来雨
ねえサンゴ
来雨
突然降り出してきた雨を避けるために、店の軒先に飛び込んだ。沙希は濡れた体をハンカチで拭きながら、空を見上げた。灰色の厚い雲から落ちてくる雨を見ながら、当分止むこともないだろうなと、鞄の中に手を入れた。
(しまった。)
神経質なくらい鞄の中にはいらない物ばかり入っているのに、今日に限って肝心な傘を忘れたらしい。
ここ最近雨が降らず、今朝鞄から取り出して玄関に置いて出てきた事を思い出した。余計な事をしたと、朝の自分に後悔した。
たまの休日を、気分転換も兼ねて電車を乗り継いでまで隣町に出てきたというのに…。透明傘を買うと荷物になるし、どうしようかなどと考えながら、窓越しに店内を覗いていた。
薄暗い店の中には、ぬいぐるみやアクセサリーといった物が置かれているようだった。
「雑貨屋さんかな?」
雑貨屋なら傘も売っているはず。どうせなら可愛い傘を買って帰ろう。それなら朝の自分の行動にも納得ができると、店のドアを開けた。
カランコロンと、ドアの上からベルの鳴る音がした。
店の中には人の姿はなく、綺麗に並べられたハンカチやネクタイといった物に目がいった。どれも同じ色はなく、色とりどりの商品が並べられている。見ているだけでわくわくするような空間だった。小さな店内をポプリの香りが包み込んでいて、甘い香りが心地よかった。おしゃれなティーカップを見ていると、花に囲まれた庭で紅茶を飲みながら、優雅な時間を過ごしてみたいと思えた。
しかし、そんな時間は、自分には一生来ないだろう。現実は、仕事で疲れて帰っては寝るだけの日々に、明日を迎えるのが精一杯だった。夢を追いかけていたあの日の事など、とうの昔に忘れていた。
沙希は、木製の小さな箱を手に取った。それは、手回しのオルゴールだった。小さい頃に失くしてしまったオルゴールを、ふと思い出した。手で回しながら奏でられるオルゴールの音色が、どこか懐かしさを運んでくる。何の曲だろう?と耳を近づけて聴いていたら、
「何か欲しいものは見つかりましたか?」
と言う声が聞こえてきて、沙希はびっくりして思わずオルゴールを落としそうになってしまった。
いつの間にか、レジの向こうにおばあさんが座っていた。アンティークな西洋の椅子に腰掛けたおばあさんは、大きなつばに、黒いレースのバラのついたドレスハットをかぶっていた。チロチロとオレンジ色に灯る暖炉の明かりにてらされた姿は、素敵な物語のワンシーンを見ているかのようだった。
「すいません。傘を探していたんです。」
沙希は、オルゴールをテーブルに戻した。おばあさんは、窓の外を眺めながら、
「じきにこの雨はやみますよ。あなたが、この店を出る頃には、きっと雲がはれているはずです。」
そう言われると、沙希は迷ってしまった。お気に入りの傘は家においてあるし、すぐに欲しいものでもないなと思うと、勿体ないかなという気持ちの方が強くなっていた。雨宿りに入ったなんて悪い気もするしと、ぐだぐだとまた余計な事を考えていた。
「ここには、何でも揃っているんです。あなたに今、一番必要なもの。それが手に入るお店なんです。」
沙希が不思議そうにおばあさんの顔を見つめると、
「傘より、きっと欲しいものが見つかりますよ。」
おばあさんの声は、どこか暖かく何でも話してしまいそうになった。しかし、初めて会ったただの客の話など聞きたくないだろうと、沙希は言葉を飲み込んだ。
「あなたは、我慢強くて素敵なお嬢さんね。」
おばあさんは、目を細めてうれしそうに笑った。それから手招きをすると、沙希を自分の近くに呼び寄せた。
「両手を出してご覧なさい。」
沙希は、言われるがまま両の手の平をおばあさんの前に出した。何かを掬い取るような手の形に、おばあさんは貝殻を一つ乗せた。
「開けてごらん。」
沙希は小箱を開けるように、その貝の上下をそうっと開いてみた。中から、美しいブルーにうっすらとピンク色の混じった朝焼けの空のような色をした真珠が出てきた。それは丸い形ではなく滴の形をしていた。
「これは、太陽の光と言われているものなの。私の店の真珠は、よそで売っている真珠と違って特別なものなのよ。お客様それぞれの心の色を写しだすの。あなた、とても綺麗な色をしている。きっと優しいのね。時に、その優しさで苦しくなってしまうでしょう。自分を一番に大切になさい。涙のような滴の形は、あなたが我慢してきた思いの欠片。もう、十分過ぎるくらい、頑張ってきたのよ。だから、この店に辿り着いたの。」
と、おばあさんは優しく笑い片方の手に真珠を包み込むと、もう片方の手を被せフッと息を吹きかけた。再び開いた手の中から、滴の形をした真珠のネックレスが出てきた。沙希の首にかけてやりながら、
「世界に二つとない自然に出来た色と形は、太陽にあたるとまた別の色に輝き出すのよ。偽物は、すぐに霞んでしまうの。いくら取り繕っても、メッキはいつか剥がれ落ちる。あなたにしか出せない色がきっとあるはずよ。捨ててしまったら勿体ないわ。」
と優しく言った。
「さあ、雨はやんだよ。」
という声に押され、沙希は雨宿りしていた店の軒先に立っていた。そこにあったはずのおばあさんの店は、ただのブティックに変わっていた。店も閉まっていて中には入れなかった。
「私は今まで、どこにいたんだろう?」
沙希はそう呟くと、歩き出した。さっきまで土砂降りのように降っていた雨はすっかりやんでいた。
首元の真珠が、太陽の光とともに輝き出す。沙希の止まっていた時間が、再び動き出したような気がした。
来雨 ねえサンゴ @neesan5
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