臥龍立つ

蒼空 秋

第1話

 成都から白帝城への道を、孔明は馬車で駆けていた。 


 蜀の首都成都にあった諸葛孔明は、夷陵での蜀帝劉備玄徳の大敗の報告の後、しばらくその対応に多忙を極めていた。国庫の全てを放出しても足らず、あらゆる手段で金を工面して敗戦処理にあたり、国家の破綻を防いでいたのだ。


「永安か……」


 そんな最中、急遽劉備に召しだされた孔明は、馬車の中でつかの間の休息をとりながら、劉備が呉との国境にある白帝城を〝永安〟と改名した事を思い出し、深いため息をついた。


 劉備の最側近であった孔明にとって、主の心境を推し量ることは容易だった。おそらく劉備は成都には帰らず、かの地で臨終の時を迎えるつもりなのだ。夷陵での大敗はそれほどすさまじいものだった。劉備が誇る歴戦の将兵の大半を喪失しただけでなく、副司令官であった馬良ら多くの人材を失ったのだ。かつての赤壁の大勝でさえ、曹操の名だたる大将の首をとることはかなわなかったことを考えれば、いかに夷陵での犠牲が大きかったかがわかる。


 漢王朝の血を引く劉備による漢復興の望みは露と消えた。それどころか、蜀はまさに滅亡の危機に瀕しているといえた。


(やはり、命に代えても今回の呉遠征をお止めすべきだった)


 十六年前に孔明を参謀に迎えた劉備玄徳は、荊州から益州に進出して魏呉に続く第三勢力となり、ついには漢王朝の成立の地である漢中を奪うに至っていた。だがその快進撃は、同盟国であった呉の不信を招くこととなった。


 曹操危篤との極秘情報を入手した孔明は、劉備に進言して荊州の関羽を北進させた。同時に呉の孫権の側近である実兄諸葛瑾にも、魏を攻めるように要請した。両者の北伐にあわせて劉備率いる本軍が長安方面に進出できれば、魏を北方に追いやり漢の復興を成し遂げることも不可能ではなかった。何しろ曹操の寿命が尽きかかっていたからだ。英主の世代交代には、常に危険が伴うのだ。


 だが魏を震撼させた関羽の北伐は、無残な結果に終わった。


 大国魏よりも蜀の勢いを恐れた孫権は、あろうことか魏と結んで関羽の背後を強襲。関羽は斬られ、古巣である荊州は奪われてしまった。漢朝再興の最大にして最後の好機は失われた。それどころか義弟の関羽を失った劉備は荊州を奪還するため呉遠征を決意。拙速な呉遠征の末、夷陵にて大惨敗を喫したのだ。


 蜀呉の死闘のさなか、魏は曹操から曹丕への権力継承という最大の危機を乗り切ることができた。そしてその危機は、今度は蜀にふりかかろうとしている。


「永安から出迎えの騎兵が到着した模様です」


 随行の兵士から改めて聞いた永安という言葉には、やはり死の響きを含んでいた。白帝城を永安と改名したのは劉備だった。精魂尽き果てた六十二歳の主は、かの地で永眠を願っているのだろう。もはやかつてのように判断を仰ぐことはできない。


「諸葛先生、お迎えにあがりました」


「趙雲将軍直々の出迎え、感謝いたします」


 蜀の騎馬隊が孔明の馬車を囲んでいた。統制の取れたその騎馬隊を指揮していたひときわ体格の良い武人は、趙雲将軍だった。孔明よりも十歳以上年上のこの武人は、荊州の新野で孔明と出会ってから、孔明の事を〝先生〟と呼び慕ってくれていた。劉備陣営でも最古参格のこの猛将から先生と呼ばれることを、若き頃の孔明は当然のように思っていた。後にその過ちに気づき、「先生はおそれ多く、やめていただきたい」と孔明が何度も頭を下げて頼んでも、趙雲は頑なにその呼び名をやめてくれず、今に至ったのだ。


(〝諸葛先生〟か……)


 初めて彼にそう呼ばれた十六年前の事を、孔明は思い出していた。


 水鏡先生のもとで学問を修めたのは二十五歳の頃であった。当時の孔明は周りの人間が愚かに見えて仕方なかった。


 書籍の本質を理解せず、学問の為に学問をする無意味な輩達。孔子の教えの自分たちに都合のよい部分だけを引用し、しかも迷信に惹かれ、遂には貨幣経済の廃絶すら主張する愚かな儒者達。この国の多数を占める文字すら知らぬ民達については、考慮に入れるまでもなかった。


 荊州の名門である水鏡先生の塾を首席で卒業した孔明にとって、彼らは等しく無知蒙昧の輩に思えた。


「君たちは出世してもせいぜい地方の州牧が関の山だろうが、私が仕官すれば、斉の管仲か、燕の楽毅くらいになるだろう」


 学友たちにそう言い放った孔明に対して、彼らの対応は冷たく、ほとんど孔明の元を去ってしまった。当時の孔明は〝周囲に理解されない孤高の天才〟と自らを定義し、若隠居を気取りながらも、その実、密かに自身を慰めていたのだ。


 中原と華北での戦いは曹操が制覇していた。孔明の故郷である徐州で虐殺を行った憎き相手ではあるが、そうは言ってはいられまい。中央には諸葛一族の有力者が多い。彼らのつてを使えば、仕官は可能だ。いずれ曹操は漢を滅ぼして帝位につき、新たな王朝を開くのだろう。それは誰の目にも明らかな事実だった。


 あるいは江南の孫権も悪くない。曹操と比べれば一回り以上若い孫権の側近には、兄である諸葛瑾がいた。兄に紹介してもらえば、孫権の側近になることも可能だろう。遠からぬ未来に孫権は曹操に降伏するだろうが、降伏後も曹操に好待遇で召し抱えられる手はあるはずだ。


 だがどちらも孔明の心に響かなかった。そもそも既に有力な参謀がいる曹操や孫権に仕官しても、出世は望むべくもない。それに孔明自身が、より大きな大義に殉じ、その才能をいかんなく発揮したかった。


 そんな思いを胸にくすぶっていた孔明に、数少ない友人である徐庶から手紙が届いた。なんでも戦見物に来いという奇妙な誘いだった。




 手紙に書かれた日時に、新野の北の荒野に出向いた孔明。そこには近隣の農民たちが同じく戦見物に来ていた。彼らに混じり、劉備玄徳率いる軍と、曹操軍との戦いを見ることになった。それは今思い出しても鮮烈な出来事だった。


(なんだ、この軍は!?)


 劉備軍は、孔明の予想とまるで異なる軍隊だった。数に劣り装備も劣悪な兵士達だったが、いざ戦闘となると、関羽と張飛と思しき二人の将軍に率いられた兵士たちは猛獣のようになり、曹操軍と互角以上の戦いをみせたのだ。


(これが〝万人の敵〟と称された関羽と張飛。古の項羽もこうであったろうか)


 猛将のもとに弱卒なしというが、事実だった。しかも曹操軍が本陣の一部を増援に向けたのを、わずか一瞬の隙を突くように、どこからともなく現れた疾風のような騎馬隊が、曹操軍の本陣に突っ込んだのだった。戦闘が始まるより前に、戦場を大きく迂回していたに違いない。


 騎馬隊を率いていた趙雲の力も、関張に劣らず凄まじいものだった。思わぬ奇襲に曹操軍の本軍は大混乱となり、そのまま崩れるように撤退した。後で知ったが曹操軍の指揮官は夏侯惇将軍だという。夏侯惇は曹操の一族にして、腹心と言ってもよい名に聞こえた名将であった。決して弱将ではない。


 だが孔明が真に驚いたのは、その後であった。それはその日の驚きをすべて覆すような、圧倒的なものだった。


「漢朝万歳!!」


 戦見物をしていた農民たちが、劉備軍の勝利を祝福して一斉に声をあげたのだ。


 学も教養もない彼らから漢朝に対する賛辞の声を聴くなど、予想もしていなかった。彼らにとって、税をとる為政者は敵に近い存在のはずだ。憎みこそすれ、親しみを抱くいわれがない。


 だが四百年の安寧をもたらした漢朝に対する民の忠誠心を、孔明は民衆たちの中から見出すことができた。そして孔明自身も同様であった。それは滅んだと思っていた故郷が突如目の前に蘇ったかのような、底知れない嬉しさを伴った驚きだった。そして孔明は気づいた。自分もまた、漢朝の臣だったのだと。


「劉皇叔様!」「劉備様万歳!」


 続いて農民たちが大歓喜の表情で、劉備をたたえだしたのだ。


 既に天寿を迎えつつあった漢朝、その命脈に対する希望を一心に集めていたのが、皇叔(帝の叔父)と呼ばれ、民衆に圧倒的な人気を誇っていた劉備だった。


(この男が、劉備玄徳……)


 かつては曹操の盟友にして共に呂布を打ち破るも、ついには袂を分かった宿敵。中原の戦いで曹操の敵のほとんどが敗れ去ったが、劉備だけが生き残っていた。今は荊州の劉表の客将にすぎないものであったが、その名声は天下に鳴り響いていた。すでに齢四十六にして、新野でくすぶっている過去の人物、そんなふうに思っていた孔明の劉備への評価は根底から覆っていた。


(高祖劉邦は天に愛されていたと史記にあったが、劉備もそうに違いない)


 孔明はそう確信した。劉備が本当に漢朝の帝室の血統であることを証明する術はない。だがその天性の威風と人徳から、誰も劉備の血統を否定しなかった。宿敵である曹操自身が高官を与え劉備を召し抱えようとしたほどだ。


(この男に仕え、漢朝を再興する。それは管仲や楽毅を上回る大功績たりうる)


 天命を告げられたかのような熱い思いが全身を駆け巡る。人一倍強い野心を持っていた孔明の心に、火がともった瞬間だった。


(しかしこれほどの人物が、なぜ五千の兵しか有しない小勢力に甘んじているのか)


 曹操の兵力は五十万、孫権も十万は動員できた。それらに比べて、劉備の勢力はあまりに小さい。地元の名士達や豪族の支援を受けられれば、もっと大きな勢力になれるはずだ。そもそもなぜ劉備は、中原での戦いで敗れたのだろうか。


 帰宅後に孔明は劉備の陣営について調べ上げ、すぐにその致命的な欠点に気づいた。


(そうか。彼らは〝儒家〟とも敵対しているのか)


 劉備達の組織の源流は、〝侠〟と呼ばれる義によって集まった団体であった。弱きを助け強きをくじく彼らは、民衆に圧倒的人気を誇る一方で、儒家達とは極めて相性が悪い。かつての本拠地であった徐州や他の地域で地盤を築けなかったのは、それが原因であろう。


 この国では儒家は名士であり豪族であり、そして官吏でもある。それらと敵対していた彼らが地盤を築けなかったのは、孔明にとっては自明の理だった。


(そういえば徐庶は侠の出身だったな)


 ならば徐庶が劉備に仕えた理由は理解できる。同じ侠どうし、気が合ったのだろう。劉備と会うには徐庶の伝手を使えばよいと思ったが、聞くところによると徐庶は母親を曹操に人質に取られ、曹操のもとに向かったという。


(それでも徐庶が私に手紙を送ったということは、劉備に仕えよということか)


 だが孔明は名門の出身であり、荊州の豪族の娘を妻に持つ名士であるとはいえ、今は一書生にすぎない。とても劉備らと面会できるとは思えない。特に関羽と張飛の二人は、蛇蝎のごとく名士を嫌っているという噂だった。


 思案したうえで孔明は、騎馬隊を率いていた趙雲に狙いを定めた。聞くところによると趙雲は元々は俠ではなく、漢朝の役人の家系であるという。恐るべき馬術と槍術の使い手に見えたが、元は文官らしかった。


 学があるならば、孔明の才覚も理解できるはずだ。そう思った孔明は、妻の人脈を活用してついには趙雲との会見を設定することに成功した。


「高名な諸葛先生の教えを乞う機会をいただき、光栄です」


 こちらから面会を希望したにもかかわらず、初対面の趙雲はそう言って頭を下げた。その礼儀正しいしぐさは、とても騎馬隊を率いていたあの猛将と同一人物とは思えなかった。


 この国において、知識人、とりわけ漢朝の国教である儒学を学ぶ儒者は尊敬されていた。儒学も修めていた孔明は当然のように上座に座り、趙雲に自説を説く。


「素晴らしい教えです。ぜひ、我が君にも聞いていただきたい」


 必死の思いが通じたのか、趙雲は劉備との会談も用意してくれるという。孔明は冷静を装っていたが内心では、とびあがらんほどの気持ちを抑えきれずにいた。だが劉備との会談は、孔明が予想していたよりもはるかに困難なものだった。




「儒家が、兄者に何を説く!?」


 劉備との会談の場に同席した虎髭の大男、張飛は開口一番にそう怒鳴りつけてきた。近くに雷が落ちたような怒声は、戦場で見たのと同じく恐ろしいものだった。さらに奥に控える長い髭を蓄えた大男、関羽もまた険しい視線でこちらを見つめていた。そして肝心の劉備は奥に腰掛け、暗闇のため姿はよく見えない。


(震えるな、我慢しろ)


 孔明は内心で恐怖を噛み殺しながらも、口を開いた。


「説くのは儒家の教えではありません。天下のとり方です」


「若造が何をぬかす!」


 張飛が獣のような瞳でにらみつけるが、関羽は鋭い視線のまま無言でこちらを見つめ、孔明の策を聞く意思を見せていた。


 そして孔明の言葉に、暗闇の奥の劉備の瞳がわずかに光った気がした。


「すでに中原と華北は曹操が抑え、この国の半分以上は曹操の手にあります。また江南の孫権の勢力も侮れません。劉皇叔が天下を制し漢朝を立て直すならば、残る荊州と益州を抑え、彼らに対抗するしかありません。これを〝天下三分の計〟と称します」


「口で言うなら簡単だ若造、そんなの誰でも思いつくわ!」


「はい。実際、劉皇叔は徐州を失い、いまだに地盤と呼べる地域を確保できていません」


「兄者を愚弄するとは、たたっ斬るぞ!」


 怒りに身を乗り出した張飛、その恐ろしさは巨大な虎のようだった。


「問題はなぜ、劉備陣営が地盤を築けなかったかです。それは儒者達の力を借りることができなかったからです。彼らは名士であり、豪族であり、官吏でもあります。官吏無き国は、いかに民衆の支持を得ても治まりません」


「兄貴に腐れ儒者に頭を下げろっていうのか!? 儒者がいかに国を腐らせたか、いかに民を苦しめたか? 無益な教義と迷信ばかり語る儒学者などクズだ!」


「今の儒者はクズではありません。〝糞〟です」


「く、クソだと!?」


「孔子の教えは素晴らしいものでした。しかし漢朝が儒学を国教として以来、儒者は腐りはててしまいました。今ではおっしゃる通り、無益な教義と迷信ばかり語る糞、漢朝を衰退させた一因です」


「お、お前だって儒学者だろう?」


「私は古今のあらゆる学問を修めました。儒学はその一つにすぎません。儒者に頼らず、あくまで儒者を利用するのです。私ならそれが可能です。あらゆる儒学者も味方につけ、必要とあらば論破して御覧にいれましょう」


 予想外の展開に、張飛は驚いたのか口を閉じ、無言になってしまった。


「だが曹操の力は強大だ。どうやってそれをしのぎつつ、益州を抑えるのだ?」


 代わって関羽が口を開く。張飛ほど大きくはないが、低く響く恐ろしい声だった。


「私の兄は孫権の側近です。私が使者にたって彼らと対等の同盟を結び、曹操を迎え撃ちます。荊州は大河が多く、孫権の水軍と連携すれば、食い止めることはできます」


「お前の兄貴が孫権の側近だと!? でまかせをいうな」


「いや張飛、それは本当だ」


 再び怒声を発した張飛を、関羽がとりなす。さすが知勇兼備とされる関羽、やはり孔明のことも調べあげていたか。


「だが益州平定は容易ではないぞ? 劉章は十万の兵は動かせる。こちらは五千だ」


「益州はかつての漢の高祖が本拠地とした地。さらに漢中は漢の聖地。それに劉章は暗愚で知られています。彼の地の民と名士たちに、皇叔を高祖の再来だと認識させるのです。そうすれば、内部から切り崩すことは可能です」


 孔明のこの回答に、関羽も喉を鳴らして唸る。その姿もまた巨獣の様だった。


「漢の聖地である漢中を奪還すれば、中原からも協力者がでるはずです。我らはみな、元は漢の臣なのですから。その時、彼らと協力して曹操に決戦を挑むのです」


「──よいな。その案に、俺は乗った」


 よく通る声が響く。見ると奥から劉備が立ち上がって、孔明の顔を覗き込んでいたのだ。孔明より二十近く年上のはずの劉備は、童の様に瞳を輝かせながら孔明の姿を見つめていた。


「さすがは徐庶が推挙した人物だ。俺はお前の助言に従おう、よろしく頼む孔明」


 そしてまるで長年の友人に対するかのように、孔明の肩に手をやり親しそうに微笑んだ。


「我が君……」


 今思うと不思議だったが、たったそれだけのことで孔明は劉備に生涯の忠誠を誓ったのだ。おそらくこの方に仕えるのが、自分の天命だったのだろう。


 それが今から十六年前の、孔明と劉備との出会いだった。


(今となって思えば、教えていただいていたのは、私のほうだったな)


 仕官したころの孔明は学には自信があり、劉備を教え指導する立場であると思いあがっていた。だが実のところ、孔明は劉備から学ぶ事のほうが多かった。二十歳も年上の劉備は、まるで我が子を諭すかのように、忍耐強く、時に厳しく指導してくれた。特に人心掌握と組織運営の手腕については、孔明は一から指導してもらったに等しい。


 新参の謀臣であり改革者でもある自分は、組織内では嫌われる立場であると、当初孔明はある種、開き直っていた。だが劉備はそんな孔明の甘えを許さなかった。謀臣でありながら信頼され、改革者でありながら人望がある、そんな稀有な人物に、劉備は孔明を育成するつもりのようだった。


 劉備の教えを実践するにつれ、次第に孔明の他者に対する態度は変わり、それに応じるかのように他者の孔明に対する態度も変わっていった。謀臣であり、改革者でもある孔明は、本来なら最も危険な立場にあった。


 君主の代替わりに伴い、次なる君主に粛清される謀臣は多く、むしろ生き残った方が少ないくらいだ。少なくとも、今の孔明にはそのような心配は不要だった。孔明はかつてと異なり、今は孤立していない。


 劉備と孔明の関係、それは親子関係をも凌駕するほどの、得難く特別な君臣関係であったと今では思う。




 白帝城につくと、孔明は趙雲とともに城の奥の、劉備の寝室へと駆けるように向かった。


 部屋の扉の前の廊下には、蜀の主だった群臣たちの姿が見えた。彼らの表情はみな暗く、今後の蜀の将来を暗示しているかの様だった。


 呉懿と李厳。やはり彼らも呼ばれていたか。


 呉懿は益州の名士の武官であり、妹が劉備の后にあたる外戚でもあった。李厳は孔明とともにかつて蜀の法整備を担った文官であり、こちらも益州の有力な名士だった。


 彼らに趙雲と私を加えた集団体制が落としどころか。


 有力な武官としては他に魏延がいるが、彼は遠く漢中の守備についている。衰えた劉備は孔明ら四名に後事を託すつもりなのだろう。他の群臣は、その見届けのために呼ばれたに過ぎない。


 孔明は内心で嘆息した。かつての頼もしい同胞も、これからは政敵となりうる。せめて荊州名士の馬良が生き残っていれば、李厳を抑える役を果たしてくれたはずだったが、彼も夷陵で死んだ。一族の馬謖はまだ若く、頼みにはならない。


 蜀は滅ぶ。成都での政務を放り出しても、我が君の元へはせ参じるべきだった。


 孔明は内心いたく後悔したが、時すでに遅かった。歴史的に集団指導体制が機能した例はほぼない。


(せめて趙雲を軍の最高位に据えておくように進言すべきだった)


 集団指導体制の場合、武官である趙雲と呉懿、文官である孔明と李厳が、それぞれ政敵となりえた。


 劉備は人材の運用に優れた人物で、若手の出世頭である魏延を漢中太守に抜擢し、また益州の豪族である呉懿の妹を后に迎え、高官を与えていた。そして古参の趙雲らは手元に置いて自らの手足として使う方針をとっていた。孔明自身も録尚書事であり、現代日本でいうところの官房長官にあたるが、実質的には劉備の秘書官長にすぎない。みな孔明の命令ではなく、劉備の命令に従っていたのだ。


 劉備が存命中であれば問題はない。劉備は官職の高低にかかわらず孔明の助言に従って行動し、実際に部隊を率いるのは趙雲らだ。だがこの体制は、劉備がいなくなれば一気に崩壊する危険性をはらんでいた。劉備と共に人事案を練っていた時は、このような事態になるとは想像もしていなかった。




「──皆の者、大儀である」


 寝室の寝台に腰掛け群臣たちに語りかけた蜀帝劉備の姿は、驚くほどやつれていた。最後に成都で会った時から一年程度しか経っていないはずだが、十年もの歳月が一度に襲ってきたかのように思える。それでも群臣達はみな、劉備の言葉の一字一句を逃さまいと、その声に全神経を傾けている。みな臨終を悟っているのだろう。


 この時になって初めて、孔明は劉備の死という差し迫った未来を、現実のものとして痛感することになった。それは氷の刃を首元につきつけられて崖の前に立たされるような、冷たく絶望的な感覚だった。


 そもそも蜀は劉備という稀代の英雄の元に成り立つ国家なのだ。曹操という万能の梟雄さえいなければ乱れた天下を治め、漢室の復興を成し遂げていただろう。改めて劉備は漢の高祖劉邦にも匹敵する人物であったと思う。


 蜀はそんな劉備と彼が率いる荊州の名士達を、益州の豪族たちが英主として迎え入れた、ある種の漢朝の亡命政権だった。劉備を失った蜀は、糸が抜けた織物のように霧散してしまうだろう。わずか十七歳の太子劉禅には、劉備の代わりは望むべくもない。そして故郷である荊州を失った孔明達荊州派には、益州派の豪族を抑える力はない。いずれ益州の豪族たちは先を争うように魏に帰順し、蜀は滅亡するのだろう。それは火を見るよりも明らかな現実だった。


 劉備と孔明達が人生をかけて、多くの将兵の命を犠牲にしてまで作り上げた蜀は、劉備の死とともに終焉を迎えるだろう。そのことを考えると、孔明は全身が震えるのを止めることができなかった。


「趙雲、おぬしとは長いな。よく今まで尽くしてくれた」


「もったいないお言葉です」


 そんな孔明の姿を横目に、劉備は趙雲と過去の話を始めた。


「十六年前、義兄弟おとうと達と孔明の屋敷を訪ねたことを、覚えているか?」


「はい。私も関羽、張飛殿と共に陛下を護衛しながら、諸葛先生の屋敷を訪ねました」


「おおっ」「そんな事が」と群臣達が声をあげる。皇族であり、二十歳も年上でもある劉備が、書生にすぎなかった頃の孔明を訪問するなど、ありえない事だったからだ。


(いったい、どういうことだ?)


 何より、当の孔明自身が一番驚いていた。劉備と趙雲が語る話の内容は、まるで事実と異なっていたからだ。


「儂は三度孔明の家を訪ね、その教えを乞い、仕えるように懇願したのだ。そして孔明から蜀の地を平定し、曹操に対抗するという策を得た。今の我々があるのは、孔明のおかげだ」


「おっしゃるとおりです」


 劉備と合図を打つ趙雲。二人の視線は孔明に向けられ、群臣達の視線も、孔明に注がれる。


「孔明、君の才は曹丕の十倍す。君ならば、儂の遺志を継ぎ、漢室の再興をも成し遂げることができよう」


 劉備は孔明の才を大々的に認め、自らの遺志を継ぐ後継者に指名したのだ。  


「そしてもし我が子劉禅に器がなくば、孔明、君が取って代われ」


「おおっ!」「なんと!」


 さらにとんでもないことを劉備が告げる。それは君臣の関係をも超える一言だった。


 この瞬間、孔明は群臣の列から引きあげられ、劉備に準じる地位を得ることになった。一歩間違えれば太子劉禅の将来さえ危険にさらす行為。だが孔明には理解できた。それは劉備の彼に対する絶対の信頼の証だということを。


「どんなことがあっても、臣は劉禅様に忠義を尽くし、陛下の悲願を達成いたします」


 孔明は床に頭をつけんばかりに深く礼し、劉備に答える。こみあげてきた熱いもので、瞳がにじみ視界が揺らいでいた。その孔明の姿に、劉備は満足そうにうなずく。


「李厳、そなたはここ永安にあって、呉に備えてくれ。趙雲と呉懿は孔明に従い我が悲願である北伐を完遂せよ」


「はっ」


「承知いたしました、陛下」


「御意のままに」


 最後に劉備は最大の政敵になりうる同じ文官の李厳を中央から外し、武官の趙雲と呉懿には孔明に従うように命じた。


 劉備の指示は最後まで的確だった。孔明は主君の意図をようやく理解する。集団指導体制などではない、劉備は〝三顧の礼〟をでっちあげてまでも、孔明を自身の唯一の後継者に指名したのだ。懸念など杞憂に過ぎなかった。こと組織運営と人心掌握においては、劉備は孔明の師であったからだ。


 群臣達の視線の大半は、孔明に向けられたままだった。先ほどと違い、視線には期待の熱がこもっている。すでに体の震えは止まっていた。


「ふふ」


 そんな孔明の姿に、力弱くとも、嬉しそうに笑みをうかべる劉備。


「どうされました、陛下?」


 側の趙雲が笑みの理由を尋ねる。


「曹操、わしはお前に領土の大きさでは劣ったが、こと臣下においては、ついに勝った。一矢報いてやったぞ、と思ってな」


「ならば一勝一敗で、勝負はまだ引き分けということですな、陛下」


 一矢報いると引き分けとは、大きく意味は異なる。意図的な齟齬はこの忠臣がみせた、最後の奉公なのだろう。


「──引き分けか。悪くない、そう思えるとはな……」


 劉備は虚空を睨みながら、すでにこの世にない宿敵に対しそうつぶやいた。その瞳は穏やかなもので、天から与えられた使命をすべてやり遂げたような、穏やかなものだった。


 ──「後は頼んだ、孔明」──


 最後に孔明のほうを見た劉備の瞳から、そんな声が響いた気がした。

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臥龍立つ 蒼空 秋 @reo0720

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