世界最強を目指した俺は、挫折し剣を置いた。第二の人生は森の奥で、魔物たちと極上のコーヒーを淹れます。〜S級剣士の隠居カフェ〜
蒼空
第1話:S級剣士、雑草を焦がす
パチ、パチ、と爆ぜる音が、静寂な森に響く。
同時に立ち上るのは、焦げたような、けれど鼻腔をくすぐる香ばしい煙。
俺、イーズ・アレン(三十五歳)は、切り株に腰掛け、小さな赤いトカゲに向かって声をかけた。
「おーいコゲ、ちょっと火力が強いぞ。そこは弱火でじっくり、豆の水分を抜く感じで頼むわ」
「キュウ!」
俺の注文に応じ、サラマンダーの幼体である『コゲ』が、口から吐く炎の勢いをシュンと弱める。
器用なもんだ。かつて俺が剣一本で壊滅させたダンジョンの主(ボス)の子供とは思えない愛らしさである。
俺の手元にあるのは、手製の焙煎網。
中に入っているのは、この辺りの森に自生している『カフィの実』の種だ。
この世界――俺が転生して三十五年を過ごした剣と魔法の世界において、こいつはただの雑草だ。
赤い実は硬くて渋いし、種なんて誰も見向きもしない。道端に落ちていれば蹴飛ばされる、そんな無価値な存在。
だが、前世の記憶を持つ俺だけは知っている。
この種が、黒い宝石になることを。
「よし、いい色だ。一番ハゼ、来たな」
パチパチという音が連続し、青臭かった種が、徐々に茶褐色へと色づいていく。
ここからは時間との勝負だ。
俺は網を振る手首のスナップを速める。
シャカシャカシャカシャカ。
かつて『音速の剣』と恐れられ、S級ランクまで上り詰めた俺の腕力と動体視力が、今はただ、豆を均一に煎るためだけに使われている。かつては世界一の剣士を目指したが、上には上がいるようで、世界一の感剣士になるのを諦め、豆を煎っている。
なんと贅沢な技術の無駄遣いだろうか。
「……そろそろだな。コゲ、火を止めろ!」
「キュッ!」
ざららっ、とザルに豆をあける。
瞬間、周囲に広がったのは、圧倒的な芳香(アロマ)。
ナッツのような香ばしさに、微かな甘い余韻を含んだ、深みのある香り。
「はー……たまらん。これだよ、これ」
俺は大きく息を吸い込み、肺の奥までその香りで満たした。
前世、病院のベッドでチューブに繋がれ、水さえ自由に飲めずに死んだ記憶が遠のいていく。
生きている。俺は今、最高に生きているぞ。
「ウホッ」
「お、ゴリさんも飲みたくなったか?」
涎を垂らして近づいてきたのは、身長三メートルはあるキラーエイプの『ゴリさん』だ。
こいつは元々、通りがかる旅人をミンチにする森の暴れん坊だったが、俺がデコピン一発で沈めたら懐いてしまった。今は店の力仕事担当だ。
「まあ待てって。挽きたてが一番美味いんだから」
俺は冷ました豆を、石をくり抜いて作ったミルに放り込む。
ゴリゴリ、ゴリゴリ。
豆が砕ける感触が手に伝わる。粒子は中挽き。雑味を出さず、香りを最大限に引き出すサイズ。
そして、準備は整った。
カウンター代わりの平らな岩の上に、これまた手焼きの陶器カップを置く。
ドリッパーに紙(特殊な木の繊維を漉いたものだ。苦労した)をセットし、挽いた粉を山盛りに。
「ポチャ、お湯」
「プルルッ」
ウォータースライムの『ポチャ』が体内で生成した純水を、コゲが適温(九十度)に沸かしたポットから、細く、静かにお湯を落とす。
とぷ、とぷ、とぷ。
粉が湯を含み、ふわりとドーム状に膨らんでいく。
まるで生きているような膨らみ。そこから溢れ出すのは、先ほどまでの香ばしさに、『コク』を加えた濃厚な香りだ。
土の匂い、森の匂い、そして焦がした果実の匂い。
ポタ、ポタ、ポタ……。
黒く透き通った液体が、カップに溜まっていく。
この世界にはまだ存在しない飲み物。
茶色い泥水? 毒の煮汁?
ふふ、言わせておけばいい。
「よし、完成」
俺はカップを持ち上げ、湯気の向こうでニヤリと笑った。
まずは一口。
――ズズッ。
口の中に広がるのは、ガツンとした苦味。
けれどすぐに、その奥から果実本来の酸味と、キャラメルのような甘みが追いかけてくる。
喉を通った後も、鼻に抜ける香りが心地いい。
「…………っかー、美味い!」
思わず声が出た。
五臓六腑に染み渡るとはまさにこのこと。
カフェインが血中を駆け巡り、ぼんやりしていた頭がシャキッと冴え渡るのがわかる。
剣の道でトップになれず、挫折して引退した俺だけど。
この一杯が飲めるなら、まあ、人生捨てたもんじゃない。
「ウホウホ(俺にもくれ)」
「キュウ(僕もー)」
「プルプル(私もー)」
魔物たちがカップを持って列をなし始めた。
はいはい、今淹れてやるから。
俺は森の奥、街道からも外れたこの場所に建てたログハウスを見上げる。
看板には『喫茶 隠れ家』の文字。
まだ客は一人もいない。
そもそも、こんな山奥に客なんて来るわけがないし、来たとしてもこの黒い飲み物を飲んでくれる奇特な奴がいるとも思えない。
「まあ、のんびりやろうぜ」
俺は二口目のコーヒーを啜り、口元の端を吊り上げた。
客が来なけりゃ、俺が一生飲み続けるだけだ。それはそれで、最高の老後だろ?
――この時の俺は、まだ知らなかった。
明日の朝、とんでもない客がこの店に転がり込んでくることを。
そして、俺の愛するこの『黒い水』が、やがて世界中を巻き込む大流行を引き起こすことを。
【あとがき】
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