「手配士は黙して動く」
@DarthTail
第1話 手配士の朝(1)
朝はいつも同じ時間に始まる。
空の色が淡く変わり、石畳の区画に微かな光が落ちる。
遠くで鐘が六つ鳴り、空気が揺れる。人影はまだ戻らない。
異世界だとか、転生だとか、そういう言葉は必要なかった。
ここでの生活にも、すっかり慣れていた。
日常の手触りは、現代とは違うが、感覚としては同じだ。
違うのは制度の名前と、役職の種類くらいだ。
私は手配士だった。
剣も振れない。
魔法も使えない。
祈っても、何も起きない。
それでも職はあり、机があり、今日も出勤する理由がある。
庁舎は白い石造りで、装飾は必要最小限だ。
階段を上がり、三階の奥、窓際の区画が手配課。
常駐しているのは私を含めて三人だけだ。
「おはよう」
声をかけると、先に来ていた同僚が軽く手を挙げた。
「今日は静かそうだな」
「そうですね」
静か、というのは良い意味だ。
この課に依頼が来ない日は、世界が順調に回っている日でもある。
机に座り、帳簿を開く。
手配士の仕事は単純だ。
要請を受け、条件を確認し、適切な人物や組織を“手配する”。
直接関わることはほとんどない。決定権もない。ただ、流れを整えるだけだ。
誰かが戦うなら、戦える者を。
誰かが治すなら、治せる者を。
それだけの話。
能力がないからこそ、この役目に就いた。
最初はそう説明された。
勇者や魔法使い、聖職者のような突出した存在は、判断を誤ることがある。
力があるからこそ、選択を間違える。
だから、何も持たない者が間に入る。その方が安全なのだ、と。
納得できたかと問われれば、今でもよく分からない。
ただ、実際に危険な目に遭ったことは一度もない。
書類棚を整理していると、受付から連絡が入った。
「軽微な確認案件です。手配課で処理できます」
「了解しました」
軽微、という言葉がついている時点で、ほぼ形式的なものだ。
内容を確認し、必要な欄に印をつける。数分で終わる。
世界はこうして、無数の小さな判断で成り立っている。
そのほとんどは、誰にも意識されない。
同僚の一人が欠伸をし、静かに言った。
「今日も、順調か」
私は窓の向こうを見た。
石畳の道を歩く人々。
開く店の扉。
子どもたちが走り回る。
特別なことは何も起きていない。
しかし、手配士としての席に座る限り、安心はほんの一瞬だ。
帳簿の最後に今日の日付を書き込む。
今日も、世界は小さな決定の連鎖で保たれた。
そして、私の席は変わらず、ここにある。
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