12月24日の落とし物
猫之丞
12月24日の落とし物
今日は12月24日。
人生初の彼氏と過ごす、初めてのクリスマスイブデート。
物凄く楽しみだなぁ♡
今日の為に、私は自分にできる限りの準備を詰め込んだ。 一ヶ月前から雑誌を読み込み、新しく淡いピンクのコートとワンピースを新調した。 普段は行かないような、予約の取れない有名な美容室にも行って、完璧にトリートメントも済ませた。 鏡を見るたびに、彼が「可愛いね」と言ってくれる姿を想像して、顔が綻んでしまう。
準備は万端! 後は彼との待ち合わせ場所に行って、彼が来るのを待つだけ。
確か駅前の広場で12時だったよね。
私は胸を躍らせながら駅前の広場へ向かう。
彼を待たせる訳にはいかないから、待ち合わせの時間より一時間前にアパートを出発した。 冬の冷たい空気さえ、今の私には心地よい応援歌のように感じられた。
私はドキドキしながら、駅前の広場にある大きな銅像の下で彼を待っていた。
……けれど。
待ち合わせ時間になっても彼の姿は見えない。
「どうしたのかな? 少し遅れてるだけだよね?」
自分に言い聞かせながら、つま先立ちで人混みを探す。
……待ち合わせ時間から一時間が経過する。
まだ彼の姿は見えない。 広場を行き交う幸せそうなカップルたちの笑い声が、少しずつ耳に障り始める。
「……大丈夫だろうか? 何かトラブルがあったのではないだろうか?」
事故にでも遭っていたらどうしよう。 そんな不安が頭をもたげ、心配で胸が苦しくなる。
……待ち合わせ時間から二時間が経過する。
芯から冷え切った体が震え始める。 まだ彼の姿は見えない。
「……遅い。いくら何でも遅すぎる。 彼のスマホに連絡入れてみようかな?」
震える指でスマホを取り出そうとしたその時、バッグの中で着信音が鳴り響いた。
慌てて画面を見ると……彼からだ。 私は安堵で崩れそうになりながら、通話をタップする。
「もしもし? どうしたの? もう待ち合わせ時間から二時間経ってるよ? 何かあったの?」
心配で声を震わせる私に対し、受話器の向こうから聞こえてきたのは、心底面倒くさそうな、そして信じられないほど驚いた声だった。
『……え、お前、まだ居たの?』
「え……?」
思考が一瞬、真っ白になる。
「何それ? 勿論居るよ。 だって、今日は君とクリスマスイブデートの日だよ? すっぽかす訳無いでしょう?」
すると彼は、深い、深いため息をついてから、氷のように冷たい言葉を投げつけてきた。
『……あのさ。 もう、俺と別れて欲しい。 別に好きな人が出来たんだ。今、その子と一緒にいる』
「……え? え? 何? いきなり何を……? ……何故?」
意味がわからない。 パニックで心臓が早鐘を打つ。 クリスマスイブの日に、二時間待たされた挙げ句に別れを切り出された?
「私……何が駄目だったのかなぁ? 私、君と別れたくないよ?」
プライドなんてどこかに消えていた。 私は縋るように彼に懇願した。 けれど、彼の答えは私にとってあまりに非情なものだった。
『俺は君と別れたいんだよ。 ……正直、君は俺には重すぎるんだ。 その尽くし方が、もう息苦しいんだよ』
それが最後だった。 彼は無情にも、私との通話を一方的に終わらせてしまった。
「ち、ちょっ……待って!?」
慌ててリダイヤルする。 けれど、コール音すら鳴らない。 何度かけても、何度メッセージを送っても、既読すらつかない。
……もしかして、ブロックされた?
世界から色が消えた。
私の記憶は、その後の少しの間、完全に飛んでしまっていた。
自分がどうやって広場を離れ、どの道を歩いたのかも分からない。
気付いたら、私は地下鉄の駅の、薄暗いホームのベンチに座っていた。
そして、堪えていたものが決壊するように、自然と目から涙が流れた。
……もういいや。
私はそれから約十五分の間、泣き続けた。 人目なんか気にもせずに、子供のように肩を震わせて泣きじゃくった。
何が駄目だったのかなぁ?
どうしたら彼と別れずに済んだのかなぁ?
「重い」って、何?
私、そんなに重かった?
私、彼の事束縛なんて一度だってしてないよ? 彼の帰りが遅くても、友達と遊ぶって言っても、笑顔で「いってらっしゃい」って言ってきた。
私と彼の趣味は全く合わなかったけれど、彼が好きなアニメもゲームも、全部勉強して理解しようと頑張ったよ。
容姿は生まれ持ったものだから仕方ないけれど、服装だって、メイクだって、彼が好きだと言っていた清楚なふわふわした系統に全部変えてきた。
彼、私のこの長い髪が好きだって言ってくれてたよね?
腰まで届きそうなこの髪を、彼は「綺麗だね」って撫でてくれた。 だから、毎晩一時間かけて丁寧にトリートメントして、痛まないように細心の注意を払って……一所懸命頑張ったよ。
全部、彼のために。
全部、彼が好きだと言ってくれる「私」でいるために。
……それが「重い」の?
彼に合わせることが、彼の喜びを自分の喜びにすることが、そんなに苦痛だったの?
「……馬鹿みたい」
ぽつりと、乾いた声が漏れた。
十五分間泣き続けて、涙が枯れ果てた頃、急に頭が冷えていくのを感じた。
地下鉄の窓ガラスに映る自分を見る。
新調したばかりの淡いピンクのコート。丁寧に巻かれた、艶やかな長い黒髪。
それは紛れもなく「彼の理想」を形にした人形のような女だった。
私は一体、誰のためにこの服を着ているんだろう。
誰のために、この重たい髪を維持しているんだろう。
彼は今頃、別の「好きな人」と笑っている。
私が寒空の下で二時間待っていたことなんて、一ミリも心に留めずに。
私が必死に守ってきたこの髪を「重い」と切り捨てて。
ふつふつと、悲しみとは違う感情が湧きあがってきた。
それは、自分自身に対する怒りだった。
彼のために自分を削り、彼のために時間を使い、彼のために自分を変えてきた。 その結果が、この地下鉄のベンチでの孤独だ。
「……もう、やめた」
私は立ち上がった。
足取りは驚くほど軽かった。
向かったのは、さっきまでいた駅前広場のすぐ近くにある、あの「有名な美容室」だ。
「いらっしゃいませ。……あ、本日担当させていただいた……」
受付の美容師さんが、泣き腫らした私の顔を見て言葉を失う。
数時間前に「最高のデートにしてきます!」と笑顔で店を出た客が、ボロボロの姿で戻ってきたのだから当然だろう。
「すみません。予約してないんですけど、今からカット、お願いできますか?」
「え、ええ……。でも、せっかくあんなに綺麗にセットしたのに……」
「いいんです。……全部、切りたいんです」
鏡の前に座る。
鏡の中の私は、まだ彼の好きだった「長い髪の女」のままだ。
美容師さんが躊躇いながら、鋭いハサミを手にする。
「本当に、いいんですね?」
「お願いします」
最初の一太刀が入った。
シャクッ、という軽い音と共に、数年かけて伸ばしてきた髪が床に落ちる。
不思議と、痛みはなかった。
むしろ、一束落ちるごとに、肩にかかっていた物理的な重さが消えていくと同時に、心にこびりついていた彼への未練が剥がれ落ちていくような感覚があった。
「もっと、短くしてください。耳が出るくらいまで」
「えっ、ショートボブじゃなくて、ベリーショートに……?」
「はい。思いっきり、別人にして下さい」
美容師さんの手つきが、覚悟を決めたように速くなる。
床は、私の分身だった黒い髪で覆われていく。
趣味を合わせようと必死に覚えたゲームのタイトル。
彼の顔色を伺って飲み込んだ言葉。
「重い」と言われるのが怖くて、物分かりの良い振りをしていた自分。
それらすべてが、切り落とされた髪と一緒に捨てられていく。
一時間後。
鏡の中にいたのは、見たこともないほど凛とした表情の女性だった。
首筋に触れる空気は冷たかったけれど、驚くほど清々しい。
短くなった髪は軽く、視界を遮るものは何もない。
「……ありがとうございます。すごく、気に入りました」
店を出ると、街はすっかり夜の帳が下り、イルミネーションがより一層輝きを増していた。
さっきまではあんなに疎ましかった光の粒が、今はただの綺麗な景色に見える。
私はスマホを取り出し、彼のアドレスを開いた。
そして、迷うことなく「削除」ボタンを押した。
着信拒否も、ブロックも、もう必要ない。 私の世界から、彼という存在のデータそのものを消去する。
ふと、ショーウィンドウに映る自分を見た。
ピンクのコートは、今の短い髪には少し甘すぎる気がした。
明日、仕事の帰りにでも、もっと自分に似合う、シュッとしたデザインのジャケットでも買いに行こう。
「さて……」
私は一人で、駅前のケーキ屋に向かって歩き出した。
彼のために予約していた高いレストランなんて、もうどうでもいい。
今夜は、私が私のためだけに選んだ、一番美味しいケーキを食べて、ゆっくりお風呂に入って寝よう。
人生初の彼氏は最低だったけれど。
おかげで、私は今日、本当の自分に初めて出会えた気がする。
聖夜の空には、冷たくも美しい月が浮かんでいた。
私は、新しく手に入れた軽やかな足取りで、光り輝く街の中へと踏み出した。
皆様どうでしたか? 初めて失恋物を書きました。
良かったらコメントを戴けると嬉しいです。 皆様の意見が聞きたいと思いますので。
宜しくお願いしますね♪
12月24日の落とし物 猫之丞 @Nekonozyo
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