第五話:無意識の同期(中編)
統計学において、独立した二つの事象が同一の「異常」を導き出す確率は、変数の数が増えるほど指数関数的に減少する。
それは計算機が弾き出すエラーコードのようなものであり、解きたくない謎が向こうから扉を叩いているような、そんな不吉な予感だった。
翌日のホームルーム。昨日行われた小テストが、数学の教師の手によって返却された。
教室の温度は相変わらず低く、僕たちの周囲だけは透明な壁に守られたまま。だが、教卓に立つ教師が僕の答案用紙を置いた際、その指先がわずかに躊躇ったのを、僕は見逃さなかった。
「……玖島。今回の証明問題だが、非常に独特なアプローチだったな」
教師の声には、賞賛よりも困惑が混ざっていた。
僕は返された答案を見つめる。そこには、教科書の解法を無視し、僕が直感的に「最も効率的」だと判断した、飛躍の多い論理展開が赤ペンでなぞられていた。
「実は、もう一人……全く同じ『独自の補助線』を引き、全く同じ箇所で『論理の省略』を行っていた生徒がいる」
教師の視線が、僕を通り過ぎて斜め前方に向けられる。
教室内が、さざなみのような沈黙に包まれた。言及されるまでもなく、全員がその「もう一人」が誰であるかを悟っていた。
阿久津。
彼女は答案を静かに受け取り、一度もこちらを見ることなく、ただその紙を机に伏せた。
僕が使ったのは、一度目の人生でも習わなかった、僕自身がこの二度目の日々の中で構築した「独自の思考回路」だ。それを他人が模倣することなど、物理的に不可能なはずだった。
不意に、左腕に鋭い圧迫感を感じた。
白砂が、僕の裾を掴んだまま、僕の答案用紙を覗き込んでいる。彼女の瞳は、まるで高度な暗号を解析する機械のように、僕の筆跡と阿久津の背中を交互に走査していた。
「……不愉快だわ」
白砂の囁きは、研ぎ澄まされたナイフのように冷たかった。
「数式の並びだけではない。この『三行目から五行目への不自然な飛躍』。論理を構築する際の『悪癖』。……それさえもが、鏡合わせのように一致している。……玖島君。あなた、彼女といつ言葉を交わしたの?」
「交わしてない。……誓ってもいい」
「ええ。わかっているわ。あなたは私を裏切らない。……でも、私の知らないところで、あなたの『魂の設計図』が汚染されている」
白砂は僕の裾を掴んだまま、自らの指先が白くなるほど力を込めた。彼女の耳の端が僅かに赤くなっているのは、嫉妬ゆえか、あるいは彼女の理解を越えた事象に対する屈辱感ゆえか。
つんとした態度を保とうとしながらも、彼女の呼吸は僅かに乱れている。論理の化身である彼女にとって、この「説明のつかない同期」は、自分の領域を侵食する未知のウイルスに等しいのだろう。
休み時間になり、教師が退出すると、白砂は唐突に立ち上がった。
「……玖島君。少し、確かめてきたい不整合(ノイズ)があるの」
彼女は僕の答えを待たず、けれど最後に名残惜しそうに裾を一度強く引いてから、教室を出て行った。その歩調はいつもより速く、何かを決定的に否定しようとする強固な意志に突き動かされているようだった。
彼女が去り際、入り口近くの姿見の前を通りかかる。
やはり、彼女は顔を逸らした。 自分の姿を映す鏡を、まるでそこに「あってはならない真実」が映り込んでいるかのように忌避する、その徹底した拒絶。
白砂の避ける鏡と、阿久津が見せる鏡像のような同期。
僕は、自分の答案用紙を握りつぶした。
白砂の「何も心配いらない」という言葉を信じたい。彼女が引いた境界線の外側には、何も存在しないのだと思いたい。
だが、僕の指先が、無意識のうちに阿久津と同じリズムで机を叩き始めたとき、僕は自らの「能動的な無知」が、音を立てて崩れ始めるのを感じていた。
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