泡のように
まるたろう
第1話
新学期の始まり。
3年生になったというのに、僕にまだその自覚はなかった。
どちらかといえば、3年生というより2年生の延長に近い。
担任の長い話に飽き、手元に広げた小説。
しかし、僕の意識は小説を越えて窓の外へ向けられていた。
校庭に咲く桜がひらひらと舞い散っている。
舞っている花びらが時折、春風に吹かれて舞い踊る。
その静かなダンスは優雅さと気品を持ち合わせていて、どこか儚い。
「ね、名前なんてゆーの?」
突然の声に、半分眠っていた僕の意識が覚醒する。
隣の席の女子生徒。
名前はなんて言ったか。
ただ、返事をしないのも失礼だと思い、僕は言葉を紡ぐ。
「凪。」
あまり、人付き合いが得意な方ではない。
友達も多くはない。
それは僕の言葉足らずなところもあるのだろう。
大抵の人間は、ここで僕から離れていく。
しかし、今回ばかりは違ったのだ。
「へぇ、凪くんって言うんだ。あたしね、ひまわりって言うの。
かわいいっしょ」
にこーっと、それこそ向日葵のような満面の笑みを僕に向ける。
最初に思ったのは、眩しい、それと綺麗。
太陽の光を一身に受けて輝くような笑みに、思わず僕も微笑む。
「凪くんはさ、どの委員会やりたいとかあんの」
あぁ、今は委員会を決める時間だったのか。
窓の外に気をとられすぎていたらしく、長かった担任の話はとうに終わっていた。
「あたしさー、なんかやりたいな!って感じのないんよねー」
間延びした喋り方。
高すぎもせず、低過ぎもしない聞き取りやすい声で。
彼女は言う。
「僕は、図書委員」
本が好きだから、と続けようかとも思ったがやめにした。
「いいじゃん。じゃーあたしもそうしよっかな。凪くんとは仲良くなれそーだしねっ!」
ふわっと微笑み、いいでしょと聞く彼女を見て、何故か胸がズキと痛んだ気がした。
図書委員になってからも、あまりあの子ーひまわりさんと関わることはなかった。
彼女はどうやら友人が多いようで、忙しいだろうと委員会の仕事はもっぱら僕が請け負っていた。
昼休みの静かな図書室。
ここで、空想にふけったり読書をしたりするのが最近の僕の趣味だった。
平和で、静かな空間。
そんな僕の静けさを壊したのは、またしても彼女だった。
ガラガラッと扉が開き、彼女が顔を覗かせる。
ふわっと巻いた髪が揺れ、僕はつい目で追ってしまう。
「あ、凪くんいた!」
と、玩具を見つけた子供のように僕に駆け寄る。
「どうしたの」
大した用事もないだろうに。
そう思っていると、彼女はニコニコと微笑んだまま僕に飴を渡してきた。
「これ!いっつも、委員会の仕事やってもらっちゃってるから。そのお礼ね」
いちご味の飴。
「ありがとう」
と短く呟く。
彼女は、じゃあね!と言って図書室を後にした。
嵐のような女性である。
その日の帰り道、貰ったのを思い出し飴を口に入れる。
甘いのに、少し酸っぱくて。
なんだか複雑な気分になった。
時が過ぎるのは早いもので。
桜は散り、みんながクラスに慣れた頃。
夏が始まった。
「あっついねー」
隣の席で、彼女は言う。
この数ヶ月の間で、関係性は”クラスメイト”から”友人”になった。
彼女にかかればこの偏屈で無愛想な僕でも、友人にしてしまえるのだ。
少し羨ましさを覚えつつ、声を出す。
「夏なのだから、まさに”君”の季節じゃないか」
向日葵。
夏に咲く花である。
太陽の光をその身に浴び、まるで太陽のように眩しく美しい花。
ふふん、と少し誇らしげに胸を張るひまわり。
調子に乗らせてしまったようだ。
「よくわかってるじゃないか凪くーん。夏こそ、この涼木ひまわりの季節なのですよ!」
夏なのに、暑苦しいやつだ。
しかし、僕はそんな彼女が嫌いではなかった。
ニコニコといつも微笑んでいる彼女は、とても美しい。
文化祭が間近に迫った頃。
少し、クラスで揉め事が起きた。
まぁよくある女子と男子の因縁対決のようなものだ。
女子の筆頭に立ったのがひまわりだった。
「だから、こっちのデザインのほうがお客さんの目を惹けるって言ってるじゃん!」
「そんな女々しいのだとつまんねぇだろ!」
ぎゃんぎゃん言い合っているのをよそに、僕は我関せずと小説のページを捲る。
次のページをめくろうとした時、ひまわりと目があった。
「凪くんは、どっちがいいと思うの」
ギラギラと闘志に燃えた目だ。
美しいな、と思い返事が遅れた。
「ひまわりのは、お客さんの注目は惹けると思うよ。ただ、もう少し全員の意見を汲み取るべきだ。」
言い方がきつかったのだろうか。
ひまわりは、教室を出ていってしまった。
慌てて追いかける。
何故か、彼女に嫌われるのは嫌だと思っている僕がいた。
彼女は階段の下で静かに泣いていた。
声を押し殺して、必死に自分を抑えようと。
そんな彼女を見て、僕は一種の感動を覚えた。
うまくいかないことがあると、すぐに声を荒げて自身の意見を押し通す輩もいるというのに。
彼女は、誰にも感情の荒れを見せずにあくまで理論的に物事を運ぼうとしている。
ギュンッ、と音がした。
心臓を鷲掴みにされたような。
これが恋なのだろうなと思った。
「ひまわり、」
小さな、掠れた声で呼びかける。
彼女は、びくっと体を震わせ僕を見た。
「ご、め…さっき、急にまき、こんで」
あぁ、彼女はどこまで美しいのだろう。
慰め方を知っていれば、もう少しましだったのだろうか。
「大丈夫?」
ハンカチを差し出し、そばにいることしかできない僕はこの世界で何よりも無力だった。
「大丈夫」
涙を拭いて微笑んだ彼女の笑顔は、まるで本物の向日葵のようで。
胸が高鳴るのを感じた。
僕はそのハンカチを洗濯することができなかった。
少し鼻を近づけると、彼女の匂いがして。
ぎゅうっと、胸が苦しくなる。
狂おしいくらいに惚れている自分に気づいて、驚く。
あくまでこんな恋はファンタジーだと思っていたのに。
彼女のことを考えるだけで、口元の緩みを抑えることすらままならない。
明日も彼女と話せるだろうか、なんてことを考えながら眠りについた。
世界は、橙色に染まっていた。
先生たちが受験だなんだと騒ぎ出す季節。
受験。
僕と彼女は、大学が離れてしまうだろう。
彼女といられるのもあと少しだと思うと、息をするのが苦しくなった。
「凪くん、」
眉を下げて話しかけにくる彼女は、今日も可愛い。
とことこと歩く姿はまるで小動物のようだ。
「なに」
「勉強おしえてほしくてさぁ…」
彼女はあまり勉強が得意ではないようだ。
いつも、テストが近いと僕のところに来る。
好いた人に頼られるのも悪くないと、毎回力を貸してあげる僕も僕だが。
「これなんでこうなんの、!?」
彼女は特に数学が苦手なようで、数字を見るだけでも嫌と言っていた。
教科書の公式を指さし、使い方を簡単に教える。
「これ、数字あてはめて。問題と見比べたら余裕だから」
眉間にしわを寄せ、教科書とにらめっこする彼女。
そんなところも愛おしい。
問題の意味が理解できたようでぱっと表情が華やぐ。
表情がにぎやかで、わかりやすいのも彼女の魅力の1つだ。
「わかった!!やっぱ凪くんって頭いーよね!」
ありがとう!と満面の笑みを向けられる。
毎度思うが、この笑顔に耐え燃え尽きていない僕は素晴らしく耐久力があるといえる。
「凪くんが一番頼れるんだよね」
一番、と言われ心臓の鼓動が早くなったのは確かだ。
彼女は無意識にそういう言葉を使う。
やはり、人誑しというやつなのだろう。
彼女のせいで好きになったいちご味の飴を舐めながら、帰り道、そう思った。
寒さが厳しい季節だ。
ぎゅ、とポケットに入れた手を握りながら思う。
ちらほらと雪が降る中、少し物寂しさを覚えながら歩く。
「凪くん!おはよっ!」
うしろから肩を叩かれ、振り向く。
いつも通りの彼女だ。
今日は赤いマフラーを巻いている。
彼女の白い肌に赤がよく映えて、いつもよりも笑顔が美しい。
「今日も寒いねー」
手を息で温めながら、彼女は言う。
あの手を握る勇気はまだ僕にはない。
「あ、そうだ」
おもむろにポケットを漁り出す。
そしてポケットからカイロを取り出して僕の手に押し付けた。
「それ、使って!使いかけでごめんだけど!」
それだけ言い残し、彼女は友達のところに走っていってしまった。
寒さのせいか、それとも彼女のせいか、耳が熱くなる。
これは、カイロの熱のせいということにしよう。
早かった。
教室の窓から、桜を見ていたのがついこの間のように感じる。
また校庭の桜が散っている。
今年も春風と遊ぶように舞いながら。
僕の視線の先には、この1年好いていた彼女が。
しかし、彼女の傍らにいるのは僕ではなく別の男だった。
まぁ、想いを伝えることを怖がり避けてきたのだからそうだろう。
いつだって勇気ある者が欲したものを手にするのだ。
それが世の摂理なのだ。
鼻先がつんと痛くなるのを無視し、空を見上げた。
どこまでも青い空。
まるで白いカンバスに青の絵の具をぶちまけたかのような晴天だ。
どこまでも広がっている青い空に、薄く白んだ月が浮かぶ。
誰に言うでもなく、僕は静かに呟いた。
「なんだ。綺麗じゃないか、月。」
恋が終わったとしても、月は綺麗なのだ。
僕が月を見上げることがなくなるまで。
その日まで、月はずっと綺麗だ。
泡のように まるたろう @marutaro_17
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