ブレイン・タグ

@AIokita

XXX

『他者の経験を追う』

知的好奇心の成れの果て、語り、読書、修行、授業、etc...

人類はその魅力に取りつかれてきた。サイバーネットワークの世界でそれはより直接的なものとなった。もはや追体験に留まらず、脳内で再生される記憶そのものによって直接的体験を経て、誰もが『それ』に成れた。

賢者、英雄、覇者、あるいは神。


それなのに、現実はいつもゴミ溜めみたいな街の底で目が覚める。


「ああ〰、すげえ。ジョン、俺は悟りを開いたぞ」そう言って、俺のダチのマイキーはブレインタグの視覚デバイスを外して、寝転がっていたクッションから体を起こした。「そいつはすげえな」スナック菓子を炭酸ジュースで流し込みながら俺は相槌を打った。こいつは先週も悟りを開いたが、そのあとにやったことはナンパとアダルトビデオの鑑賞くらいなものだ。

明るく暖かなブレインタグの世界から、暗く湿った部屋に戻った眼を擦り、「世界を変えてくる」と言ってマイキーは俺の部屋を出て行った。だが、どうせまた駅前で女に声でもかけまくるんだろう。世界の真実を教えるとか何とか言うもんだから、怪しい宗教の勧誘だと思われてる。気の毒過ぎて本人には言ってないが、警察に捕まる前に止めたほうがいいのか悩んでる。


一人で部屋にいても退屈だ。俺も駅前に行って、無惨に砕け散るマイキーでも見てこよう。いやちがう、これは彼がやり過ぎて警察に捕まらないように監督するためであって、単なる好奇心じゃない。友情だ。

通信端末とジャケットを手に取ると靴を履いて外に出た。上を見上げても高くなりすぎたビルが幾重にも重なり、今日の天気がどうなっているのか、俺の部屋からはもはや判らない。地面が濡れていても、それが雨なのか配管の水漏れなのか。ただ靴が濡れることだけは変わりない。


自動歩行路の流れに乗って、さらに下に広がる街並みと人波を眺める。ブレインタグによって偉人たちの体験と自分を重ねることで、それはありふれたものになってしまった。

どこもかしこも賢い人間で溢れ、世界は偉人たちの基準で生きるようになったのだろうか。それなら俺はどうしてこんな街の底に押し込められているのか。

ギリシャの哲学者やブッダのように布きれ一枚で過ごすことを美徳と思えるまでにはなれない。例え彼らを理解したとしても、俺は快適な部屋で怠惰に過ごすことをやめられない。


駅前の広場に着くと、案の定マイキーが手当たり次第に女の子に声をかけていた。

「ねえキミ!悟り体験のすばらしさを共有しないか!」

相変わらず懲りない男だ。「マイキー!」声をかけて昼食に誘う。今日の釣果もまったく無かったのか、落ち込んだ顔をしてあっさりと着いてきた。

適当なファストフード店に入ると二人で見慣れたメニューを注文した。


「俺は素晴らしい体験をしたのに、どうしても誰もわかってくれないんだ」

マイキーは本気で落ち込んでいるようだった。紙で包装されたファストフードを頬張りながら俺は答えた。

「そういうのって自分が体験したからこそ理解できるっていうかさ、話で聞いてもピンとくるものじゃないんだろ。だからブレインタグは大衆にウケた」

実際にブレインタグが出た当時は爆発的に売れたし、偉人たちの体験を再現できる記録媒体もよく売れた。BTバブルなんて言われた現象もあった。


それでも二年もしないうちにBT市場は縮小した。市場調査では、他人の追体験を楽しめる人間もいれば、受容できない人間もいて、割合的には受容できない人間のほうが多いということだった。

安全性を考慮して刺激調整された記憶媒体を使ってなお、他人の記憶と自分との違いに耐えられず精神を病む者さえ出た。

それで投資家たちも手を引いてバブルは終わり、以後ブレインタグ自体は一般的なメディアとして定着したが、特別な存在にまではならなかった。


食べたことで『失恋』の痛みも落ち着いてきたのか、マイキーもいつもの表情に戻っていた。

「争うことに意味はなく、手を取り合うべきだ」

ストローで甘いシェイクをすすりながら、マイキーが如何にもな台詞を吐いたが、何とも薄っぺらい印象しか残らない。それよりもポテトとシェイクの食べ合わせが最高だった。

俺とマイキーは店を出て、部屋に戻るために歩き出す。


通りかかった公園には彫像があって、誰かが祈っていた。

20世紀の頃には偉人たちへの追体験は旅をもって成されたらしい。それを巡礼と呼ぶ者たちもいた。同じ道を歩めば、同じ境地に辿り着けると、そう信じられていたのだ。彼らは自分たちの世界を変えられたのだろうか。

ブレインタグで体験を再現し、本人と同じ精神に至っているはずの俺たちが味わっているのは何なのか。自分たちの現実を眺めて、より惨めな気持ちになっているだけではないのか。


マイキーは嘘は言っていない。俺も同じ。ブレインタグで素晴らしい体験をして、目が覚めたようになる。一瞬は。

デバイスのゴーグルを外すと、眼を逸らしようのない現実がどこまでも続いている。それはいつも変わらない。夢から覚めるときと同じ。

『それは夢だったのだ』と、ただ思い知るだけの、虚しささえ覚える。


部屋に戻った俺とマイキーはブレインタグのデバイスを付けて、再び別世界へのダイブを準備する。デバイスの読み込みとログインの挙動が耳に伝わってくる。

BTの世界で様々な体験を通して、別の人間になったように錯覚する。

そのあとまたこの暗い部屋に戻るのは知っている。

それでもいい。

ただの逃避でも、一瞬だけでも俺は『何者かに』なりたかった。

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