【ダンカミ】ダンジョンの裏方掃除人、うっかり配信切り忘れて「神業」を全世界に晒してしまう ~Sランク探索者が束になっても勝てないラスボス?ああ、あれはただの頑固な汚れだな~

おりょん

【第一話】 その清掃員、業務につき 



日本の首都、東京の地下深くに広がる巨大空間――『大深度地下ダンジョン・アビス』。

かつて人類を恐怖のどん底に叩き落とした魔窟は今、ネオンサインが輝き、観光客と探索者シーカーでごった返す一大産業地帯となっていた。


「おいおい、またかよ」


階層深度七十五層。一般人が立ち入れば即座に大気の魔素マナに肺を焼かれ、あえなく死に至る危険地帯。

その一角にある『赤竜の巣』と呼ばれるボス部屋の前で、一人の男が深くため息をついた。


男の名は、神宮寺ミナト。二十四歳。

着古した灰色の作業着に、ゴム長靴。背中には業務用の巨大な高圧洗浄機を背負い、腰にはデッキブラシと洗剤のボトルをぶら下げている。

どこからどう見ても、彼は英雄でもなければ、一攫千金を夢見る探索者でもない。


「『閃光の勇者』パーティーだか何だか知らねえが、散らかしたら片付けていけって、いつも言ってるだろうが――」


ミナトは防護マスクの位置を直し、ボス部屋の重厚な扉を蹴り開けた。

むっとするような鉄錆の臭いと、焦げた肉の臭いが鼻をつく。

広大なドーム状の部屋の中は、まさに惨状だった。

壁には無数の剣撃による亀裂が走り、床にはドラゴンの血が海のように溜まっている。高価そうなポーションの空き瓶、使い捨てられた魔導具の残骸、そして切り落とされたドラゴンの尻尾が、まるで生ゴミのように放置されていた。


「これだから、今時の若い探索者は」


ミナトは呆れ返った声で独りごちると、背中のタンクの圧力を調整した。

彼の職業は『ダンジョン清掃員』。

探索者たちが攻略した後のダンジョンを巡回し、次のモンスターがリポップ(再出現)する前に、環境を原状回復させるのが仕事だ。

地味で、汚く、危険な仕事。なり手は万年不足しており、給料もそこそこ。

だが、ミナトはこの仕事が好きだった。汚れたものが綺麗になる瞬間、そこには何物にも代えがたいカタルシスがあるからだ。


「よし、やるか」


ミナトは手始めに、床に散乱した『伝説級レジェンド』武器の欠片をほうきで掃き集め、持参した黒いポリ袋に放り込んだ。

一般市場に出せば数千万円は下らないであろうオリハルコンの破片も、彼にとってはただの「燃えないゴミ」だ。

分別は社会人の基本である。


「次は床の血痕か。竜種ドラゴンの血は酸性が強いから、アルカリ性の中和剤を撒いて――」


手際よく洗剤を撒き、デッキブラシでゴシゴシと床を擦る。

ジュッ、と音を立てて頑固な血痕が泡となり、消えていく。

その動作には一切の無駄がない。まさに職人芸だ。

ミナトは一心不乱に床を磨き続けた。

この部屋の主である『ヴォルカニック・ドラゴン』のリポップ時間は、攻略後およそ三時間。

それまでにこの惨状を片付け、崩れた壁を補修し、空気を浄化しなければならない。


「ふう。だいぶ綺麗になったな」


額の汗をぬぐい、ミナトは満足げに部屋を見渡した。

血の海だった床は鏡のように磨き上げられ、散乱していたゴミは全て六つのポリ袋に収まっている。

あとは壁の亀裂をモルタル魔法で埋めれば作業完了だ。


その時だった。


「ん? なんだあれは」


部屋の隅、岩陰に隠れるようにして、何かが点滅しているのが見えた。

ミナトはデッキブラシを片手に近づいていく。

そこにあったのは、最新型の自動追尾ドローンカメラだった。

レンズの横にあるランプが、赤く点灯している。


「あいつら、機材を忘れていったのか? ったく、これだから素人は困る」


ミナトはドローンを拾い上げると、レンズを覗き込んだ。

どうやら故障はしていないようだ。

だが、彼にはこの機械が「配信中」であることを示すインジケーターの意味がわからなかった。

彼はスマホすら持たないアナログ人間なのだ。


「まあいい。管理センターに届けておくか」


ミナトがドローンを腰のベルトに引っ掛けようとした、その瞬間。


ズズズズズズズ――!


地鳴りと共に、部屋の空気が一変した。

強烈な圧迫感。肌を刺すような殺気。

通常の探索者なら、即座に恐怖で動けなくなるほどの重圧だ。

だが、ミナトは眉をひそめただけだった。


「あ?」


部屋の中央、何もない空間に黒い亀裂が走る。

そこから溢れ出したのは、通常のモンスターとは桁違いの漆黒の瘴気だった。

空間が歪み、赤黒い雷が走る。

それは、本来この階層に現れるはずのない存在の予兆だった。

イレギュラー。

ダンジョンが稀に引き起こすバグのような現象。

過去に数え切れないほどのSランクパーティーを壊滅させてきた、絶望の具現化。


『グォオオオオオオオオオオオオオオオ!!』


鼓膜を破らんばかりの咆哮と共に姿を現したのは、全身が黒曜石のような鱗に覆われた、異形の巨竜だった。

『深淵の魔竜アビス・ドラゴン』。

推奨討伐レベルは測定不能。国家存亡の危機レベルの災害指定モンスターである。

Sランク探索者が百人束になっても勝てるか怪しい怪物が、今まさにミナトの目の前に立ちはだかったのだ。


もしここに他の人間がいれば、悲鳴を上げて逃げ出すか、あるいは絶望してその場に崩れ落ちていただろう。

腰につけられたドローンの向こう側、全世界でこの映像を見ている数千万人の視聴者たちがそうであるように。


だが、ミナトの反応は違った。


「はあ? なんだお前」


彼は極めて不機嫌そうに、手にしたデッキブラシを構えた。


「俺は今、床のワックスがけをしようとしてたんだよ。土足で上がり込んでくんじゃねえ」


ミナトにとって、目の前の絶望的な怪物は「恐怖の対象」ではなかった。

ただの「業務の妨げ」であり、これから綺麗にするはずの床を汚す「新たな汚れ」でしかなかったのだ。


『グゥルルルル……!』


魔竜がミナトを見下ろし、口内に灼熱のブレスを溜め始める。

その熱量だけで、周囲の岩がドロドロに溶け出していく。

だが、ミナトは一歩も引かなかった。

それどころか、彼は作業着のポケットから一冊の手帳を取り出し、パラパラとめくり始めた。


「えーと、マニュアルによると……『業務中の突発的な障害物に関しては、清掃員の判断で排除を許可する』か。よし」


パタン、と手帳を閉じる。

次の瞬間、魔竜が極大のブレスを吐き出した。

すべてを灰にする黒炎の奔流が、ミナトに向かって一直線に迫る。


「邪魔だっつってんだろ!!」


ミナトは叫ぶと同時に、手にしていたデッキブラシを横薙ぎに一閃させた。


ドォォォォォォォォォォォン!!


信じられないことが起きた。

ただのホームセンターで売っていそうなデッキブラシの一振りが、魔竜のブレスを真正面から叩き落としたのだ。

黒炎は霧散し、衝撃波がダンジョンの壁を震わせる。


(……なんだ、こいつ。やけにこびりつきが良いな。油汚れか?)


ミナトは内心で首を傾げた。

普段相手にしている頑固なカビや、排水溝のヌメリに比べれば、この程度の攻撃は「ぬるい」。

彼の「清掃スキル」は、長年の過酷な実務によって、常軌を逸したレベルにまで昇華されていたのだ。

彼が「汚れ」と認識した対象は、物理法則を無視して「浄化(消滅)」させることができる。

それが、神宮寺ミナトという男の隠された能力だった。


『ギャアアアア!?』


自慢のブレスを掃除用具で弾かれ、魔竜が驚愕の声を上げる。

その隙を見逃すミナトではない。


「そこだ! お前みたいなのは、根元から断たないとまた生えてくるんだよ!」


ミナトは床を蹴り、弾丸のような速度で魔竜の懐に飛び込んだ。

構えるのは、もちろん聖剣ではない。

洗剤のたっぷりついた、デッキブラシだ。


「必殺・頑固汚れ落とし旋風ハリケーン!」


ただの回転斬りである。

だが、その威力は核弾頭にも匹敵する衝撃を秘めていた。

ブラシの先端が魔竜の堅牢な鱗に触れた瞬間、パァン!という乾いた音が響き渡る。


『ギ、ギギ……!?』


魔竜の巨体が、まるでボールのように宙を舞った。

そのまま反対側の壁に激突し、轟音と共に崩れ落ちる。

HPゲージなど存在しないが、もしあれば一撃で全損していただろう。

Sランク探索者たちが命懸けで戦っても傷一つつかなかった魔竜が、たった一撃で、しかも掃除用具で沈黙したのだ。


「ふう……。危うくこびり付き汚れになっちまうところだったよ」


ミナトはブラシの先についた「竜のゴミ」をパンパンと払い落とすと、動かなくなった魔竜を見下ろした。


「おい、そこで寝てると邪魔だ。燃えるゴミの日は明日だから、とりあえず端っこに寄っとけ」


彼は気絶(あるいは絶命)している魔竜の尻尾を掴むと、ズルズルと部屋の隅まで引きずっていった。

数トンはあるはずの巨体を、片手で、まるで空き缶でも拾うかのような軽さで。


「よし、これで作業再開できるな」


ミナトは満足げに頷くと、再び床のワックスがけに戻った。

腰につけたドローンが、その一部始終を――彼の独り言から、ドラゴンをゴミ扱いして処理するまでの全てを――世界中に生中継していることなど、露ほども知らずに。


画面の向こう側、コメント欄は凍りついていた。

いや、あまりの衝撃に言葉を失い、流れる速度が止まっていた。

数秒の沈黙の後、爆発的な勢いでコメントが流れ始める。


『は?』

『え、今の何?』

『合成? これ映画の撮影?』

『いや、これ公式のライブ配信だよな?』

『あのドラゴン、先週アメリカのSランクパーティーを全滅させた奴じゃ……』

『それをデッキブラシでワンパン???』

『「燃えるゴミ」発言で腹筋崩壊したwww』

『この清掃員、誰だよ!? ギルドは何してるんだ!?』

『同接が五千万人超えたぞ!!』

『神降臨』

『いや、神というか……清掃員だな』


世界が彼を発見した瞬間だった。

しかし、当の英雄(清掃員)は、ワックスの乾き具合を真剣な表情でチェックしている。


「あー、ここムラになってるじゃねーか。やり直しか。最悪だ」


世界を救ったことよりも、床のワックスがけの失敗を嘆く男。

神宮寺ミナトの、騒がしい日常が幕を開けようとしていた。


(続く)

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