エッセイ:耳鼻科医師の妻は薬剤師、時々、会員制レストランのウエイトレス 〜オポチュニズムの接待での教訓〜

@k-shirakawa

立場が変われば態度も変わる、その瞬間――人の価値は肩書きではなく行いで決まる。

私が経営していた二店舗目のレストランが忙しく回っていたある日のことだ。

私は一店舗目で酔客に散々絡まれた経験から、自宅一階の二部屋を「会員制の特別室」として開放していた。利用できるのは、紳士的な常連だけ。私にとっての『安心できる空間』を守るための工夫だった。


その日は、大学病院の耳鼻科医局の食事会が特別室で行われることになっていた。

会員であるN医師(私より10歳下の友人)も参加するため、予約は製薬会社のMR名義で入っていた。


店が忙しいとき、N医師の妻のMさんがウエイトレスとして手伝いに来てくれる。

普段は薬剤師として働き、MRからは「先生!」と呼ばれ、医療者として丁寧に扱われる彼女だが、この日は『ウエイトレス』としての顔だった。


MRは開始1時間前に来店し、Mさんが案内した。

ところが、自宅のトイレを見た瞬間、彼は豹変した。


「なんだこのみすぼらしいトイレは。客に使わせる気か」


Mさんは深く頭を下げた。

薬剤師として職場では『先生』と呼ばれる彼女が、立場が変わった途端にここまでの態度を取られることに、強い衝撃を受けていた。


部屋に案内しても、MRの怒りは収まらない。


「狭い!ふざけるな」

「飲み物を客に注がせるのか。仕事しろ」


本来この部屋は『自宅に客を招く』というコンセプトで作った空間だ。

会員たちはその趣旨を理解して利用してくれていたが、製薬会社の接待に使われるとは想定していなかった。


私はN医師に電話を入れ、事情を説明した。

電話越しにMRの声が聞こえたのだろう。N医師は静かに言った。


「この部屋は社長のご自宅ですよ。説明したはずですが、お忘れですか?」


MRは急に態度を変え、丁重に謝罪した。

だが私が「予約をお断りしましょうか」と言うと、舌打ち混じりに「もういいよ」と返してきた。


その後、医局の先生方が到着し、食事会が始まった。

誰もMさんがN医師の妻だとは言わない。

そして、思わぬ場面が訪れた。

後に私は本人からもMさんからも聞いた。


若い男性医師がMRに向かって「ワインもう一本!」と命令口調で言ったのだ。

すると、女性講師のI先生が鋭く叱った。


「何を勘違いしているの。ご馳走になっている立場でしょ。謝りなさい」


医師たちは全員でMRに礼を述べ、場は落ち着いた。


食事が終わり、N医師が汚れた皿をトレンチに乗せて店に下げに来たとき、MRは慌てて叫んだ。


「先生がそんなことしなくていいんですよ!」


N医師は静かに答えた。


「あの洗い場で皿を洗っているのが僕の妻です。だから僕も手伝わないと」


その瞬間、MRは腰を90度に折り曲げて叫んだ。


「先生!!!申し訳ございませんでした!」


N医師は言った。


「謝る相手、違うんじゃないですか? このお店の社長ご夫妻に謝って下さい」


——立場が変われば態度が変わる。

——お金を払えば王様になれると思う人がいる。


だが、そんな思い込みは脆く、滑稽だ。

人の価値は肩書きではなく、行いで決まる。


先日、私は久しぶりにN医師とMさんが開業した隣市のクリニックを受診した。

鼻血が続いて心配だったこともあるが、二人の顔を見たかった。

待合室は子どもたちでいっぱいで、二人の人柄がそのまま形になったような温かい空間だった。


どうか、桑ちゃん(ニックネーム)、Mさん。

いつまでもお元気で。

あの日の出来事を思い出しながら、心からそう願った。


(クリニック名などの詳細は伏せています)

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