ。
下を覗けば、足がすくむ。
落ちれば、二度と戻れない。
前にあるのは、山。
ただ一つ、外へ続く道。
だが――
その山には、主がいる。
だから誰も越えない。
越えられないのではない。
越えようとして、生きて戻った者がいないだけだ。
集落は、山の尾根にへばりつくように存在している。
左右に逃げ道はない。
逃げ場を捨てた場所だ。
昔は、山の向こうの話をする者もいたらしい。
だが今は、誰も口にしない。
夜になると、地鳴りが聞こえる。
遠吠えのような音。
それを聞いた子供は、必ず泣く。
大人たちは、何も言わない。
言えない。
***
俺は、この集落で生まれた。
だが、ほとんどここにはいなかった。
物心ついた頃には、両親はいなかった。
理由は知らない。
聞いたこともない。
拾ったのが、ゼットだった。
山で暮らす男。
集落に降りるのは、年に数回。
獣の肉や毛皮を分けに来るだけの人間。
俺は、ゼットと山で暮らした。
火の起こし方。
罠の張り方。
獣の倒し方。
生き残り方。
「世界はきっと広い。いつか見てみたいな」
ゼットの口癖だ。
ゼットは俺に、
「強くなれ」とは言わなかった。
「死ぬな」とだけ言った。
それで十分だった。
***
いつも通り、ゼットと狩りをしていた。
獲物の足跡が、
いつもより深く、いつもより多かった。
森が、妙に静かだった。
「……戻るか?」
俺が言った時、ゼットは首を振った。
「いい。今日は近い」
そう言って、弓を構えた。
その瞬間だった。
地面が、揺れた。
最初は風かと思った。
次に地鳴りだと気づいた。
木々が軋み、獣たちが一斉に逃げる。
そして――
森が、割れた。
出てきたのは、山の主だった。
巨大な影。
岩のような皮膚。
頭だけで、俺の背丈の倍はある。
息を吸った瞬間、空気が重くなる。
「あ……」
声が、喉で止まった。
ゼットが、俺の前に出た。
「ガルド」
低い声だった。
「走れ」
「でも――!」
「いいから走れ!」
次の瞬間、ゼットが矢を放った。
主の眼を狙った一射。
当たった。
だが――
止まらない。
主の腕が振り下ろされる。
地面が爆ぜ、木が折れた。
ゼットが、吹き飛ばされた。
「師匠!!」
叫んだ瞬間、ゼットが振り返り、怒鳴った。
「行け!!」
その声に、身体が反応した。
考える前に、足が動いた。
背中で、何かが砕ける音がした。
振り返らない。
振り返ったら、終わる。
必死に走る。
だが途中で、ゼットの声が聞こえた。
「これを……持て!!」
飛んできたのは、大剣だった。
ゼットの――形見。
俺は反射的に掴み、
そのまま転がるように斜面を下った。
それが、最後だった。
あの日、俺は十四歳だった。
***
それから五年。
俺は、山から降りなかった。
最初の一年は、逃げていた。
主の気配を感じるたび、
木に登り、岩陰に潜り、息を殺す。
夜は眠れない。
目を閉じると、
ゼットが吹き飛ばされる光景が蘇る。
剣を振る理由は、復讐じゃない。
恐怖を消すためだ。
一日百回。
二百回。
振れなければ、意味がない。
最初は、大剣を振るだけで腕が裂けた。
骨が軋み、肩が外れた。
ゼットは両手だった。
それでも重かった。
だが、俺はやめなかった。
一年で、両手で安定した。
三年で、片手で扱えるようになった。
四年目、主の縄張りの外縁を歩けるようになった。
五年目、遠吠えを聞いても、逃げなくなった。
身体は、別物になっていた。
骨は太く、筋は張り、呼吸は深い。
人の域かどうかは知らない。
だが、もう子供ではない。
そして、決めた。
――殺す。
山の主を。
***
久しぶりに、集落へ降りた。
人の視線が集まる。
見知らぬ顔。
見覚えのない子供。
俺を知っている者は、ほとんどいない。
鍛冶屋で、剣を研ぐ。
「……誰だ?」
親父が聞いた。
「ゼットの弟子だ」
それだけで、手が止まった。
何も言わず、刃を仕上げてくれた。
弓矢の修理も済ませる。
準備は整った。
あとは、山へ戻るだけだ。
その途中、足が止まった。
倉庫の影。
少女が、いた。
噂には聞いていた。
祈る少女。
神のいない世界で、空に願う異端。
小さな集落だ。
迫害は、静かに行われる。
少女は、膝をつき、両手を組んでいた。
「……山、行くの?」
「行く」
「主を、殺しに?」
「殺す」
嘘は言わない。
少女は、少しだけ笑った。
「じゃあ……私も行く」
「死ぬぞ」
「ここにいても、同じ」
迷いのない声だった。
「名前は」
「セラ」
短い名前。
俺は、門を出る。
セラは、少し遅れてついてくる。
振り返らない。
五年前、逃げた山だ。
今度は、逃げない。
この山を越えられなかったのは、主がいたからだ。
なら――
殺せばいい。
ゼットの大剣を、片手で握りしめる。
「遅れるな」
「うん」
それだけでいい。
ゼットは言っていた。
「山は、世界の端じゃない」
今なら、分かる。
端だと思い込んでいるのは、
越えられなかった人間だけだ。
この山を越えた先に、
何があるかは知らない。
だが――
何もないわけがない。
――祈りは、未来を変える。
だがそのたび、世界は“強い魔物”を産み直す。
そして俺はまだ、
隣を歩く少女が狙われる理由を知らない。
俺は、歩き出す。
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