雪が降る頃に

意外な結末君

第1話


 僕、立花圭介はこの家でニート生活を送っている。

 朝、いつも通りの時間に起きて居間に行くと制服姿で眉間に皺を寄せながらトーストに齧り付く妹の陽菜の姿が目に入った。

「あ、起きてきた……いつまで寝てんのよ」陽菜が嫌味を吐いてきた。

「す、すみません」姿勢を低くしてすぐさま謝る。

 朝は陽菜の機嫌が良くないため、波風を立てないように努めている。気がつけば大きくなっていた陽菜だが、朝機嫌が悪いのは小さい頃から変わらない。

「こら、圭介のこといじめないの」母である由美がキッチンから陽菜に声を飛ばす。母はいつも僕の味方だ。

「だって陽菜は毎日学校行ってるのに、圭介はずっと家でゴロゴロしてるだけじゃん。特に最近は」口を尖らせながら陽菜が母に反撃する。

「それはそうだけど……ほら、昼間はお留守番してくれてるし、それに圭介は……」

 陽菜に対抗する母の声は少し、悲しさを孕んでいた。

「なにそれ、もういい。学校行く」陽菜は食器を片付けるなり家を飛び出して行った。

 陽菜が学校に行ってからは静かな時間が流れだす。父の健一は朝早くから仕事に行き、母は陽菜を見送るなりパートに出かけた。一人残された家には時計が時間を刻む音だけが響いている。ニートになりたての頃は有り余る活力を意味もなく家の中を歩き回ることで消費していたが、最近は食事以外は家の中で横たわり、惰眠を貪っている。


 夕方、家の鍵を開ける音で目が覚めた。おぼつかない足取りで玄関に行き、出迎える。

「おかえり」

「ただいま、寝てていいのに……。今、ご飯用意するね」

 食べやすく調理された母のご飯を食べてまた横になる。

 数分後、またドアの開く音が聞こえた。今度は出迎えはしない。どうせ父が帰ってきただけだから。

「由美、圭介ただいま」そう言ってスーツ姿の父が玄関から歩いてくる。

「あら、おかえり」母が答える。

「圭介、少し外に……歩きに行かないか……」

 父が横たわっている僕の元まで近づき、視線を下に落として言い淀みながら問いかける。

「まぁ、たまになら……」

 息子と関わりたいという父の不器用な誘いに仕方なく答える。

「お父さん今日は……いや、あまり遅くならないでね」

 何か言いたげな母は僕の様子を見るなりそう言ってリビングへ歩いて行った。


 茜色に染め上げられた街を異なる二つの影を落としながら歩く。ひんやりとした風に運ばれた晩秋の香りが鼻腔をくすぐる。もうすぐ冬が来るのだろうか。

「ごめんな、いつも家に一人にして……」父が申し訳なさそうに僕に話しかけてきた。

「別に、もう慣れたし……」

 父とは特別仲が悪いわけではないが、良いわけでもない。まぁ、父と息子なんてこんなものだろう。

 それからは特に会話もなく、足音だけを鳴らしながら家へ戻った。

 家に入ると、妹が居間で夕食を食べていた。

「珍しいお父さん、圭介と散歩行ってたんだ」妹が目を見開いて父に話しかける。

「珍しく圭介が乗り気だったからな。小さい頃はよく行ってくれたんだが……」

 少し寂しそうにしている父を目にすると少しだけ心が痛んだ。別に父との散歩が嫌なわけではない。ただ、どうせ散歩に行くなら母と行きたいだけだ。

 久しぶりに外に出たからか、体に疲れがどっと押し寄せてきたため、すぐに自分のベッドに体を倒して眠りについた。

 

 翌朝、体が鉛のように重い。少し無理をし過ぎたようだ。居間に行くとみんな出掛けてしまっていて、いつもより長い時間寝てしまっていたことに気がついた。

 仕方なく一人で母が用意した朝食を食べる。最近食欲が湧かないのを察してか、母は僕の好きな白米とほぐした焼き鮭を毎日朝食に出してくれる。けれど、それすらもほんの僅かな量しか食べることができない。日に日に食べられる量が減っていく。やはり、もう……。


 いつものように夕方まで寝そべっていると、母が帰ってくる音がした。今日は玄関までの距離がはるか遠くに感じたため、母の迎えを断念した。

「おかえり」

 居間まで歩いてきた母に力を振り絞って立ちながら言う。

「ただいま……。ご飯……これしか食べられなかったのね……」朝食の残飯を見つめる母の瞳には涙が滲んでいた。

「ごめん、残して……」

「圭介……」

 少しずつ軽くなっていく僕の体を母が強く抱きしめた。

 

「ただいまー」

 少しして玄関から陽菜の声がした。

「お帰りなさい」母は涙を拭いすぐさま笑顔を作る。

「ねぇ。前から思ってんだけどさ、圭介ちょっと痩せた?」居間まで歩いてきた陽菜が僕の体を見るなり母に問いかける。

「そうかな……最近寒いから食欲落ちてるんじゃないかな……」母は視線を斜めに落として身にまとったエプロンの裾を強く握りしめながら答える。

「あー。もうすぐ雪降りそうだもんね。そうだ、雪降ったら外に遊びに行こうね」陽菜が弾んだ声で僕にそう言った。

「そうだね……」僕は小さく答える。

 この約束が叶えられないかもしれないという事は僕が一番よくわかっている。でも、もし叶うのなら最後に楽しい思い出を君に残してあげたい。僕がいなくなっても思い出して笑えるように……。今年は早く冬が来てほしいと強く願った。


 しかし、僕の願いはアスファルトに落ちる雪のように儚く消えていった。その日は日曜日でいつも通り家族の朝はゆっくりと始まった。でも、いつもと違うのは僕の周りにみんなが集まって神妙な面持ちで見つめているということだ。

 ここ数日、睡眠時間が異常に増え食事もままならなくなってはいたのだが、今日ついにベッドから起き上がることすら出来なくなってしまった。

「お母さん、なんで今まで黙ってたの……圭介が病気だって……」陽菜が母を問い詰める。

「ごめんなさい。あなたたち二人にはどうしても言えなくて……」そう言った母の声は震えていた。

「由美……俺の方こそ気づいてやれなくてごめんな……」父は俯きながら、泣き崩れる母を抱きしめる。

「圭介……起きてよ……この前まで散歩行けてたじゃん。なのになんで……雪降ったら遊びに行こうって約束したじゃん……」陽菜が震える手で僕の手を握りしめながら、いつもより優しい口調で嗚咽混じりに言う。

 みんなの様子をみると自分がいかに愛されてきたかわかる。それと同時にもうお別れが迫っているということも……。

「雪降ったら雪だるま作ろうよ……かまくら作って一緒に入ろうよ……ねぇ、何か言ってよ……」

 震える陽菜の声が段々と遠ざかって行く。

 その純粋に泣き叫ぶ姿が、あの日初めて出会ったまだ小さかった頃の君を思い出させる。

 心の準備はできていたはずなのに……。瞳に歪んで映るみんなの姿を前に、まだここに居たいと思ってしまう。

 しかし、その思いとは対照的に段々と弱くなっていく心臓の音が、僕に短くも幸せだった旅の終わりを告げている。

「みんな……愛してる……」最後の力を振り絞って小さく吠える。

「圭介!行かないで!」陽菜の悲鳴に似た声が僕の三角形の耳に響いて、僕は尻尾を小さく振った。

 窓の外でゆっくりと落ちる雪が冬の訪れを知らせていた。

 

 

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