第2話 灰かぶりの国
――本日は曇り。
――気温は摂氏二十二度です。
――当局は午後四時まで放送を中断いたします。
――本日は午後七時にテレビの臨時放送がございます。
――ご視聴をお願いいたします。
ラジオの電源が落ちた。
薄茶色のブレザーに袖を通し、壁の大きな油彩画を眺める。
青い空。
白い雲。
紫の稜線。
公園の緑。
赤い屋根。
青い屋根。
黒い太陽光パネル。
道端のピンクのコスモス。
小学生たちの黄色い帽子。
白髪の男性と二匹の柴犬。
建物の五階あたりから見た風景だろうか。
この町出身の前世紀の女性画家の絵を、兄が模写したものだ。
「曇り、晴れ、曇り……異常なし!」
指で作ったファインダーで絵を囲み、「はい、チーズ!」と唱える。
ぺたんこの黒いスクールバッグを手に取り――空っぽの本棚を見た。
紙類は、リザーブボックスに投棄済みだ。
寂しさをこらえ、右頬を軽く叩き、リビングに移動する。
父は、愛読していた書物を仕分けしていた。
「父さん、母さん、おはよう」
「おはよう。朝ごはんが出来てるぞ」
「おはよう、
母が、味噌汁椀を食卓に置いた。
香ばしい匂いに誘われ、着席する。
隣の――兄が使っていた椅子には、茶トラのキケロが寝ている。
目の前に並ぶのは、炊き立ての白い御飯と海苔の佃煮。
軽い焦げ目のついた豆腐ハンバーグ。
付け合わせのニンジンとブロッコリー。
常食のヌガーバーとは大違いだ。
「すごいね。こんな御飯、久し振りだよ」
「今夜は、カレーライスね。あとで食材が届くから」
「じゃあ、父さんの出番だな。期待しとけ」
「……うん、ありがとう」
家族で、温かい食事を楽しむ。
何て贅沢なんだろう、と頬が緩む。
父は向かいの席に座り、窓の外を眺めた。
「今日で閉校だな」
「うん……あっと言う間って感じかな」
味噌汁をすすり、ほーっと息を吐く。
ネギの辛みと味噌の甘みが舌に染みる。
海苔の佃煮と白飯の組み合わせも格別だ。
豆腐ハンバーグの柔らかさと、茹でたブロッコリーの歯ごたえ。
甘いニンジンに絡むバター風味もたまらない。
御飯の一粒たりとも残さず完食し、食器を片付け、玄関に向かう。
右手のリストバンドのタグが青く光り、ドアが開いた。
共用廊下では、同級生の上野
幼稚園で出会ってから、十二年間の付き合いのある良き友だ。
「よっ、おはよっ!」
「おはよう!」
グータッチをし、エレベーターに乗る。
階段は灰色のシャッターで閉じられ、先月から使用不可だ。
「エレベーターが動くのは助かるな」
「階段を踏み外した人が出たからね」
「人命は電力より尊し、って皮肉かねえ?」
上野はエレベーターの床を爪先で小突いた。
数秒で一階に着き、二人はエントランスに移動する。
別棟に住む高校生たちが集まり始め、おはようの挨拶がまばらに交わされる。
「二人とも、おはよう」
馴染んだ声に振り向くと、同級生の
白いセーラーカラーのブレザーに、薄茶色のプリーツスカートが似合っている。
上野は
「……おはよ。顔色が悪いぞ」
「……今日は休みたくないから」
「……そうだな」
彼は素早く
「おはよう、
「おはよう……
『登校時間です。欠席者なし。いってらっゃいませ』
音声が流れ、強化アクリルドアが開いた。
全校生徒二十四名が一斉に外に出る。
目指すは、五百メートル先の校舎だ。
ベランダも無く、穴のような四角い窓が等間隔に並んでいる。
二百世帯余りが暮らしているが、半分以上は空室だ。
そして、真正面の四階建ての校舎。
残っている建築物は、この二つのみだ。
病院も、交番も、ショッピングモールも無い。
絵画に描かれていた稜線も、見えない。
灰色のタイルに覆われた平地が、果てまで続くだけだ。
墓碑のように文字が刻まれたタイルもある。
『たいようクリニック』
『さくらおか幼稚園』
『緑橋公園跡地』
枝に
肩にかかる髪がふわりと揺れ、肩へと落ちる。
「覚えてる? 公園が閉鎖される前……モンシロチョウが飛んでたよね」
「四羽だったよね」
「うん。四羽が螺旋を描いて、上に向かって飛んでた。そのうちに一羽が離れ、もう一羽も離れ、残った二羽は、空の色にまぎれて見えなくなった」
右手を空に伸ばし、人差し指を伸ばし、「この指、とまれ」とささやく。
しかし、
無彩な微風が、首筋をすり抜けただけだ。
「……寂しいね」
「……そうだね」
「他の町も閉鎖されちゃったし」
「市内で残ってるのは、この町だけだね」
「私たちが最年少の町民だなんて」
「出産も禁止されたからね」
「晩御飯は何をオーダーした?」
「カレーライスだよ」
「うちはチーズフォンデュだよ」
「わっ、オレャレだね」
「一緒に食べられたらいいのにね」
「集会は禁止されてるからね」
「でも、今夜は
「録画だけどね」
「無事に出発できたよね」
「たぶんね」
「そうだよね」
「うん」
顔を見合わせ、駆け足で皆に追いつき、玄関ドアをくぐる。
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