口承共同体期

■ 概要


情報伝達史における口承共同体期(先史時代〜概ね紀元前3000年頃)とは、情報が主として発話と聴取という身体的行為を通じて伝達され、記号的・物質的媒体に固定される以前の段階を指す。


この段階において情報は、独立した「内容」として存在するのではなく、語り手・聴き手・場・時間・関係性の総体のなかで一時的に立ち現れる出来事であった。情報は保存される対象ではなく、共有され、反復され、忘却される過程そのものとして存在していた。


口承共同体期の情報伝達は、制度化された通信技術や広域的ネットワークを欠く一方で、共同体内部においては高い即時性と信頼性を持って機能していた。情報の価値は、内容の新規性や正確性以上に、誰が、どのような関係のなかで語ったかによって規定されていた。


この時期の情報伝達史的意義は、情報がまだ「切り出されるもの」ではなく、「関係のなかで生きるもの」であった点にある。後の文字化・記録化・拡散化は、この関係的情報モデルを分解し、再構成していく長い過程として理解される。


口承共同体期は、情報伝達史の原初段階であると同時に、情報が最も社会的・身体的・儀礼的であった時代として位置づけられる。



■ 1. 秘匿性 ― 共同体内部に閉じた情報空間


口承共同体期における秘匿性は、制度的な隠蔽や意図的遮断としてではなく、共同体構造そのものによって自然に成立していた。


情報は基本的に対面的状況でのみ流通し、語りの場に居合わせた者だけが共有者となる。そのため、情報の到達範囲は地理的・社会的に強く限定され、共同体の外部に対しては自動的に秘匿される構造を持っていた。


この秘匿性は、情報を隠すための技術や規則の結果ではない。むしろ、移動性の低さ、伝達手段の身体依存性、言語や儀礼の内輪性といった条件が、結果として情報を閉域化していたのである。


また、すべての情報が共同体内部で等しく共有されていたわけではない。神話、儀礼知、狩猟や採集に関わる技術的知識などは、年齢、性別、役割、通過儀礼の有無によって段階的に開示されることが多かった。この点で秘匿性は、共同体の秩序維持と教育構造の一部として機能していた。


重要なのは、秘匿性が権力的操作として自覚されていない点である。情報は「秘すべきもの」だから隠されていたのではなく、「共有されるべき相手が限られている」からこそ、結果として秘匿されていた。


この段階の秘匿性は、後代に見られる機密・検閲・暗号とは異なり、情報伝達史における最も非制度的で、かつ安定した遮断形態であった。



■ 2. 真正性 ― 語り手への信頼としての真理


口承共同体期における真正性は、情報の内容そのものに内在する属性ではなく、語り手への信頼と関係性の厚みによって担保されていた。


情報が真であるか否かは、「それが事実と一致しているか」という抽象的基準によって判断されるのではない。「誰が語ったのか」「その人物がこれまでどのような行為を積み重ねてきたか」「共同体内でどのような位置を占めているか」が、真正性の決定的要因であった。


年長者、長老、シャーマン、経験豊富な狩人などは、情報の真正性を体現する存在として機能した。彼らの語りは検証を要する仮説ではなく、共同体的経験の凝縮として受容される。


この真正性は、反復と記憶によって強化される。神話や物語は、語られるたびに細部を変化させながらも、核心部分を保持し続けることで「正しさ」を更新する。真正性とは固定された原本への一致ではなく、共同体的承認の持続性であった。


そのため、口承共同体期には「誤情報」という概念自体が限定的である。情報が誤りであると判断される場合、それは内容の虚偽というより、語り手の信頼失墜や関係破綻として処理される。


この段階の真正性は、後に登場する文書・署名・証明といった形式的担保とは根本的に異なる。情報伝達史の観点から見れば、ここでは真正性は技術ではなく、人間関係の属性として存在していた。



■ 3. 広報性 ― 共同体内部における限定的公開


口承共同体期における広報性は、現代的な意味での「不特定多数への公開」とは本質的に異なる。


情報が公開されるとは、空間的・社会的に画定された共同体の成員に対して提示されることを意味していた。広く伝えることと、遠くまで伝えることは同義ではなく、むしろ「同じ場を共有する者に確実に伝えること」が重視された。


広報の主要な場は、儀礼、集会、祭祀、共同作業の時間である。情報は日常生活から切り離された独立の告知行為としてではなく、身体的行為や儀礼的秩序の一部として埋め込まれていた。そのため、情報の伝達は常に共同体的経験と結びつき、単なる通知以上の意味を帯びる。


この段階では、情報を「広く知らせるべきもの」と「限られた者にのみ伝えるべきもの」とに明確に分類する制度は存在しない。広報性は制度的判断ではなく、場の性格と関係性によって自動的に決定される。


重要なのは、広報性が不足していたわけではないという点である。口承共同体期においては、必要な情報は必要な範囲に十分行き渡っていた。共同体規模が小さく、成員間の関係密度が高いため、情報の共有は高い実効性を持っていた。


この限定的広報性は、後に人口規模の拡大や広域統治が進むにつれて機能不全を起こす。だが同時に、情報が過剰に拡散しないという点で、情報統制の必要性を内在的に解決していた段階でもあった。


情報伝達史の観点から見れば、ここでは広報性は「最大化されるべき価値」ではなく、「共同体秩序を維持するための適正範囲」として成立している。



■ 4. 即時性 ― 即時性と同時性の内部最適化


口承共同体期における即時性は、距離を克服する速度ではなく、場の内部における即時性として現れる。


情報は発話と同時に受信され、解釈され、反応を引き起こす。そこに技術的遅延は存在せず、情報伝達は身体的同期のもとで完結する。この即時性は、情報が行為と不可分であることを意味する。


ただし、この即時性は空間的に強く制約されている。共同体の外部に情報を届けるには、人の移動という物理的制約を伴い、時間は必然的に伸長する。即時性は共同体内部で最大化される一方、外部に対してはほとんど考慮されない。


この構造は、情報の価値が「早く遠くに届くこと」ではなく、「適切な者に適切なタイミングで共有されること」に置かれていたことを示している。情報の速度は、社会的必要性によって自然に調整されていた。


また、即時性は判断の速度とも結びついている。情報が即時に共有されるからこそ、意思決定や行動もまた迅速に行われる。ここでは、情報の遅延を前提とした制度的緩衝装置は不要であり、時間は分割・管理される対象ではない。


後代において、通信技術が距離を圧縮し、即時性が独立した価値として追求されるようになると、この「内部最適化された即時性」は失われる。情報は即時に届くが、理解や判断が追いつかないという逆転が生じる。


口承共同体期の即時性は、情報伝達史において最も人間的で、かつ社会的リズムと整合的な速度構造を示している。



■ 5. 記録性 ― 記憶と反復としての保存


口承共同体期における記録性は、物質的媒体への固定としては存在しない。情報は書き留められず、保存される対象でもなく、人間の記憶と反復行為のなかでのみ持続する。


この段階での記録とは、情報を変化させずに保持することではない。物語、神話、系譜、技術知は、語られるたびに細部を変えながら再構成される。変形は劣化ではなく、むしろ情報を現在の状況に適合させるための更新過程であった。


反復は、記録の代替装置として機能する。儀礼や歌は、定期的に再演されることで記憶を身体化し、共同体全体に分散して保持される。記録は特定の保管場所に集積されるのではなく、人々の身体と関係網のなかに拡散して存在していた。


この構造において、忘却は単なる欠損ではない。不要になった情報、意味を失った語りは自然に消滅し、必要な情報のみが生き残る。記録性は選別と忘却を内包した動的均衡として成立していた。


後代の文字記録は、情報を変化から切り離し、同一性を保存することを可能にする。しかし同時に、状況適応的更新という口承的記録性の利点を失わせる。情報伝達史の観点から見れば、口承共同体期の記録性は、最も柔軟で、かつ最も脆弱な保存形態であった。



■ 締め


口承共同体期は、情報伝達史において、情報がまだ独立した対象として切り出されていない段階である。


秘匿性は共同体境界そのものとして自然に成立し、真正性は語り手への信頼として担保され、広報性は共同体内部での限定的公開として機能し、即時性は場の内部において即時的に最適化され、記録性は記憶と反復という動的過程として維持されていた。


ここでは、情報は管理・統制・拡散の対象ではなく、生活実践と不可分の関係的存在である。情報を「どこまで伝えるか」「どれほど残すか」といった問いは、まだ制度的問題として立ち上がっていない。


しかし、この関係的情報モデルは、人口増加、移動の拡大、交易や征服の進展によって次第に限界を露呈する。共同体の外部に向けて情報を届け、時間を超えて保持し、関係を持たない他者にも信頼可能な形で提示する必要が生じるからである。


その要請に応えるかたちで、情報は記号化され、文字に固定され、媒体を獲得していく。口承共同体期は、後に続く文字定着期以降のすべての段階にとって、克服されるべき前史であると同時に、失われた理想像として反復的に想起される起点でもある。


情報伝達史は、この原初的関係性の解体と再構成をめぐる長い試行錯誤として、以後の時代へと展開していく。

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