第六五話 やはた

 ☆午前八時半 播磨灘 


 穏やかな潮風に、優しげな波。遭難事故など起きそうにない播磨の海に、護衛艦やはたは力無く漂流していた。双眼鏡を覗いても、やはり甲板には誰も見当たらない。あまりに静かな巨体が、あたしには酷く不気味に感じられた。


「九瀬先生、あたし達が呼ばれたのって」


 調査船の司令室に揺られながら、真希は不安気な表情を浮かべている。あたしは、答えなかった。いや、正確には、答える必要も感じられないのである。きっと、本当は彼女も分かっているだろうから。


〈こちら、調査部隊。これより、突入部隊が行動を開始するとの事です〉

「了解。あちらの指示したタイミングで続いて。取り敢えず、何か生体由来のものがあったら必ずサンプルを持ち帰る事。それと、突入部隊の方にも繋いで」


 やはたの甲板に、ヘリコプターから次々と降下する突入部隊。直後、モニターには彼らから送られてきたであろう映像が映し出される。


〈こちら、突入部隊。只今甲板に到着しました〉

「ご協力に感謝します。探索優先で構いませんので、このまま映像を送り続けてください」


 銃を構え、船内へと突入する隊員達。果たして、あまりに静かで、あまりに汚い世界が画面一杯に現れる。そこに『生』の気配はなく、あるのは引き摺られたような赤い痕跡のみ。


〈こちら突入部隊!! 救援に来ました、返事をお願いします!!〉


 船内に虚しく叫びが響き渡る中、部隊は進んでいく。真希は何処か怯えた様子だった。無理もない、幾ら秀才であたしの右腕みたいなものでも、まだ十七歳。本当は、こんな所に来るべきじゃない。情けなかった。一人の大人として、子どもたちの青春を奪う世界を止められなかった自分が憎らしかった。


 そっと真希の手を握り、あたしは口を開く。


「引き続き探索をお願いします」


 階段を降り、下へ下へと進んでいく。銃口を光らせながらドアを蹴破り、声を張り上げ、沈黙を返される突入部隊。僅かに残っていた希望的観測も、いよいよ完全に消えようとしていた。


「……悔しいけど、手遅れね」


 あたしは携帯を取り出し、電話をかける。


「医務局に通達して。大規模な検死作業の準備をお願いって」


 間もなく、あたしの予感は当たった。否、当たってしまった。


〈……やられていやがる〉


 ドロリとした黒混じりの赤。画面越しに伝わる悪臭の中、その先に倒れているモノに真希はますます怯える。そっと抱き締め、あたしはモニターに背を向けた。


「ひとまず、今からの仕事に集中しよっか」


 見守る調査船。……その足元で、何かが水飛沫をあげた事に、誰も気付かない。


 

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