夢老い人

@PANGEAPermian369

第1話 現実の味

「夢の中でだけ、僕は愛される」


第1話 現実の味 


 目覚まし時計の音は、いつだって最悪のタイミングで鳴る。 眠りが浅いときほど耳に突き刺さるし、深く眠っているときほど容赦なく夢を引き裂く。 

 「……うるせぇなぁ……」 健人は布団の中で身じろぎし、枕元を手探りした。やっとのことでアラームを止め、天井を見上げる。白くて、ひび割れた天井。見慣れすぎて、もう何の感情も湧かない。六畳一間。ユニットバス付き。築30年以上。安い家賃だけが取り柄のアパートだ。

 (今日も、か……) 

 胸の奥に、鉛のような重さが沈んでいる。理由は分かっている。今日も、何も変わらない一日が始まるからだ。大学は2年で辞めた。特別やりたいことがあったわけじゃない。やりたいことがないからこそ時間稼ぎをした。ただ、周りが進んでいく速度に、どうしてもついていけなかった。

 今はフリーター。駅前のコンビニで、週5日、夜勤と夕勤を行き来している。 制服に袖を通すと、鏡の中の自分と目が合った。覇気のない顔。少し伸びた前髪。無精ひげ。誰の記憶にも残らなさそうな男。「……はぁ」 ため息だけは、無駄に上手くなる。

  ——— コンビニは、独特の匂いがする。揚げ物の油、おでん、中華まん。それらが混ざった、人工的な匂い。「いらっしゃいませー」 声は機械的に自然に出る。そこに感情は、ほぼない。昼のピークが過ぎ、店内が少し静かになる。そのときだった。「あ、お疲れさま」 背後から、柔らかい声がした。 振り返ると、そこに立っていたのは——優香先輩だった。

  同じバイト先で、2つ年上。笑うと目が細くなって、話し方が優しい。それだけで、なぜか周囲の空気まで和らぐ。「お疲れさまです」  健人は、必要以上に声を張って答えた。 優香はレジの近くで品出しをしながら、何気ない調子で言う。

 「今日、暑いね。アイスすぐ減っちゃう」「……ですね」  会話はそれだけ。たったそれだけなのに、胸が少しざわつく。 ——でも、それ以上は何も起きない。彼女は他の客にも、同じように笑いかける。自分だけが特別じゃないことを、健人はよく知っていた。

 (分かってる……分かってるけどさ) 

 彼女の視線は、いつも自分の少し上を通り過ぎる。それが、どうしようもない現実だった。

  ——— 仕事が終わり、夜の街を歩く。ネオンは派手で、人は多い。なのに、孤独だけがくっきりと輪郭を〝放つ〟。(俺って、何してるんだろう)答えは出ない。出ないまま、アパートに帰る。 シャワーを浴び、ベッドに倒れ込む。スマホをなんとなく眺めていると、広告が目に入った。


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 ——【夢を鮮明に記憶する】 

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 「……夢?」 思わず、声が漏れた。馬鹿げている。現実がダメだからって、夢に逃げるなんて。

 でも(もし……)

 もし、夢の中でなら、誰かに必要とされるとしたら。 もし、あの人が——。 その夜、健人は久しぶりに、深く眠った。


 ────   気づくと、そこは草原だった。空は異様なほど青く、風が心地よい。  足元の草は柔らかく、触れる感触まではっきり分かる。「……なに、ここ……」現実よりも、現実みたいだった。

 そのとき。「ケントくん」と 呼ばれて、振り向く。そこに立っていたのは——優香先輩だった。いや、先輩にそっくりな誰か。でも、夢の中の彼女は、迷いなく健人を見つめていた。

  「会いたかった」 そう言って、彼女は微笑む。その笑顔は、現実で一度も向けられたことのないものだった。胸の奥が、じんわりと温かくなる。

 (……夢でも、いい)

 そう思った瞬間。 世界は、さらに鮮やかに色づいた。

 ——そして。 目覚ましの音で、現実に引き戻される。「……え?」 時計を見ると、出勤時間をとっくに過ぎていた。 胸に残る、温もりだけが、妙にリアルだった。


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