第八話:沈黙の終着、あるいは硝子の境界線(後編)
隔離とは、対象を救うための処置ではない。観測者がその存在を独占し、外部からの干渉という「不確定要素」を排除するためのエゴイスティックな演算だ。
閉鎖回路の中に閉じ込められた論理は、やがて自己参照のループに陥り、崩壊する。その檻はあまりに透明で、あまりに美しかったがゆえに、外側から石を投げられるまで、自分たちが囚われていることにさえ気づけなかった。
放課後の喧騒を背に、僕たちは白砂の自宅へと辿り着いた。
閑静な住宅街に佇むその家は、彼女の性格を映し出したかのように無機質で、生活感という名のノイズを徹底的に排除した「沈黙の要塞」だった。
「……ここなら、誰も来ないわ。あの女も、あなたの記憶を揺さぶるノイズも」
玄関の鍵を閉めた瞬間、白砂は崩れ落ちるように僕に縋り付いた。
彼女の家には、鏡がなかった。
廊下の姿見には厚い布が掛けられ、洗面台の鏡は不透明なシートで覆われている。彼女がこの数日間、独りで戦っていた「恐怖」の正体が、剥き出しの形となって僕の視界に飛び込んでくる。
「白砂さん、君は……ずっと、こうして隠してきたのか?」
「……ええ。見たくなかったの。あなたの顔の中に、彼女と同じ『筆跡』を見つけてしまうのが、怖くてたまらなかった」
白砂は僕の裾を掴んだまま、震える声で告白した。
彼女は知っていたのだ。僕と阿久津の間に流れる、血という名の冷徹な旋律を。それを否定するために、彼女は世界から反射を奪い、僕をこの「硝子の聖域」に閉じ込めた。
「玖島君……。あなたが私を必要としてくれるなら、私は何だってするわ。真実を嘘に書き換え、過去を無に帰して、あなたを私だけの正解にする」
彼女は僕の胸に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。
論理的で、冷徹で、常に最適解を導き出してきた彼女が、僕という一人の少年のために、自らの知性を焼き尽くそうとしている。その歪で、あまりに純粋な愛に、僕は言いようのない快楽と絶望を同時に覚えた。
僕は彼女の背中に手を回し、その震えを鎮めるように強く抱きしめた。
共犯者として、僕は彼女の嘘を信じ抜く。たとえこの先、どんな地雷が待ち構えていようとも。
だが、運命は、僕たちの「沈黙」を許さなかった。
――ピンポーン。
静寂を切り裂くチャイムの音が、家の内外を隔てる硝子の境界線を激しく震わせた。 白砂の体が、岩のように硬直する。
「……誰? 誰も来るはずがないのに。私の住所を、知っている人間なんて……」
白砂は僕の裾を掴んだまま、這うようにして玄関のインターホンへ向かった。
モニターに映し出されたのは、夜の闇を背景に、一人で立ち尽くす阿久津の姿だった。
彼女はモニター越しに、僕たちがそこにいることを確信しているような、静謐な微笑を浮かべていた。 そして、彼女の手には、一通の古い「封筒」が握られていた。
「開けないで。玖島君、開けちゃダメ……!」
白砂が悲鳴を上げる。
けれど、郵便受けの隙間から、その封筒は冷徹な重力に従って、玄関の床へと滑り落ちた。
バサリ、と。
それは、白砂がどれほど隠蔽し、僕がどれほど目を逸らしてきた「真実」という名の爆弾が、ついに僕たちの聖域の内側へと運び込まれた音だった。
封筒の表には、色褪せた文字でこう記されていた。
――『玖島家・阿久津家、親族関係証明書類、及び養子縁組の記録』
白砂は、その封筒を奪い取ろうとして、床に膝をついた。
彼女の指先が、煤で汚れたまま、震えている。
僕はその背後で、自分の呼吸が止まるのを感じていた。
硝子の境界線は、今、音を立てて粉々に砕け散った。
鏡を隠し、光を遮り、沈黙を守り抜いた先に待っていたのは、僕たちが最も恐れていた、逃げ場のない「血の再演」の始まりだった。
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