(2)チョコレートの誘惑

 次の日から、ショウゴの大学生活は、ナオキ色に染まった。

 朝起きて、学校に行って、帰りに買い物をして、家に戻って晩ご飯。

 すべてナオキと一緒だった。


 大学が始まって、最初の1週間はガイダンス授業。

 すべての授業が公開されていて、出入り自由。

 授業を聞いてもいいし、雰囲気を感じてもいい。

 サークル勧誘は、ガイダンス授業の1週間続く。


 「サークル、どうする?」

 「ナオキは?」

 「オレは、ショウゴ次第かな?」

 「どういう意味?」

 「ショウゴが入るなら、オレもそこに入る」


 出会って1週間だというのに、ふたりは10年来の友だちのようだった。

 学校でしか会わない友だちと比べて、3倍以上の時間を過ごす。

 そう考えれば、当たり前かも知れない。


 (ナオキといられて嬉しい。こんなに気の合うやつがいるなんて)


 ナオキに出会えたことで、ショウゴの頑なだった気持ちは和らいでいた。


 (マコトにこだわってないで、新しく友だちを作るべきなんじゃ?)


 今のショウゴなら、それができるような気がした。


 「ボク、サークル入ってみようかな?」

 「……そっか。どこ?」

 「スウィングジャズ」

 「え? 音楽系? 意外」

 「あ、ボク、中学までは吹奏楽やっててさ。ジャズも好きだし」

 「いいじゃん」

 「ナオキは、ホントに一緒に入る?」

 「なんで? そう言ったじゃん?」

 「うん。だけど、楽器って特殊だから」

 「まぁ、やってみるよ」


 結論から言うと、ショウゴの心配は杞憂だった。

 初めてさわったはずのフルート。

 ナオキは最初から音が出せて、1週間後には曲を吹いていた。

 むしろ、ショウゴのほうが苦戦していた。

 数年ぶりに吹いたトロンボーンの音がうまく出せない。

 感覚が戻ってこない。

 あせるばかりで、楽しさは感じられなかった。


 「ショウゴ、先輩たちがメシ行こうって」

 「あ、うん。ちょっと先行ってて。もう少し吹いてく」

 「……分かった。いつもの飯屋な」

 「うん。すぐ行くよ」


 ナオキは、先輩たちに気に入られていた。

 もちろん、同じ学年のやつらにも。

 そのことにショウゴが気づいたのは、サークルに入ってからだった。

 それまでは、ナオキとだけ一緒にいたから気づかなかった。

 パート練で、ナオキと離れてみて、初めて気がついた。

 違うパートのメンバーが、ナオキのことをチラチラ見ていること。

 女性の先輩の楽器指導が、ナオキにだけ熱を帯びていること。

 男の先輩が、やたらとナオキと肩を組みたがること。


 それを見るたびに心の中に相反する感情が生まれていた。

 そんなイケメンと一緒にいるという優越感。

 あくまで普通な自分に対する劣等感。

 ふたつの感情が、胸のモヤつきになってショウゴを襲う。

 

 (まぁ、あんだけ美形だし? そりゃ、そうだ)


 心の中でショウゴは、自分を納得させようと考える。

 けれど、胸のモヤつきは消えない。


 (何にモヤついているんだ? イケメンがモテるのは当たり前だろ)

 (うらやましいのか? でも、ボクはモテたいわけじゃない……)


 ナオキと話してから、楽器への集中力が途切れてしまう。

 これならナオキと一緒に行けば良かった、とショウゴは思った。

 ため息とともに、もう少し吹いていこうと思っていた楽器を片づける。

 サークルでよく行く駅前の飯屋に向かって、坂をくだる。

 10分ほどで飯屋に着く。


 ナオキたちが向かってから、さほど時間は経っていない。

 おそらく、注文を終えた頃だろう。

 そんなことを思いながら、ショウゴは飯屋の引き戸をガラリと開ける。

 入り口から、サークルのみんなを探そうとする。

 ついたてで仕切られた店の中。すぐには、見つからない。

 その時、聞き覚えのある先輩の大笑いがショウゴの耳に入る。


 (あそこか。先輩の声、すげぇ響いてる)


 笑い声がした席に向かって、ショウゴが通路を進む。

 先輩たちがナオキに話しかけている声が聞こえてくる。


 「なぁ、なんでショウゴと仲いいの? 高校一緒とか?」

 「違いますね。大学入ってからです」

 「まぢ? え? でも、一緒に住んでんだろ?」

 「一緒っていうか、ルームシェアです」

 「部屋は別?」

 「まぁ、はい」

 「なんで、ショウゴと?」

 「あいつは、メシアだから……」

 「は? 飯屋? あいつ、料理うまいのか?」

 「なるほどねぇ! 確かに、オレも料理上手と暮らしたいわ」

 「じゃあ、ナオキくん。あたしと暮らさない? 料理以外もつけちゃうよ?」

 「うわっ! ナオキ、気をつけろよ。食われるぞ」


 みんなが一斉に笑う。

 その笑い声にくるりと背を向けて、ショウゴは飯屋の出口に向かう。


 (ナオキが、ボクをご飯係だと思ってるってこと?)


 飯屋の引き戸をガラリと開けて、再び閉める。

 外の風がヒヤリとショウゴの頬を撫でる。

 昼間は暖かい春風も、日が落ちた途端に冬の冷たさに戻る。

 ぼろり。

 大粒の涙が、ショウゴの頬を流れ落ちる。


 (え? なんで? なんで涙なんか)


 手のひらで、ぐいっと頬をぬぐう。

 ぬぐってもぬぐっても、涙が止まらない。

 なんの涙なのか、自分でも意味が分からない。


 ナオキとショウゴの家事分担は、確かにその通りだった。

 料理が好きじゃないというナオキは、掃除全般。

 家でもちょくちょく料理していたショウゴは、料理担当。

 ふたりで暮らし始めた時に、決めたことだった。


 (ナオキは、ご飯担当を探してた?)


 駅前まで来ているというのに、ショウゴは電車に乗らなかった。

 40分以上かけて、歩いてアパートに着く。

 春の夕闇は、ショウゴの涙まみれの顔を隠してくれた。

 のどがヒリヒリと痛む。

 顔も涙で、カピカピになっている。

 アパートに着いた安心感からか、ショウゴの腹がグゥッと鳴る。


 (ナオキがいなくて良かった。とりあえず、なんか食おう)


 鍵を開けて、玄関に入るとナオキのスニーカーが目に入る。


 (なんで? ボクより先に帰ってる? どういうこと?)


 音を立てないように、ダイニングを通り抜ける。

 ふたりの部屋は、振り分け型の2DK。

 ナオキの部屋の前を通らずに自分の部屋にいける。

 それぞれの個室に鍵はついているが、ふたりとも開けっ放し。

 『鍵がかかっていたら、掃除できないじゃん』

 そうナオキが言って、それからずっと鍵をかけていない。


 自分の部屋のドアをゆっくりと開ける。

 明かりをつけずに、肩からストンとリュックをおろす。

 上着も脱いで、床に落とす。

 窓際にあるベッドに向かおうとして、ようやく目に入る。

 ベッドの上にある人影。

 薄いカーテンに差し込む月明かりが、その姿を浮かび上がらせる。


 「ナオキ……? なんで、ボクの部屋に」

 「……どうして帰ったの?」

 「あ、あの。お腹空いてなくて」

 「……飯屋まで来たよね?」

 「う、ん。だけど、今日は違うかなって思って」

 「何が?」

 「えぇ〜っと、い、家で食べたくなって?」

 「オレは待ってたのに?」

 「いや、でも。先輩とかたくさんいたでしょ?」

 「だから?」

 「だから、ボクひとりいなくてもなって」

 「何それ。それに、その声、どうしたの?」

 「別に? 変? じゃあ、ちょっとうがいしてくる……」


 そう言って、ショウゴが部屋を出ようとした瞬間。

 背中にドンッと衝撃を受ける。

 ナオキがショウゴの背中に抱きついていた。

 高校時代には、そうやって、ふざけてくるやつはいたので驚かない。


 「え? 何? どうしたの?」

 「ショウゴ、なんか聞いた?」

 「なんかって? あぁ、メシ担当のこと?」

 「聞いてるじゃん……」

 「別に、本当のことだし。あ、先輩のほうがいいか。美人だし」

 「はぁ? 何言ってるの?」

 「でも、できれば1年はガマンして欲しいな。

  ひとりだと家賃払えないし、これから新しい人探しは大変だから……」


 少しだけ言葉が震えていることに、ショウゴは自分では気づかない。

 言葉を続けようとしたショウゴの体が、くるりとまわされる。

 両腕を掴まれて、顔をのぞき込まれる。

 ナオキの身長は、ショウゴより頭ひとつ分ほど高い。

 だから、ナオキがのぞき込むと、まるでキスする体勢みたいに思える。


 (バカなこと考えてる……。たぶん、ナオキは心配してくれてるのに)


 そんなショウゴの気持ちを知らないナオキは、ショウゴの頬を優しくさわる。


 「ショウゴ、泣いた?」

 「な? 泣いてないっ!」

 「じゃ、なんで、ここが、カピカピなの?」

 「たぶん、風のせい」

 「ふうん」


 そう言うなり、ナオキはショウゴの頬をペロリと舐めた。

 柔らかくてあたたかいナオキの舌の感触。

 気持ちいい、ショウゴはそう思ってしまった。

 けれど、心とは別の言葉が口から出る。


 「はぁっ? ナオキ、何してんの?」

 「しょっぱい。やっぱり涙じゃん」

 「いや、そうじゃなくて。今、したことを」

 「……いやだった?」

 「……いや? じゃないけど」

 「それじゃ」


 ぐうぅぅぅ。

 何かを言いかけたナオキの言葉をさえぎるように、ショウゴの腹が鳴る。

 クスリとナオキが笑う。


 「ごめん。なんか言いかけた?」

 「あとで話す。今日は、オレがメシ作るわ」

 「え? 飯屋で食ってないの?」

 「待ってたって言っただろ?」

 「まぢで? ごめん」

 「ショウゴが帰るのが見えて、追いかけたから」

 「え? そうなの?」

 「うん。まさか、電車に乗ってないなんてな」

 「ごめん……。あれ? でも、料理できないんじゃ?」

 「好きじゃないってだけ。できないわけじゃない。それに」

 「それに?」

 「なんでもない。誤解は、早めにとく」


 ナオキの勧めでショウゴはシャワーを浴びて、ジャージに着替えた。

 その間に、ダイニングテーブルの上には料理が並んでいた。

 ご飯にみそ汁、しょうが焼き。

 ショウゴが食べたいと思っていたものが並ぶ。


 「すごい! ボクなんかより、料理上手じゃん!」

 「そうか? オレは、ショウゴの料理が好きだけど?」

 「そ、そう?」

 「ま、食おう」

 「うん!」


 初めて食べるナオキの料理は、どれもおいしかった。

 お腹がいっぱいになると、いつの間にか胸のモヤつきが消えている。

 泣きながら帰ってきたことさえ、ショウゴは忘れかけていた。


 「オレの部屋で話さない?」

 「うん。あ、お茶淹れて持ってくよ」


 ダイニングは、小さなテーブルと椅子がふたつあるだけ。

 だから、ふたりでくつろぎたい時は、どちらかの部屋に集まる。


 お盆にマグカップをふたつ載せて、それからチョコレートも。

 ショウゴの祖母から送られてきたチョコレート。

 子どもの頃からのお気に入りをナオキにも食べさせたかった。


 「お待たせ」

 「うん、ありがと」

 「さっきのことだけど」

 「先に、コーヒーもらってもいい?」

 「うん。あ、このチョコもおいしいんだよ?」

 「お、サンキュ。もらうわ」


 ショウゴは、ナオキの部屋に入る時は、必ず何かを持っていく。

 ルームシェアして、すぐの頃。

 呼ばれてなんとなく入った部屋は、いい匂いがした。

 たぶん、ナオキの匂い。

 部屋にいると、ナオキに抱きつかれているような気持ちになった。

 なぜだか、クラクラした。

 あわてて、部屋を出た。

 それからは、何かを持って部屋に入る。

 だいたいは、コーヒー。

 コーヒーの香りは、ナオキのクラクラする匂いを消してくれる。


 チョコを口に入れて、パキンと割ると砂糖とお酒の味がする。

 チョコレートとお酒の味を口の中で混ぜ合わせる。

 口の中が、大人な甘さでいっぱいになる。

 のどの奥が少しだけ熱くなる。

 続いてコーヒーを口に含むと、チョコとお酒の余韻がさっぱりと消える。

 祖母が好きな食べかただった。


 チョコとコーヒーを楽しみすぎて、一瞬、ナオキの存在を忘れていた。

 チラリと横を見ると、ナオキが下を向いている。


 「ナオキ? どうしたの?」

 「これ……、お酒入ってる?」

 「え? あ、ちょっとだけね。でも、お菓子だから」

 「オレ……、酒は……」

 「あれ⁉︎ もしかして、全然ダメな人だった?」

 「……したい」

 「ナオキ? 大丈夫? ごめん、お酒弱いなんて」

 「キスしたい」

 「は? 誰と?」

 「いい? したい。ショウゴ……」

 「ボクと?」


 すごく少量のお酒でも酔う人がいることは知っていた。

 酔っ払ったら、キスをしたがる人がいることも。


 (酔って忘れちゃうパターン? でも、だったら、逆に)


 「いいよ。して。キス……」


 つい、そう答えてしまっていた。

 ナオキのような美形に求められることなんて、そうそうないだろう。

 だったら、思い出作りとしてアリなんじゃないか?

 勝手な理屈をショウゴは、頭の中で作り出す。


 ナオキの口が自然に開く。

 トロンとした目つきが、色っぽい。

 ナオキの唇が近づいてくると、ショウゴは待ちきれない。


 (キレイだ……)


 ショウゴは酔っていないはずなのに、目の前が揺れるような気がする。

 ナオキの腕が、ショウゴの背中にまわされる。

 唇がゆっくりと重なりあう。

 一瞬、ヒヤッとしたあとで、ナオキの舌はショウゴの口に入り込む。

 口の中を探るように動く舌に、ショウゴの舌も反応してしまう。

 からませた舌は、同じ温度になって、もうどちらが自分のものか分からない。


 「……んぁっ、……んふぅ、あっ、あ、ん……、んん」


 自然に出た自分の声に、ショウゴは驚く。

 その声を聞いたナオキの目が見開かれる。

 ナオキのキスは、唇だけで止まってはくれなかった。

 シャツを脱がされ、胸の突起がナオキの美しい唇に翻弄される。

 唇を合わせた時とは違う、全身がゾクゾクする感じ。


 「……いやっ……」


 言葉が口から転がり出る。


 「……いや?」


 胸の突起から唇を離さないまま、ナオキがショウゴに問う。

 違う。自分が感じていることが、恥ずかしくて出た言葉だった。

 ナオキにされていることが、嫌なわけではない。


 ショウゴが首を振ると、ナオキはさらに突起をなぶる。

 下半身が急激に膨らんでいくのを、ショウゴは感じる。


 (苦しい。脱ぎたい……)


 そんなショウゴの気持ちを察したかのように、ナオキの手がジャージにのびる。

 広げた手のひらは、スルリとショウゴの肌を滑る。

 その直後に、履いていたボクサーパンツはジャージとともに取り去られた。

 自分が腰を上げて、それを自然に助けたことが信じられない。


 (あぁ、ボク。嬉しいって思ってる……。早くって思ってる)


 ボクサーパンツの締めつけから解放されたショウゴ自身。

 そそり立ったそれは、ナオキを誘うように揺れる。

 それに応えるように、ナオキはショウゴ自身を手のひらで包み込んだ。


 上下に動かされるナオキのすべすべした手のひら。


 「はぁっ、ふぅ……。んんぁ、んくっ……」


 ショウゴは、もれ出る声を抑えられない。

 ナオキの唇が再び近づいてきて、いやらしい声を出すショウゴの口をふさぐ。

 けれど、やはり、その唇も気持ち良すぎて、声は止まらない。


 ナオキのサラサラした髪の毛が、胸に当たる。

 その小さな刺激さえも、今のショウゴには耐えられない。


 「んん! もう……ダメ。ナオキ……」

 「いいよ、いっても」


 ナオキの手のひらに包まれて、ショウゴは達してしまう。

 少しの間、ボーッとしたあとで、ハッと気づく。


 (ボク……、何を? ナオキになんてことをさせちゃったんだ……)

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