ギルドの酒場で死に戻りを繰り返すC級冒険者の話

ペンギンの搾り汁

本編


「C級昇格を祝って、乾杯!!」


 ジョッキがぶつかり合う軽快な音が、騒がしいギルドの酒場に響き渡る。

 琥珀色のエールが泡をこぼし、俺の手を濡らした。

 向かいの席では、魔導士のリーナが顔を赤らめて笑い、隣では大剣使いのガンスが豪快に喉を鳴らしている。

 弓使いのミリに至っては、もう出来上がっているのか、テーブルに突っ伏して笑い上戸になっていた。


「いやあ、長かったな! 万年D級のお前がついにC級とは!」

「うるせえよガンス。お前が先に行きすぎなんだ」

「ははっ! 違いねえ!」


 口では悪態をつきながらも、俺の頬は緩んでいた。

 冒険者になって五年。ようやく、一人前と認められるC級のライセンスを手に入れた。

 今日はその祝いだ。安っぽい酒場の喧騒も、油の染みついた床の匂いも、今日ばかりは心地よく感じる。


 カラン、カラン、カラン――。


 壁掛けの古時計が、夜の十時を告げる鐘を鳴らし始めた。

 もうこんな時間か、そう言いかけた瞬間だった。


 フッ、と視界が消えた。


 松明の明かりが消えたとか、そういうレベルの暗闇ではなかった。

 粘着質な、重たい闇。

 目を開けているのか閉じているのかさえ分からないほどの、絶対的な漆黒が世界を塗り潰した。


「な、なんだ!? リーナ、明かりを!」


 俺は反射的に叫んだ。

 だが、返事はない。

 周囲の喧騒すらも、闇に飲まれたかのように静まり返っている。

 いや、違う。俺の感覚が遮断されているのか?


 ――ザザッ。


 背後で、硬質な音がした。

 重い金属を、石床に無理やり擦り付けたような、不快な音。


「誰だ?」


 振り返ろうとした。

 その瞬間、熱が走った。


 背中から胸へと突き抜ける、焼けるような衝撃。

 痛みは一瞬遅れてやってきた。

 

「あ……が……」


 声にならない喘ぎとともに、俺はテーブルへと倒れ込んだ。

 冷たい刃の感触が体内にある。

 心臓だ。一撃で、確実に急所を抉られている。

 誰だ。


 意識が急速に遠のく中で、俺は必死に首を巡らせようとした。

 だが、体は動かない。

 視界は闇に包まれたまま、俺の思考はプツリと途絶えた。


 ***


「C級昇格を祝って、乾杯!!」


 衝撃で、俺は弾かれたように身を仰け反らせた。

 ジョッキからエールが盛大にこぼれ、ズボンを濡らす。


「おわっ、どうしたんだよ急に! ビビらせんなって!」


 ガンスが驚いて目を丸くしている。

 俺は荒い息を吐きながら、周囲を見渡した。

 いつもの酒場。

 笑うリーナ。突っ伏しているミリ。喧騒。松明の明かり。

 心臓を貫かれた痛みも、あの絶対的な闇もない。


「……ゆ、め?」


 俺は震える手で自分の胸をまさぐった。傷はない。

 だが、あの死の感触はあまりにもリアルだった。背筋を這い上がった悪寒がまだ残っている。

 酔いが回りすぎて変な白昼夢でも見たのか?


「大丈夫? 顔色が悪いよ?」


 リーナが心配そうに覗き込んでくる。

 俺は無理やり笑顔を作った。


「あ、ああ。いや、ちょっと飲みすぎたみたいだ」

「なんだよ情けねえな。それでも男か?」


 ガンスのからかいを聞き流し、俺は新しいジョッキに口をつけた。酒の味がしない。

 あれは夢だ。そう言い聞かせる。だが、妙な胸騒ぎが消えない。


 時間は過ぎていく。他愛のない冒険譚、次の依頼の話、報酬の使い道。

 普段なら楽しいはずの会話が、俺の耳にはどこか遠く響いていた。

 そして。


 カラン、カラン、カラン――。


 古時計が鳴り始めた。

 その音を聞いた瞬間、全身の毛が逆立った。

 まさか。


 視界が、黒に染まる。


「嘘だろ――」


 あの闇だ。夢じゃない。

 俺は咄嗟に腰の短剣に手を伸ばそうとした。だが、闇の中で距離感が掴めない。

 

 パリン。


 どこかで何かが割れるような小さな音がした。

 直後。

 

 ――ザザッ。


 あの音だ。床を擦る、金属音。

 後ろだ。

 俺は椅子を蹴り倒して横に跳ぼうとした。


 ドスッ!!


「ぐ、ぁ……ッ!」


 遅かった。

 再び、背後からの刺突。

 今度は肺だ。熱い血が喉までせり上がり、口から溢れ出した。

 薄れゆく意識の中で、俺は確信した。

 殺される。

 そして、俺は「死に戻り」をしている。


 ***


「C級昇格を祝って、乾杯!!」


 三度目の乾杯。

 俺はジョッキをテーブルに叩きつけた。


「おい、どうしたんだよ!」


 ガンスの声は無視だ。

 俺の頭は、混乱と恐怖を超えて、冷徹な回転を始めていた。

 死に戻りの現象自体の解明は後だ。今は、この「死のループ」を回避しなければならない。

 

 状況を整理しろ。

 時計の鐘と共に訪れる闇。そして、背後からの一撃。

 あの闇はなんだ? 松明を一瞬で消すなんて芸当じゃない。視界そのものを奪う魔法だ。

 このパーティーで魔法を使えるのは一人しかいない。


 俺は鋭い視線をリーナに向けた。

 闇属性の魔法。彼女は光と火が専門だが、隠し持っていたとしたら?

 動機は? 昇格への嫉妬? それとも裏切り?

 分からない。だが、可能性が高いのは彼女だ。


「……リーナ」

「ん、なに?」

「悪いが、今すぐここから出て行ってくれ」

「え?」


 場が凍りついた。

 リーナはきょとんとし、ガンスは眉をひそめる。


「なんだよそれ。冗談にしては笑えねえぞ」

「冗談じゃない。頼む、リーナ。今すぐ外へ行ってくれ。俺の顔を見たくないならそれでもいい。とにかく、この酒場から出るんだ」


 俺の声は震えていたかもしれない。だが、目は真剣だったはずだ。

 リーナは俺の異様な雰囲気に気圧されたのか、怒ることもなく、ただ悲しげに眉を寄せた。


「……分かったよ。せっかくのお祝いなのに、残念」


 彼女は杖を手に取り、酒場を出て行った。

 胸が痛む。もし間違いだったら、俺は最悪のクズだ。

 だが、これで生き残れるなら。


 俺は時計を睨みつけた。

 ガンスとミリが気まずそうに沈黙している。

 

 カラン、カラン、カラン――。


 来た。

 俺は身構え、背後を警戒する。リーナはいない。魔法は発動しないはずだ。


 フッ。


 視界が闇に飲まれた。


「なっ……!?」


 なぜだ!? リーナはいないはずだ!

 混乱する俺の耳に、あの音が届く。


 パリン。

 

 そして、ザザッという金属音。


「しまっ――」


 衝撃。激痛。

 俺はまた、死んだ。


 ***


「C級昇格を祝って、乾杯!!」


 四度目。

 俺はこぼれそうになる悲鳴を飲み込み、エールを一気に煽った。

 落ち着け。状況を整理しろ。


 犯人はリーナじゃなかった。

 あの闇は、彼女の魔法じゃない。

 そうだ、音だ。「パリン」という音。あれはガラスが割れる音だ。

 思い出した。講習で習ったことがある。「闇夜の瓶(ダークネス・ボトル)」、あるいは「黒霧のポーション」。

 魔力を込められた使い捨ての魔道具(アイテム)だ。

 地面に叩きつければ、魔法使いでなくとも周囲の視界を奪う闇を作り出せる。


 つまり、犯人は魔法使いである必要はない。

 戦士でも、弓使いでも、ただの市民でも可能だ。

 俺は頭を抱えそうになった。容疑者が全員に戻ってしまった。


 だが、まだ手掛かりはある。

 殺害方法だ。

 闇の中で聞こえる、「ザザッ」という音。

 あれは剣を引きずる音だ。それも、かなりの重量がある剣。

 短剣や細剣なら、持ち上げて運ぶ。わざわざ床に擦って音を立てたりしない。

 重くて持ち上げられないのか、あるいは長すぎて床に当たるのか。

 この場にそんな武器を持っている奴は……。


 俺の視線は、隣の男に向けられた。

 ガンス。

 背負っているのは、身の丈ほどもあるバスターソード。

 あいつなら、一撃で俺の体を貫通させることも造作もない。

 あいつが犯人か? 親友だと思っていたあいつが?


「……ガンス」

「おう、どうした?」


 屈託のない笑顔。これが演技だとしたら大したものだ。

 だが、命には代えられない。


「悪いが、出て行ってくれ」

「はあ? 何言ってんだお前」

「頼む。お前の顔を見ていたくないんだ」


 心にもない言葉を吐く。ガンスの顔が怒りに染まる。


「てめえ……昇格したからって調子に乗ってんのか? ああそうかよ、せっかく祝ってやろうと思ったのによ!」


 ガンスは荒々しく席を立ち、大剣を背負い直して出て行った。

 リーナも、今のやり取りを見て怯えたように「わ、私も帰る」と出て行ってしまった。

 残るは、泥酔して寝ているミリと、カウンターの中にいる無口なマスターだけだ。


 これでいい。

 俺は短剣を抜き、テーブルの下で構えた。

 犯人がガンスなら、これで何も起こらないはずだ。


 時計の鐘が鳴る。


 フッ。


 闇が落ちた。


「嘘だろ……ッ!!」


 絶望が喉を焼き尽くす。

 ガンスでもない!?

 

 パリン。

 ザザッ。


 音が近づいてくる。

 俺は闇雲に短剣を振り回した。


「来るな! 誰だ、誰なんだよッ!!」


 虚空を切り裂く俺の手応えは何もない。

 だが、殺意だけは確実に背後に回り込む。


 ドスッ。


 四度目の死。

 俺は、自分の血の熱さを感じながら、底知れぬ恐怖に震えた。

 仲間じゃない。誰だ? 透明人間か? それともマスターか? あの寝ているミリが?


 ***


「C級昇格を祝って、乾杯!!」


 五度目。

 もう、乾杯の音頭すら耳に入らない。

 俺は立ち上がった。椅子が派手に倒れる。


「全員、出て行け!!」


 俺は叫んだ。酒場中の客が驚いてこちらを見る。


「今すぐだ! 全員ここから出て行ってくれ! 俺一人にしてくれ!!」


 狂ったような俺の形相に、客たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 リーナたちも、俺の異変に怯えて去っていく。

 マスターだけが、困惑した顔でカウンターに残っていた。


「おい、あんた。営業妨害だぞ」

「あんたもだ! 奥に引っ込んでてくれ! 鍵をかけて、絶対に出てくるな!」


 マスターは肩をすくめると、厨房の奥へと消えていった。

 静寂。

 広い酒場に、俺一人。


 俺は部屋の中央に立ち、短剣を構えて全方位を警戒した。

 誰もいない。

 テーブルの下、椅子の影、樽の裏。全て確認した。

 誰も隠れていない。


 これで殺されるなら、相手は幽霊か魔物だ。

 心臓が早鐘を打つ。汗が目に入る。

 

 カラン、カラン……。


 鐘が鳴る。

 来るな。来るな。


 フッ。


 闇。


「あああああくそったれえええええ!!」


 俺は半狂乱で叫びながら、闇の中を走り回った。

 誰もいないはずだ。なのに、気配がする。

 殺意が、この空間そのものに充満している。


 パリン。

 割れる音。どこだ? 音が反響して方向が分からない。


 ザザッ。

 擦れる音。


「どこだ! どこにいる!!」


 俺はカウンターの方へ突っ込んだ。

 手当たり次第に物を薙ぎ払う。グラスが割れ、ボトルが散乱する。

 その時、手から汗で滑った短剣が落ちた。


 カキン。


 硬く、高い音。

 俺の動きが止まった。

 

 ここはカウンターの内側の床だ。木製のはずだ。

 なのに、なぜ金属を叩いたような音がする?


 死の予感が背筋を撫でる中、俺は這いつくばって床を探った。

 闇の中でも指先の感覚は生きている。

 木の板の継ぎ目。だが、そこには違和感があった。

 冷たい金属の蝶番。そして、取っ手のような窪み。


 隠し扉。

 それも、人が一人入れるほどの。


 一瞬、記憶がフラッシュバックする。

 いつだったか、マスターが言っていた。「ワインの収納を増やしたんだ」と。

 地下収納。

 犯人は、外から来たんじゃない。最初から、ここにいたんだ。

 俺たちの足元、薄い板一枚隔てた地下に潜んで、じっと時を待っていたんだ。


 ザザッ。


 音が、すぐ足元から響いた。

 地下から、刃物が突き出されようとしている音。

 今までの「引きずる音」じゃない。

 地下の狭い通路から、長い剣を押し上げるために、壁や入り口の枠に刃が擦れていた音だ!


 俺は反射的にその場から転がった。


 ガバッ!!


 床板が勢いよく跳ね上がり、闇を切り裂くように銀色の刃が突き出された。

 俺がさっきまで立っていた空間を、必殺の剣閃が貫く。


「……っ、外したか」


 闇の中で、男の声がした。

 低く、どこか懐かしく、そして憎悪に満ちた声。


 俺はポケットから、非常用の発光石を取り出し、床に叩きつけた。

 強烈な白い光が炸裂し、人工的な闇をかき消していく。


 床の隠し扉から半身を乗り出し、大剣を構えている男。

 ボロボロのローブを纏い、顔には無精髭を生やしているが、その目つきだけは見間違えようもなかった。


「……兄貴」


 そこにいたのは、三年前に実家を勘当され、行方不明になっていた俺の兄、ランバートだった。


「よう、落ちこぼれ。C級昇格、おめでとうなぁ」


 兄は歪んだ笑みを浮かべ、大剣を担ぎ直した。

 その瞳には、かつて俺に向けられていた侮蔑と、それを上回るドス黒い嫉妬の炎が燃え盛っていた。


「なんで……あんたがここに」

「ずっと見てたぜ。お前がヘラヘラと冒険者ごっこをしてるのをな。俺が全てを失って泥水をすすってる間になあ!」


 兄は叫び、床を蹴って飛び出してきた。

 大剣が唸りを上げて振り下ろされる。

 だが、今の俺は、さっきまでの訳も分からず殺されていた俺とは違う。


 敵の正体は見えた。

 仕掛け(トリック)も暴いた。

 そして何より、この五回の死が、俺の感覚を極限まで研ぎ澄ませていた。


「終わりだ、兄貴!」


 俺は踏み込んだ。

 大剣の軌道を紙一重で見切り、その懐へと潜り込む。

 手には、床から拾い上げた愛用の短剣。


 祝杯の夜は終わった。

 ここからは、本当の冒険者の時間だ。


 俺は迷わず、その刃を振り抜いた。

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