構造先生

@Y_M_

第1話:構造とコンビニ店員

【理想と現実】世界の構造 vs ハンバーグ


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『コンビニ接客における"感情労働"の本質的欠陥と、資本主義の搾取システムについて』


そもそも、現代社会におけるコンビニエンスストアという存在は、後期資本主義が生み出した"手軽さ"という名の牢獄であると言わざるを得ない。我々消費者は、その牢獄の看守たる店員に対し、無意識のうちに過剰な感情労働を強いているのだ。彼らの笑顔は、マニュアルによって規定された記号であり、その裏には構造的な搾取が存在する。この本質を理解せずして、真の社会変革はあり得ない。まず我々が認識すべきは、その欺瞞に満ちたシステムそのものであり…。


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薄暗い自室で、PCの光だけが俺の顔を青白く照らしている。


ターンッ!


俺は、エンターキーを騎士が聖剣を振り下ろすかのような厳かさで叩きつけた。画面には、たった今完成した記事が表示されている。完璧だ。隅々まで研ぎ澄まされた論理。誰も気づかぬ社会の病巣に、俺だけが光を当てている。


フッ…


俺は口の端を上げた。この鋭利な分析。まさに俺の真骨頂と言えよう。


投稿ボタンをクリックし、記事が公開されるのを見届けた瞬間、背後のドアの向こうから声が響いてきた。


「あんたー、いつまでパソコンやってんのー? ご飯できたわよー、今日はハンバーグ!」


母の、あまりにも気の抜けた声。階段を上がってくる足音が、廊下でスリッパを引きずる音に変わる。


俺は眉をひそめた。人類史的考察の最中に、こんな日常的な話題で中断されるとは。


それでも、俺は椅子から立ち上がらず、できる限りの威厳を込めてドア越しに言い放った。


「今、世界のシステムを再定義している最中だ! 人類史的転換の邪魔をしないでくれ!」


廊下で足音が止まった。


俺の言葉の重みに、流石の母も圧倒されたか。そう思った瞬間、あっけらかんとした返答が返ってきた。


「はいはい、システムね。冷めちゃうから早くしないと、あんたの分だけソースかけないわよ」


ソース。


その単語が、俺の耳に届いた瞬間、俺の肩がピクリと動いた。


デミグラスソース。濃厚な、あの…。


チッ。


俺は小さく舌打ちをし、静かに椅子から立ち上がった。世界のシステムとハンバーグのソース。天秤にかけた結果、俺は後者を選んでしまった。その事実に対する小さな苛立ちと、どうしようもない空腹感が、俺の中でせめぎ合っていた。


リビングのドアを開けると、蛍光灯の明るさが目に刺さった。テレビではバラエティ番組がけたたましく笑い声を上げている。父親が箸でハンバーグを切りながら「今日のはうまいな」と言い、母親がエプロンを外しながら「でしょー」と返している。テーブルには湯気を立てる味噌汁と、俺の分のハンバーグが待っていた。


ありふれた日常風景。


俺は無言で席に着き、ハンバーグを口に運んだ。


この凡俗な平和。俺が守るべき世界とは、これなのか…?


いや、違う。俺は、この欺瞞に満ちた平和の"本質"を暴くために…。


そんな壮大な自己弁護を内心で試みながら、俺はハンバーグを咀嚼した。温かい。柔らかい。デミグラスソースが口の中で広がっていく。


母親の作るハンバーグは、確かに美味い。


その事実を認めた瞬間、俺の思考は少しずつ曖昧になっていった。世界のシステムよりも、ハンバーグの味の方が、今の俺にとっては遥かに重要だった。


テレビの芸人が大げさに笑っている。父親が新聞をめくる音がする。母親が「おかわりある?」と、お玉を手に立ち上がる。


俺は小さく頷いた。


世界の再定義は、もう少し後でもいいだろう。今はこの、温かくて、退屈で、そして否定しようもなく心地よい現実の中に、俺はいた。


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