第3話 ホテル帰りのレトロ自販機うどん物語
小生の名は、
文豪めいた名を持ちながら、物語は書けぬ。
書けるのは、ただ――腹が減った理由くらいである。
ゆえに小生は今日も、食に出会いにゆく。
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地方出張の夜は、決まって音が少ない。
昼間は車の出入りが絶えぬであろう国道も、日が落ちれば、たまに大型トラックが唸りを残して過ぎていくだけになる。
取引先は市街地から離れた工業団地の奥で、ホテルまでは徒歩三十分ほど。
バスはすでにない。
タクシーを呼ぶほどでもない。
小生はコートの襟を立て、国道沿いの歩道を歩いていた。
謝罪と説明と確認で埋まった一日。
失敗したのは小生ではない。
だが、今回もまた、頭を下げる役目は小生に回ってきた。
それが会社というものであり、平社員というものである。
――せめて、あたたかいものを。
そう思ったときだった。
暗がりの向こうに、ぽつりと灯りが見えた。
近づくにつれ、それが建物の軒先であるとわかる。
色褪せた看板に、「ドライブイン」の文字。
入口にはシャッターが下りている。
店内は真っ暗だ。
その代わり、軒下に並ぶ数台の自販機だけが、生き物のように光っていた。
うどん。
そば。
トースト。
ハンバーガー。
小生は、思わず足を止めた。
――ああ。
学生の頃、友人たちと地方を回ったとき、深夜の国道沿いで一度だけ世話になったことがある。
そのときも、店は閉まっていて、自販機だけが明るかった。
レトロ自販機。
まさか、二十数年ぶりに、しかも一人で向き合うことになるとは思わなかった。
周囲に人影はない。
風が吹くたび、空き地の草がざわりと音を立てる。
小生は自販機の前に立ち、「うどん」のボタンを押した。
がちゃん。
乾いた音が、夜気にやけに大きく響く。
容器が落ち、機械の奥で湯が動く気配がする。
数十秒。
短いはずの時間が、妙に長い。
やがて、湯気。
蓋を開けると、白い蒸気が、ふわりと立ちのぼった。
「……匂いが、違う」
学生時代のそれは、もっと塩気が立ち、夜向けで、荒っぽかった。
だがこの出汁は、甘い。丸い。
昆布の気配が先に来て、かつおがその後を追う。
地方が違えば、出汁も違う。
当たり前のことを、なぜか新鮮に思う。
まさか自販機のうどんの出汁が違うとは、思いもしなかった。
箸を割り、うどんを持ち上げる。
柔らかい。
ずず、と一口。
「やはり、違う」
優しい。
夜の胃に、静かに染みていく味である。
小さなかき揚げは衣がほどけ、玉ねぎが申し訳程度に浮いている。
豪華ではない。
だが、これでいい。
誰に見せるでもなく、語る相手もなく、評価されることもない一杯。
ただ、小生と、この土地と、湯気だけがある。
ふと、ガラスに映った自分の顔を見る。
ネクタイを緩め、コートを着た四十八歳。
学生の頃のように、笑い合う仲間はいない。
なのに、不思議と寂しさは強くない。
孤独、というには温かく。
満足、というには静かすぎる。
出張の夜には、この宙ぶらりんな感触が、よく似合う。
汁を飲み干すと、腹の底が、ゆっくりとほどけていった。
「なるほど」
レトロ自販機は、思い出を売っているのではない。
その土地の夜を、黙って注いでくる装置なのかもしれぬ。
ホテルまでは、あと十分。
小生は襟を正し、再び国道沿いの闇の中へ歩き出した。
- 完 -
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