第4話 引き際


二体目の魔獣は、気配もなく現れた。


通路の曲がり角を越えた瞬間、

《遅延感知》が、遅れて嫌な感触を返してくる。


(……来たな)


判断は一瞬遅れる。

それでも、構えは間に合った。


魔獣は一体目より小柄だが、動きが鋭い。

爪が空を裂き、壁に火花を散らす。


「っ……!」


短剣で受け流す。

手首が痺れたが、剣よりも制御しやすい。


《微調整》。

今度は敵ではなく、自分の足運び。


踏み込みが浅くなり、回避が間に合う。


だが――


(……重い)


呼吸が、明らかに乱れている。

脚が、少し遅れる。


《劣化耐性》があっても、疲労そのものは消えない。

「死なない」だけで、「動ける」わけじゃない。


魔獣の爪が肩をかすめ、血が滲む。


「く……っ」


視界の端が、わずかに暗い。


(集中力が、落ちてる)


一体目の時とは違う。

勝てるかどうかではない。


勝ったあと、生きて帰れるか。


魔獣の動きは、すでに見えている。

だが、体が追いつかない。


《蓄積変換》が、また反応した。

小さな達成感と引き換えに、内部で何かが溜まる。


(……今じゃない)


クロウは、剣を強く握った。


一度、距離を取る。

魔獣が追う。


通路は狭い。

退路は確保できている。


(ここで倒しても……次が来たら終わりだ)


一瞬の迷いのあと、決断した。


「……撤退だ」


《微調整》を連続で使用する。

床。

壁。

敵の踏み込み。


大きく勝つ必要はない。

逃げられればいい。


魔獣の爪が空を切り、クロウは通路を駆けた。


背中に、衝撃。

だが浅い。


《劣化耐性》が、痛みを鈍らせる。


走る。

息が切れる。

視界が揺れる。


それでも、止まらない。


やがて、最初の階層への分岐が見えた。


魔獣は、境界を越えなかった。

唸り声を残し、闇に引き返していく。


その場に崩れ落ちる。


「……生きてる」


胸が、激しく上下する。

全身が、鉛のように重い。


だが、後悔はなかった。


(判断は……正しかった)


無理をしなかった。

欲張らなかった。


それは、弱者の選択だ。

だが、生き残るための最善でもある。


《蓄積変換》が、静かに反応する。

今日得たものは、倒した数ではない。


「……経験、か」


ゆっくりと立ち上がり、地上への階段を目指す。


迷宮は逃げない。

だが、命は一つしかない。


最弱判定の冒険者は、

初めて“引き際”を覚え、帰路についた。

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