6.

 旧奥深山おうみやま村は温泉でも有名で、所長が手配してくれたこの旅館にも温泉があるらしいことは、風に揺らめくのぼり旗が大々的に主張していた。手配された部屋がどんなグレードの部屋かはわからないが、昨日ひかりさんが切望していた温泉にはありつけそうだ。


 しかしここで、ひかりさんが遠慮がちに声を掛けてきた。なかなか宿に入ろうとしないと思ったら、何か言いにくい事情があるらしい。


「すごく今更で申し訳ないんですが…………怒らないで聞いてくださいね?」


 その前振りは、僕が怒りそうな話をするということなのだろうか。

 何を言うのかと思って聞けば、宿は一部屋しか手配されていないのだと言う。そしてそれは、どうやら手違いというわけでもなく、意図的に・・・・そうなったのだということも察せられた。


「すみません、隠すつもりじゃなかったんですが、どのタイミングで言えば良いかと……」


「えぇと……とりあえず、部屋に入りましょうか。ここで話すにも、寒いですから」


「はい、すみません……」


 すっかりしおらしくなってしまったひかりさんを連れて、僕らは宿に入る。

 外観からは年季の入った和風旅館という印象を受けたが、中は思ったよりも綺麗で設備も新しい。観光客を想定してか、内部設備は新しくしてあるのだろう。電子決済にも対応している旨を示すステッカーや、フリーWi-Fiの案内、各所に見られる監視カメラなど、電子的な設備も整っているらしい。


 予約情報はひかりさんが所長から預かっているらしく、スマホを使って予約確認を行い、部屋に案内された。

 全部屋がそうなのかはわからないが、少し広めの和室でありながらも、襖で隣の部屋と繋がっているというわけでもない完全個室。木製と思われた扉は電子錠で、表面にだけ木材が使われているのだろう。

 障子を開けてみれば、その奥の窓の外に月が見えるという景観の良さもあり、なかなかのグレードの部屋を手配されたのではないかと思った。


 これだけのグレードの部屋を手配するために一部屋にしたのだろうか。このレベルの部屋を二部屋手配したら、結構な費用になるのは間違いないだろう。確かに、この出張にかかる費用は経費で出ているはずで、都外への出張で費用がかさむとは思う。

 しかしながら、予算がないとも思えない。どうせ所長のことだから、捜査協力の要請を受けるにあたって長野県警から経費の負担をするように言ってあるだろうからだ。県警でお手上げの事件を解決に導いてやるのだから、掛かる費用は全て県警持ち、と条件に入れていてもおかしくはない。だとすれば、このグレードの部屋を二部屋手配することだって、できたはずなのだ。


 荷物を置いてコートを脱ぐと、ひかりさんは畳の上に正座して、すっかり怒られるものと身構えていた。そう硬くならずに楽にしてほしいと言っても、もはやそれを聞き入れる様子はなかった。仕方なく、僕も彼女に倣って向かいに正座する。


「それで、えっと……これは誰の判断で?」


「……私が、所長に提案しました」


 ひかりさんが提案したと言っても、最終的に許可を出すのは所長だ。所長もこれを了承したのだから、ひかりさんが全責任を負うわけでもないと思う。だから、彼女がそこまで怒られるかもしれないと考えるに足る理由が、他に何かあるのだろう。


八壁やかべさん、言い訳をさせてください」


「はい、どうぞ」


 神妙な面持ちで、一息吐いてから、彼女はゆっくりと話し出した。


「あのですね、ここは殺人事件が起きた雪山の村なんです。村ではその事件を〝祟り〟だと信じてしまうような因習に縛られた雰囲気があり、そんなところに東京から警察官がやってきたら、どう思われるでしょう。少なくとも、歓迎はされないと思います。最悪を考えれば、〝祟り〟として消してしまおうなどと考えるかもしれませんよね」


 少々話が飛躍し過ぎている気がしないでもないが、概ね同意できる意見ではある。

 今は〝祟り〟のことで村の中には緊張が張り詰めていて、地元警察でも手を焼いているというのに、彼らのテリトリーを土足で踏み荒らすような東京の警察官なんて、敵視されても仕方ないのかもしれない。

 それに、これまでに起きた〝雪姫の祟り〝も故意によるものだとしたら……僕らが〝祟り〟の新しい犠牲者になるという可能性も、まったくないとは言い切れない。


「しかもですよ、そんな状況でよそ者の若い女が一人で宿の部屋に泊まるとなれば……あとは何が起こるか、想像に難くないですよね?」


 ごくりと唾を飲むひかりさん。しかし想像に難くないと言われても、僕にはいまいちピンとこなかった。


「……何が起こるんですか?」


「言わせないでくださいよ……いやらしいこと・・・・・・・に決まってるじゃないですか」


 何を言っているのかと、呆れてため息も出ない。

 いや、言いたいことはわかる。確かに若い女性としては、この状況で一人で泊まるのは不安かもしれない。ましてや土地鑑もないし、すぐに誰かに助けを求められる状況でもない。助けを求めたとして、その人が自分を助けてくれる保証もない。

 これは確かに、いやらしいことでなくても、〝祟り〟として殺される場合でも同じことが言える。


「こんなありがちな設定が、まさか自分の身に降りかかるなんて思いもしませんでしたよ……。八壁さんは、私がそんな目に遭っても良いんですか?」


「そりゃあ、良くはないですけど……。何かの読み過ぎじゃないですか? 僕も一緒なんですから、そこまでの心配は無用かと思いますが。それを言ったら、出張先で異性の同僚と相部屋というのもありがちな設定だと思いますけれどね」


「あら、そうなんですか? 随分お詳しいんですね」


 ここでそんな鎌をかけている余裕があるのなら、それほど深刻に捉えているというわけでもないのだろう。


「あくまで一般教養の範疇ですよ」


 ひかりさんが自分の身を守る術として僕と同じ部屋に泊まることを選んだのなら、少なくともその方がマシだと思ってくれているということだ。その信頼を裏切るようなことになるとは思えないが、彼女が僕をどう認識しているのかは、少し気になった。

 けれどもそれを聞いてしまうと、答えによってはこれまで通りの関係で接することができなくなるかもしれないし、彼女自身もそれを望んではいないだろう。

 だから僕は、都合の悪い方へ話題が広がる前に、それはさておき、とさっさと話を切り替えることにした。


「食事の時間や大浴場の利用可能時間は決まっているんですよね? なら、先にお風呂に入りますか? それとも夕食の時間までこのまま待ちますか?」


 夕食は午後七時、朝食は午前七時、大浴場の開放時間は午前五時から午後十一時と書かれた〝ご利用の手引き〟という書類が、綺麗にラミネートされて座卓の上に置かれていた。現在時刻は午後五時半ごろ。何をやるにしても少し中途半端な時間だ。


「それはあれですか、お風呂にする? ご飯にする? それとも……ってやつですか?」


 それは僕が言う側なのか。しかしながら、本気にされたらされたで嫌なくせに、自分からこういう話題を振ってくるのはどういう了見だろう。


「バカなことを言ってると、置いていきますからね」


「嫌ですねぇ、ちょっとした冗談じゃないですか。ごめんなさい」


 置いていかれてはかなわないと、ひかりさんは素直に謝罪する。

 一人部屋に残されては、わざわざ僕と相部屋にした意味がなくなってしまう。彼女としては、できる限り宿の中では僕と行動を共にしておきたいのだろう。


「では、先にお風呂に行きましょうか。八壁さんも行くんですよね?」


「……先に言っておきますが、一緒には入りませんよ?」


 僕がそう言うと、呆れたような顔をされる。やはりそうだった。一応探りを入れてみて良かった。万が一にも彼女が僕に好意を持っていたら……などと勘ぐってしまったのが恥ずかしくなる。


「当たり前じゃないですか。何言ってるんですか?」


「案内を見ると、混浴もあるそうだったので」


 〝ご利用の手引き〟には宿の案内図も一緒に掲載されていた。そこには大浴場の他に貸し切り風呂があり、混浴で使用可能と書かれていた。


「まあ、どうしてもと言うのであれば、考えてはあげますよ」


「時間も限られてますから、バカなこと言ってないで行きましょう」


「言いだしたのは八壁さんじゃないですか」


 ぶつくさ文句を言いながらも、ひかりさんは自分のお風呂セットを抱えて僕の後をついてきた。

 部屋の鍵は一つしかないのでひかりさんに預け、大浴場の前の休憩スペースで落ち合うことになった。僕の方が先に出ることになるだろうし、彼女一人を待たせることにはならないだろう。

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