オールドシティ:非登録者
よみひとしらず
第1話 非登録者
夜のシカゴは、昔から騒がしい街だった。
だが近年、その騒がしさは、人の姿としては現れなくなっていた。
サウスサイドの通りを歩く人間は減り、代わりに、低く、均質な駆動音が街路に残る。舗装の割れ目に溜まった汚水を踏み越えながら、警備ロボットが一定の速度で巡回していた。歩幅は揃い、停止の間隔も同じだ。
個体差は見られない。
遅れるものも、急ぐものもない。角を曲がる位置、立ち止まる時間、再び歩き出すまでの間隔――すべてが、同じ比率で繰り返される。
軍から払い下げられた旧型の筐体。
外装は厚く、塗装は剥げ、関節の動きは鈍い。だが倒れることはない。転倒しても、衝突しても、再び立ち上がる。設計思想が違う。壊れないことだけを目的に作られている。
胴体の側面には白いロゴが貼られていた。
City Index Public Safety Solutions
(シティ・インデックス公共安全ソリューションズ)
市警と契約し、夜間警備と初動対応の一部を請け負う民間企業。
ロボットは警察官ではない。だが、市民はその区別をしなくなって久しかった。命令を下す人間が誰であろうと、進路を塞ぐ存在の性質は変わらない。
街路に残るのは、足音ではない。
均された動きだけが、通りを往復していた。
◆
事件は、ありふれていた。
倉庫街の端にあるコンビニで強盗が発生し、男が逃走した。防犯カメラの映像は粗く、顔は判別できない。黒いジャケット。年齢不詳。特徴なし。
男は走った。
逃げ慣れている動きだった。
路地に入った瞬間、視界の先に影が立ちはだかる。警備ロボットだ。男は一瞬だけ速度を落とし、すぐに進路を変えた。
ロボットは追跡を開始する。
一定の距離を保ち、速度を合わせる。
「停止せよ」
合成音声が空気に拡散する。
男は止まらない。
「停止せよ」
二度目の警告。
それでも男は走る。
舗装の割れ目で足を取られ、体勢が崩れた。完全に転ぶ前、重心が前に流れる。
乾いた音が一つした。
ゴム弾は崩れかけた男の後頭部に当たり、体はそのまま路面に倒れ込んだ。
ロボットは止まる。
それ以上の動作はない。
◆
救急車が来たとき、男はもう動かなかった。
後頭部の損傷。
致命傷だった。
倒れた体の横に、古いリボルバーが転がっていた。錆びた金属。登録番号は摩耗している。いつの時代のものか分からない。
市警の警官がそれを拾い上げ、証拠袋に入れる。
「武器を所持していた」
それだけが確認事項として共有された。
ロボットは、ただ立っている。
指示待ちのまま。
周囲には人が集まり始めていた。
誰も怒鳴らない。
誰も泣かない。
スマートフォンのカメラだけが、静かに向けられる。
◆
翌朝のニュースは短かった。
民間警備ロボットによる発砲。
容疑者死亡。
違法武器所持の可能性。
キャスターは淡々と原稿を読む。
画面の隅に、数字が表示される。
犯罪発生率、前年比マイナス。
警備導入地区の安全指数、上昇。
それだけだ。
◆
City Index 社の本社は湖岸にあった。
ガラス張りの会議室から、灰色の水面が見える。
CEO のイーサン・クロウは、タブレットを操作していた。
Ethan Crowe
(イーサン・クロウ)
現場責任者として、対応報告を確認する立場にある。
報告書は簡潔だった。
時系列。位置情報。使用弾種。結果。
彼は最後まで読み、画面を閉じる。
「問題は?」
誰かが首を横に振る。
「ありません」
それで確認は終わった。
◆
抗議は、三日続いた。
市庁舎前に集まる人々。
掲げられるプラカード。
だが数は多くない。
警備ロボットが広場の外縁を巡回している。
人々は、そこから先へ進まない。
◆
調査結果は二週間後に公表された。
契約条件と運用記録に照らし、
当該行為に逸脱は認められない。
それ以上の説明はなかった。
◆
内部処理の段階で、当該事例は整理された。
後の集計に影響しない。
◆
事件から三日後、倉庫街の封鎖は解除された。
路面には清掃の跡が残り、
通行は再開された。
近くのバーでは、別の都市のニュースが流れていた。
テロ、暴動、洪水。
画面が切り替わっても、誰も何も言わなかった。
◆
一週間後、市の内部会議が開かれた。
議題は一つ。
警備体制の継続確認。
資料は少なく、説明も短い。
結論は一致していた。
◆
一か月後、警備ユニットは増設された。
駆動音は増え、
人の姿はさらに減った。
それを問題とする文書は作成されなかった。
◆
夜の巡回は、続いている。
ロボットは立ち止まり、人影を検知し、解除する。
すべては規定通りだ。
その動作に、名前は付いていない。
ただの処理だ。
◆
シカゴは、静かだった。
街は守られている。
そう扱われている。
誰も、それ以上を問い直さない。
◆
古い事例は、整理され、格納され、
参照されることはない。
制度は、前に進む。
◆
夜のサウスサイドを、ロボットが歩く。
低い駆動音。
一定の歩幅。
変わらない速度。
街は、それを受け入れている。
ただ、それだけだ。
オールドシティ:非登録者 よみひとしらず @yomihito2026
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