第3話:飢えた狼たちの作戦会議
劇的なビフォーアフターを遂げた、元・汚部屋。
今やそこは、ほのかな柑橘系の香りと、磨き上げられた木の床が輝く「聖域」へと変貌していた。
その聖域の中央、唯一のちゃぶ台(木箱をひっくり返したもの)を囲み、三人の若者が深刻な顔を突き合わせていた。
「いい? マシロ。これはあなたの貞操に関わる重大な会議よ。心して聞きなさい」
警備隊の隊服を部屋着としてラフに着崩したアリサが、低い声で唸る。その眼光は、戦場にある時よりも鋭く、そしてどこかねっとりとしていた。
対面に座るマシロは、体育座りで小首をかしげている。
湯上がりの濡れた髪。湯気でほんのり桜色に染まった頬。そして、相変わらず無防備に開いた胸元。
「貞操? また大げさな。俺、ただの田舎者だよ? そんな貴族の令嬢みたいな心配いらないって」
マシロがへらりと笑う。
その瞬間、アリサが「ぐふっ」と奇妙な声を漏らしてテーブルに突っ伏した。
「……無理よ。ロッテ、代わって 私、今あいつの笑顔を直視したら、理性の留め金が弾け飛んで襲ってしまいそう」
「貴方、本当に騎士ですの? 野獣の間違いではなくて?」
呆れたようにため息をついたのは、副官のロッテだ。彼女は憐れむような目でマシロを見た。
「マシロ君。貴方、王都の『男の価値』というものを根本的に勘違いしておられましてよ」
「価値?」
「ええ。貴方のいらした森……お師匠様の方針だったのかもしれませんけれど、『技術がある』とか『強い』なんて、この社交界では何の意味も持ちませんのよ」
ロッテが人差し指を立て、マシロの鼻先へ突きつける。
「この王都で求められる殿方の三大要素。それは――『貞淑さ』、『慎ましさ』、そして『愛らしさ』。これに尽きますわ」
マシロはぽかんと口を開けた。
あまりに理解不能な単語の羅列に、思考が追いつかない。
「えっと……俺、男だよ? 普通、剣の腕とか、稼ぐ力とかじゃないの?」
「はぁ? 何言ってんの。そんな汗臭いこと、女にやらせとけばいいじゃない」
復活したアリサが、信じられないものを見る目で口を挟む。
「いい、マシロ。男の子の役割っていうのはね、戦場から帰ってきた私たちを、その可愛い笑顔で癒やすことなの。家に帰ったら『おかえり』って言って、温かいご飯を作って、フカフカの布団で一緒に……ぐへへ」
「アリサさん、涎が出ていますわよ。拭きなさい」
ロッテが冷静にハンカチを投げつける。
マシロは少し引いていた。森の師匠は「男も働かざる者食うべからずだ!」と厳しく叩き込んでくる人だったからだ。この王都の常識は、あまりにカルチャーショックが過ぎる。
「とにかくですね、マシロ君。貴方は魅力的な男性である問自覚を持ってくださいまし」
ロッテが指折り数え始める。
「まず、そのお肌。王都の水は硬水で肌が荒れやすいのに、貴方は森の湧き水と、その……なんでしたっけ、謎の美容グッズでお手入れなさっているでしょう? 毛穴が見当たりませんわ」
「ああ、これは『天然ハーブの美容水』のおかげかな。森は乾燥するから、保湿は大事だよ。……これ、薬草の成分が壊れないように、低温で三日三晩煮詰めないといけないから、火の番が大変なんだけどね」
「……出ましたわね、謎錬金術。そのツヤ肌だけで、貴族のオジサマたちは金貨の山を積みますわよ」
「次に、その匂い。人間からは普通、多少なりとも脂と汗の匂いがするものですわ。香水で誤魔化すのが精々なのに、貴方からはお日様の匂いががします」
「これは『特製配合の酵素石鹸』だよ。服の繊維の奥の汚れを分解するから、部屋干し臭がしないんだ」
「果物の酵素を発酵させて作ったんだ。発酵させすぎるとただの腐ったジュースになるから、見極めがシビアでさ」
「……分解? よく分かりませんけれど、貴方を抱きしめたらとても良い香りがするということだけは理解しましたわ」
「最後に、その『家事スキル』。料理ができて、掃除も完璧。なのに、女慣れしてなくて、ウブで、頼み事を断れない性格」
ロッテはそこで言葉を切り、真剣な眼差しでマシロを見据えた。
「結論を申し上げます。……貴方、明日詰所へ行きましたら、秒で『拉致』されますわよ」
「ええっ!?」
「冗談ではありませんわ。貴方のような『受け身特化・尽くし系男子』はですね、飢えた女たちの格好の獲物なのです。『私が守って差し上げなきゃ!』という庇護欲と、『私だけのものにして閉じ込めたい』という独占欲を同時に刺激いたしますの」
マシロは青ざめた。
まさか、そんな世紀末のような世界だとは。
「ど、どうすればいいの……?」
マシロが潤んだ瞳で二人を見上げる。上目遣いだ。
「っ……!!」
ドスン、と鈍い音がした。
アリサが再びテーブルに突っ伏した音だ。今度は鼻血が滲んでいる。
「……あー、もう。アリサさんが使い物になりませんので私が申し上げますけれど」
ロッテも少し顔を赤らめながら、視線を逸らして言った。
「対策は三つですわ。
一、絶対に自分から笑いかけないこと。女たちは獣と理解してくださいまし。
二、どなたかに食べ物や飲み物を頂かないこと。確実に『惚れ薬』か『媚薬』が入っておりますわ。
三、……常に、アリサさんの後ろに隠れていること」
「ロッテ……!」
アリサが服の袖で鼻血を拭いながら、感動したように顔を上げた。
「あんた、いい奴ね……! そうよマシロ、私の背中から離れちゃダメ。トイレに行く時も、着替える時も、私がついててあげるから!」
「それは犯罪ですわよ、アリサさん」
ロッテのツッコミは鋭かったが、アリサの目は本気だった。
マシロは不安そうに頷く。
「分かった。じゃあ、明日は地味にして、目立たないようにするよ」
「ええ、それがよろしいですわ。……ところでマシロ君、さきほどから気になっていたのですけれど」
ロッテがマシロの足元を指差した。
「そのお足、すごくお綺麗ですけれど……何か塗っておいでで?」
マシロは体育座りを崩し、自分の足を無造作に伸ばした。
半ズボンから伸びるふくらはぎは、白く、むくみ一つない。
「ああ、これ? 立ち仕事が多かったから、『高保湿・角質ケアクリーム』を塗ってるんだ。かかととか、ガサガサだと布団に引っかかるし」
「獣脂を何度もろ過して不純物を除いて、花の蜜蝋と練り合わせたんだ。腕がパンパンになるまで混ぜないといけないんだよ」
マシロはそう言って、自分の足首を掴み、クリームを塗り込む仕草をした。
すっ、すっ、と指が肌の上を滑る。
その光景を、アリサは食い入るように見つめていた。
男子高校生が教室で着替えている女子を盗み見るような、粘着質で熱っぽい視線。
(……足首、細っ。指、長っ。……あのクリームになりたい。あんなふうに、マシロの手で、優しく撫で回されたい……)
「ねえマシロ。そのクリーム、背中には塗らなくていいの?」
アリサが、掠れた声で聞いた。
もはや理性など風前の灯火だ。
「背中? うーん、手は届きにくいけど……まあ、大丈夫だよ」
「だ、ダメよ! 乾燥は大敵なんだから! わ、私が塗ってあげようか!? 上手いわよ!?」
「えっ、悪いよアリサ。疲れてるのに」
「疲れてない! むしろ元気! 今なら熊だって素手で倒せる! だから、ほら、脱いで!」
アリサが詰め寄る。その目は完全に「捕食者」のそれだ。
「ちょっとお待ちになって」
ロッテがアリサの首根っこを掴んで止める。
「貴女に触らせたら、クリームを塗るどころか、そのまま『美味しくいただきました』コースでしょう。マシロ君、こやつには指一本触れさせてはなりません。貞操が危ないですわ」
「えぇ……アリサってそんなに獰猛だったの?」
「武器が棍棒の人間が獰猛じゃないわけありませんわ。……はぁ。とにかく、明日の雇用の手続きが終わるまでは、大人しくしていてくださいまし。よろしいこと? アイテムもむやみに見せびらかしてはダメですわよ。特にその美容系アイテムは、国を傾けるレベルの劇薬なんですから」
マシロは「はーい」と素直に返事をして、リュックの中にクリームや石鹸をしまい込んだ。
その仕草一つ一つが、女からすれば無防備でどうしようもなく「可愛い」のだが、本人は気づいていない。
「さて、と。そろそろ休みましょうか」
ロッテが伸びをする。
「このお部屋、ベッドは一つしかありませんけれど」
一瞬の静寂。
アリサの心臓が早鐘を打つ音が、聞こえてきそうな沈黙。
「お、俺は床で寝るよ! コロコロで綺麗にしたし、寝袋もあるし!」
マシロが慌てて言う。
「……バカね」
アリサが、ぶっきらぼうに言った。顔は真っ赤で、耳まで茹で上がっている。
「床なんて、冷えるでしょ。……ベッド、広いから。三人で寝ればいいじゃない」
「えっ」
「きゃっ、大胆ですこと~」
ロッテが茶化すが、アリサは真剣だ。
「マシロは真ん中! 私が右、ロッテが左! ……マシロが夜中に寒くないように、私が暖めてあげるから……!」
「(暖めるというか、蒸し焼きにする気満々ですわね)」
ロッテは小声でツッコミつつも、この面白い状況を楽しむことにしたらしい。
「……分かった。お邪魔します」
マシロはおずおずと頷いた。
数分後。
狭いシングルベッドに、三人が川の字......というより、マシロを押しつぶすような密状態で横たわっていた。
マシロからは、先ほどの石鹸のいい匂いが漂ってくる。
マシロの体温がある。華奢な肩が、自分の腕に触れている。
規則正しい寝息が、すぐ耳元で聞こえる。
(……無理。寝れるわけない)
暗闇の中、アリサは目を見開いていた。
興奮と、幸福感と、そしてどす黒い欲求が渦巻いて、脳内はカオス状態だ。
(マシロの匂い……柔らかい肌……。今、寝返りを打つふりをして抱きついたら……いや、でも……)
隣では、マシロがすぅすぅと無防備な寝息を立てている。
この無防備な子羊は、明日、狼たちの檻(詰所)へと放り込まれるのだ。
(私が守る。絶対に。……そして、いつか私が美味しくいただく)
アリサはそう固く誓い、そっとマシロの手を握りしめた。
マシロの手は、錬金術の作業で少しだけ荒れていたが、アリサにとってはどんな宝石よりも愛おしい感触だった。
一方、逆サイドのロッテは。
「(……明日は面白いことになりそうですわね。ガードゆるゆる男子が女だらけの詰所に……。楽しみですわ!)」
と、趣味の悪いことを考えているのであった。
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