VR温泉で健全デート中、現実では宿敵と全裸で混浴中

長田桂陣

第1話

 スーパー銭湯『湯楽の里』のロビーは、週末の賑わいに満ちていた。

 券売機の電子音、下駄箱の扉が閉まる音、家族連れの笑い声。そんな雑踏の中に長身の青年、高峰昂はやってきた。

 大学二年生。無愛想な顔つきに長身。その手には活発そうな短髪の少年——弟のカツが飛んでいかないように掴まれていた。


「兄ちゃん、あの人おっぱい大きい」


 弟の発見に心のなかで賛辞を送りつつおっぱいを探すと、その視界に見覚えのあるショートボブが映った。


「……げっ」


 おっぱいから舌打ちが漏れた。

 小柄な女子大生。水瀬雫。高峰にとって、最も顔を合わせたくない相手だった。


「こんなとこで会うなんて運が悪いぜ、水瀬」


 水瀬も豊満な胸を張り、挑発的な笑みを浮かべた。


「貴方こそなんでこんなところに? まさか私のストーカーなの? 高峰くん」


 高峰は心の中で毒づいた。

 ——相変わらず可愛げのない女だ、顔とおっぱいだけはいいのに。


「兄ちゃんの彼女だ」


 足元から無邪気な声が上がった。カツだ。


「違うぞぁ、この女は敵だ」

「でも兄ちゃん、雫好きじゃん」

「違うぞカツ、俺が好きなのはおっぱいだ」


 水瀬が顔を赤くして、豊満な胸を手で覆った。


「やらしい。やっぱそういう目で見てたんだ」


 水瀬の後ろからも、サラサラのショートボブの少年——弟のユウが顔を出した。


「カッくんだ!」

「ユウくん!」


 弟二人は慣れた様子で駆け寄り、手を繋いだ。


「ボクのお姉ちゃんもね、昇くんて素敵だって言ってたよ」

「違うでしょユウくん。素敵なのは身長だよ」


 水瀬が慷てて弟の頭を押さえつける。

 高峰は呼れたように息を吐いた。


「俺は弟と家族風呂に入りに来たんだよ」

「あら残念ね」


 高峰の目的を知った水瀬が、一枚のチケットをヒラヒラと振った。


「この時間は私が予約済みなの。知ってる? よ・や・く。二時間待ってなさい」


 高峰の眉間に皺が寄った。


「カツ、予約してこい!」


 高峰が弟を解き放つと、カツはユウと手を繋いだまま、廊下の奥へと走り去っていった。


「ちょっと、ユウ!」


 水瀬が叫んだ。しかし弟たちは振り返りもしない。


「何で弟同士が友達なんだよ。世間は狭いな」

「それはこっちのセリフでしょ」


 施設の中だ。迷子にはならないだろう。


「ところで水瀬、頼みがあるんだが……家族風呂を譲ってくんねぇか?」

「は? 嫌に決まってるでしょ」

「ちょっと、約束あんだよ」


 水瀬は鼻で笑った。


「駄目よ、私も約束があるの。じゃーねー」


 そう言い残して、水瀬は弟を追いかけていった。

 高峰はその背中を見送りながら、舌打ちをした。


「予約は大事だな」


---


 家族風呂の脱衣所。

 『利用中』の札がかかった扉の向こうで、水瀬雫は服を脱いでいた。

 脱衣籠、鏡、タオル掛け、籐のマット。狭いながらも清潔な空間だった。


 ブラジャーのホックを外し、ショーツを下ろす。

 弟のユウが姉を見てはしゃいでいる。


「お外で裸!」

「銭湯はいいのよ」


 壁に掲示されている、水着と湯浴み衣禁止のポスター。

 水瀬はショートボブの髪を手ぐしで整えながら、水瀬は鞄の中から何かを取り出した。


 VRゴーグルだ。


「お姉ちゃん、なにそれ?」


 ユウが不思議そうに見上げてくる。

 高峰の弟とは別れたようだった。


「ユウ。お姉ちゃんね、お風呂で待ち合わせしてるの。これ着けたら見えなくなるから、ユウが姉ちゃんを守ってね?」

「お風呂で? うん、わかった」

「貸し切りだから大丈夫だと思うけれど、もしも家族じゃない人とか入ってきたら教えてね」

「まかせて。ねぇ……カッくんも呼んでもいい?」

「高峰の弟くんか」


 水瀬は少し考えた。そう言えば、あいつも約束があるとか言っていた。弟に家族風呂に入らせてやるとか言ったのだろうか?


「いいよ、そして高峰をひとりぼっちにしてやる。にゃはは」


 水瀬は意地悪く笑う。

 弟は脱衣場を飛び出していった、新しい友達を迎えに行ったのだろう。


 ゴーグルを手に、水瀬は浴室へと向かった。

 十畳ほどの家族風呂。一面のみガラス張りで光は入ってくるものの、木製のフェンスで囲われており覗かれる心配はない。


 かけ湯をして、浴槽に身を沈める。


「これこれ。この開放感は自宅じゃ無理だよねぇ」


 お湯の中で、大きな胸がふわりと持ち上がる。かけ流しの水流にゆらゆらと揺れるそれを見下ろして、水瀬は呟いた。


「高峰め、やっぱり巨乳好きだったか。チラチラ見てんの知ってるっての。まぁ、あんな奴のことは忘れて……」


 VRゴーグルを装着する。

 起動音と共に、現実の殺風景な家族風呂が——満天の星空と雪景色に変わった。


「わぁ……!」


 息を呑むような絶景。ひんやりとした仮想の空気。雪に覆われた山々と、幻想的な雪見風呂。


「にゃはぁ! バーチャル露天風呂だぁ」


 現実では、全裸の女性がVRゴーグルをつけたまま両手を広げてはしゃいでいる。


「今日は年に一度の『奇跡のオーロラ』が見られる日、それをバーチャル露天風呂であの人と楽しむんだ」


 期待に胸を高鳴らせながら、水瀬は待ち人の到着を待った。


---


 その頃。

 ユウは腰タオル一枚で脱衣所を飛び出していた。


「カッくん、お姉ちゃんが一緒に入ってもいいって!」

「やったー!」


 カツは、その朗報を高峰へ届ける。


「兄ちゃん、家族風呂入れるよ!」


 そう、伝えた。


「やったぜ。なんだよ一箇所しか無いのかと思って焦ったぜ。なぁ?」

「わかんねぇ! それよりさ、ユウくんも一緒でいいだろ?」


 そう、確認を取った。


「水瀬の弟か、いいぞ呼べ呼べ。やつを一人ぼっちにしてやる」


 弟たちも嘘はついていない。

 高峰は弟と共に、家族風呂の脱衣所へと向かった。


 換気扇のごうごうという唸り。

 扇風機が首を振り、湿った空気を掻き回している。

 壁には効能を書いた看板。

 水着および湯浴み着禁止のポスター。


 すぐそこに水瀬の脱いだ服が、籠の中に綺麗に畳まれている。

 よほどの奇行をしないかぎりは、これに気づかないはずがない。


 そして、高峰は家族風呂の脱衣場で全裸になると……鞄からVRゴーグルを取り出した。

 同じ型。同じ色。水瀬と全く同じデバイスだった。

 それをその場で装着する。


「おっと前が見えん! カツ、誘導を頼む」

「まかせろー!」

「姉ちゃんとおなじだ」


 弟二人が高峰の手を引いて、脱衣所を出ていく。

 脱いで綺麗に畳まれた水瀬の脱衣籠——その真横を通り過ぎるが、高峰は気づかない。

 視界を塞がれた全裸の男が、弟たちに手を引かれていく。


 高峰を誘導する二人の弟の声が響く。

 その喧騒を湯船で聞いている水瀬。


 二人は同時に指先でメニューを操作する。

 弟たちの声が遠のいた。ノイズキャンセリング機能。これで、VRの世界に没入できる。


 『全裸VR男』と『全裸VR女』

 二人の運命は、交差……いや事故るべくして事故っていた。

 ついに四人が同じ浴室に揃うのだ。


「はーい、一緒のお風呂!」

「なぁ、大人の男と女が一緒のお風呂って、夫婦だよな?」

「知ってる、裸の付き合いってやつだね」


 そういえば姉がなにか言っていた。知らない人を入れるなと。

 ユウは目をパチクリさせて、ポンと手を打った。


「……夫婦は家族だね!」

「夫婦なら、ケンカしない! 仲良しだ!」


 互いの兄姉が仲良し。

 凄く良いことだと少年たちは思った。


「なぁ、兄ちゃん?」


 返事はない。


「お姉ちゃーん!」


 こちらもだ。それどころか目の前で手を振っても気づかない。


「……いいこと思いついた!」

「僕も!」


 大抵ろくな思いつきではない。

 フルチン天使たちの作戦が、今、始まった。


---


 一方その頃のVR世界。

 満天の星空。雪に覆われた山々。幻想的な雪見風呂。

 湯気が立ち上り、遠くでフクロウの声がする。


 そこで、二つのアバターが対面していた。


 少年アバター『スバル』

 爽やかな美少年、短髪、海パン姿。

 

 少女アバター『シズク』

 深窓の令嬢風、ロングヘア、白いワンピース水着。


 そんなファンタジー空間はさておき、現実で二人は邂逅していた。


「シズクさん、お待たせしました」

「いらっしゃい、スバルさん。なんだかいつも会ってますね私たち」


 さっき喧嘩したばかりである。


「無理を言ってすみません。予定とか大丈夫でしたか?」

「いえ、スバルさんの予約が優先ですから」


 シズクは微笑んでそう言った。

 現実の水瀬も、湯船の中でほんのりと頬を緩ませている。


「でも、お風呂は初めてですね……緊張します」

「私もです。水着、似合ってますか?」


 水瀬は立ち上がり、恥ずかしいながらも水着姿を高峰に見せつける。

 もっとも、銭湯なのでそんなものは着ていない。


「とても。素敵ですよ、似合ってます!」


 すっぽんぽんのくせに甘酸っぱい会話が交わされる。


 高峰が手を伸ばすと、弟たちがその手を取った。

 年に一度の『奇跡のオーロラ』見逃すわけには行かないので、ゴーグルは外せない。


「兄ちゃん、こっちこっち! ここに座って!」


 このために連れてきた弟だ、こんな天才的な発想は誰にも思いつかないだろう。

 水瀬もまた手を伸ばす。


「ユウくん、移動、移動だから」


 なんということだ、水瀬も天才だった。


「(ヒソヒソ)カッくん、隣に座らせるんだよね?」

「(ヒソヒソ)おう! 夫婦は隣に座るもんだ!」


 二人は位置がわからないまま、湯船で弟に指示された場所に腰を下ろした。


 小さな家族風呂。肩が触れそうな距離。

 全裸の宿敵同士が、肩が触れそうな距離で入浴をしている。


「VRで混浴なんて変な感じですね」

「嫌でしたか?」

「そんな事ないです、誘ってもらえて嬉しいです」


 高峰は心の中で感嘆した。

 ——シズクさん……なんて純粋な人なんだ。

 現実でこんな相手に出会えたら……

 水瀬(シズク)も同じように思っていた。


 そして二人脳天に、再び天才的な閃きがほとばしる。


「カツ、俺の横に座れ」

「ユウくん、お姉ちゃんの横に来て」


 高峰が少し身体を傾けると、肩が人の温もりに触れた。

 弟を利用した、まるで現実で触れ合っているかの様な幻想。

 弟と二人で風呂に入りながらも、まるで恋人と混浴をしているかのような体験。

 まさに天才の所業。


「みてみて、タオルに空気を入れて沈めるとね……」

「あ! おなら爆弾だ!」


 しかし、弟たちは別の遊びに夢中だった。

 くねくねと湯船で肩を寄せ合う兄と姉を眺める。


「兄ちゃんたちの動き、キモいねー」

「うん、キモいー」


---


 そんなことは知らない湯船の中の二人。


「手を伸ばせば本当に届きそうです」


 いちゃいちゃしていた。

 高峰が手を伸ばす。だが、本当に触れてしまえばそれは弟のカツだ、そこに魅惑のオッパイはないのだ。

 だから、高峰は伸ばしかけた手をそっと下げた。

 そのとき指先がかすかに弟に触れた。


「きゃ!」

「どうしました?」

「いえ、弟のいたずらですよ」


 水瀬は誰かに、軽く頂点に触れられて驚いたのだ。

 ユウは普段あまりこういったイタズラをしない。

 高峰の弟だろうか?

 兄に似て巨乳好きかもしれない。

 まぁ、小さな子供のすることだ。これが高峰であれば半殺しにしている。

 高峰の事を考えるなど脳細胞の無駄だ、今はスバルの事だけを考えていたい。


「弟さんがいるんですか? 俺もなんですよ。いま一緒に風呂に入ってます」


 高峰は弟の存在を確認するために足で軽く触れた。

 水瀬の足に、何かがツンツンと触れた。


「うちの弟ったら、またいたずら」


 仕返しに足でツンツンと突き返す。

 高峰の足にも、細い足がツンツンと触れてきた。


「調子乗りやがって」


 ぐいっと足で押し返す。


「弟って、どうしてこうイタズラ好きなんでしょうね」

「わかります。うちのも足でつついてきて」

「あっ、私もです! 今まさに!」

「奇遇ですね」


 水瀬が足の裏で高峰のふくらはぎを撫でるように押す。

 高峰が足首を掴むように挟み返す。


「でも、こうして同じ体験を共有できるのって、素敵ですね」

「……そうですね。まるで同じ場所にいるみたいだ」

「ふふ、本当にそうだったら面白いのに」


 水瀬が湯船から立ち上がり、その縁に座る。


「ほんとは、可愛いビキニとか見せたかったんですよ」


 水瀬が雰囲気にまかせてちょっとだけ大胆な行動にでた。

 とはいえ、VRだからこそコンプライアンスは厳しかった。

 エロは一切禁止なのだ。


「VRといっても規制はちゃんとしてますからね」


 VRでは真っ昼間から若い男女の混浴など許されはしないのだ。


---


 カツとユウはそれぞれの兄と姉を引っ張る。


「兄ちゃん頭あらってくれよ」


 意地でもゴーグルを外さない高峰と水瀬を洗い場の椅子に座らせる。


「おいおい、今度は何だ?」


 カツがシャワーヘッドを手に取り、いたずらっぽく笑った。


「頭洗ってくれよ」


 それを見ていたユウも水瀬にシャワーで湯をかける。

 その湯が水瀬の肩、鎖骨、胸元を流れ落ちる。


「わかったよ、シャンプーよこせ」


 高峰の伸ばした手に、水瀬の体を伝った湯が溜まる。

 まろやかな湯と、かすかに混じる香り。


 高峰はその湯で顔を洗う。

 そしてまた、手で湯を受けて顔を洗う。


「ふぅ。カツどこだ? 頭あらってやるぞ」


 立ち上がった高峰に、二人はシャワーを浴びせかける。

 高峰はその雫を全身に浴びていた。


「そうだスバルさん、知ってます? 温泉のお湯って飲めるんですよ。私のいる温泉は源泉かけ流しなんですよ」


 高峰の体を伝い流れる湯にむけて、水瀬は口を開けた。

 『高峰かけ流し』の湯だ。

 眼の前に全裸で佇む男の湯を飲む。


「くんくん! へんな匂い。硫黄ですかね?」


 それから互いに弟の頭を洗うことになった。


「じっとしててね、洗ってあげる」

「お、カツ。頭洗ってくれるのか?」


 弟の細い指が高峰の頭を洗う。


「あれ? ツンツン頭だ。これは弟くんか。よしよし、優しくて綺麗なおねえさんが洗ってあげよう」

「弟さんの友達ですか?」

「そうなんです」

「俺もいま、弟に頭をあらってもらってるんですよ」

「……だったら、私が洗っていると思って下さい」

「え?」

「やさしく、丁寧にあらってますよ」


 本当に随分丁寧だ。


「ちょっと、ドキドキします」

「痒いところありませんかぁ?」


 甘い匂いがするのは、水瀬の弟が使っているシャンプーだろうか?

 そうなると、ボディソープも水瀬と同じか。


 ほのかに香るボディソープ、湿った肌の熱、吐息がかかる距離。

 まるで目の前に水瀬がいる様な気分になってきたぞ。


「はい、おしまい」


 洗髪が終わり、高峰が手探りでタオルを探した。


「おい、タオルどこだ……」

「はい兄ちゃん、タオル!」


 カツがタオルを差し出す。


「お、サンキュー」


 しかしそのタオルは——水瀬が身体を拭くのに使っていたものだった。

 高峰がタオルで顔を拭く。

 ふわりと香る、女性特有の甘い匂い。


「お、おい! 頭洗ってやるからこっち来い!」


 高峰が掴んだ手は偶然にも、アバターであるシズクの手と重なった。


「あ、いえ。弟の手を掴もうかと」

「今、私も弟に手を掴まれてます」


 その偶然に心臓が跳ね上がる。

 手を握っている……! これが『運命の同期』なのか!?


「あ、頭洗いますね」


 高峰の触れた髪は細く長い。

 これは水瀬の弟だろう。


 小学生の頭を洗いながら興奮するのは不味い。

 高峰は雑に弟の頭を洗う。

 泡を流し終えて……


「ホイ終了」


 照れ隠しで洗い終わり——弟の尻を「パンッ!」と叩いた。

 弟のくせにいい尻してんなぁ……あ、いや! そんな事はない!


「ひゃん!」


 可愛すぎる悲鳴が浴室に響いた。


「おっと、どうしました?」

「弟のいたずらですよ、もう!」


 ユウがこんな事をするはずがない。

 これは流石に高峰の弟だろう、目の前にいるはずの弟の手を掴もうとする。


 しかし、当の本人たちは全く関係ない遊びに夢中だった。


「合体技だー! ロケットパーンチ!」


 弟たちが叫んだ。

 浴室を走り回り、足を滑らせ、洗い場に座っていた二人に向かって突っ込んでくる。


 ドカーン!


 四人が将棋倒しになった。手足が絡まり合う大惨事。

 高峰が水瀬の上に覆いかぶさるように転倒する。


「イタタタ……ちょっとお前達さわぎ過ぎだぞ!」


 衝撃でVRゴーグルもズレかけている。

 流石にこれは叱らないと駄目だ。

 なぜなら、もつれたときに物凄く柔らかい何かに触れたからだ。

 水瀬弟のプリケツだろう。

 この辺りで正体が小学生男子だと再確認しておかないと、大変なことになりそうなのだ。

 すでになりつつあると言ってもいいだろう。


 高峰は立ちがる。

 その足の間には仰向けの水瀬が転がっていた。

 高峰はその上で、ゴーグルに手をかける。


 その瞬間。


「オーロラだ」


 水瀬の呟きに、高峰は天を見上げる。


 夜空が割れ、巨大な光の柱が立ち昇った。

 虹色の光のカーテンが、天を貫くように揺らめく。


 現実では——

 仰向けの水瀬が自分を跨いでる高峰を見あげていた。


「……すごい……なんて、雄大なの……」


---


 お目当てのオーロラを鑑賞することができて、二人もやっと落ち着いた。

 会話も弾む。

 互いの居場所を話すうちに、住まいが近いことが判明した。


「えっ、もしかして今、同じ温泉施設にいます?」

「マジですか!?」


 ——これはもう運命としか言いようがない!


「よ、よかったら、会いませんか!?」

「もちろんです」

「休憩スペースに畳の間があるじゃないですか。あそこで会いませんか?」


 こんな偶然があるだろうか。

 数あるVRワールドで出会い、心を通わせ、そして同じ日に同じ場所に来ていた。

 これを運命と呼ばずして何と呼ぶ。


「僕のリアルは、このアバターとあまり変わらないですよ。背も高いのですぐに分かると思います。シズクさんの特徴は?」

「私もです。すぐわかると思います」


 そう言って少しだけ胸を強調してみせた。


「君を探します」

「ふふ、気づいてくれるかな?」

「……必ず」

「どっちが先に見つけるか競争ですね」


 水瀬がいたずらっぽく笑った。


「そうだ、賭けましょうよ。先に見つけたほうが、お願いをひとつ聞いてもらえるってのはどう?」


 高峰が照れくさそうにうなずく。


「いいですね。でも、どんなお願いでもですか?」

「どんなお願いでも。約束よ?」

「約束です」


 二人がゴーグルをつけたまま浴槽を出る。

 弟に手を引かれ手探りで脱衣所を目指した。


「じゃあ、ゴーグルをせーので外して着替えたら」

「休憩スペースで先に相手を見つけたほうが勝ちですね」


「では、また後で。せーので外しましょう」

「はい。……せーので、ですね」


 脱衣所に立つ全裸の男女。

 互いのゴーグルに手がかかる。


「せーの」


 二人が同時にゴーグルを外すと現実がもどってきた。

 蛍光灯の白々しい光。

 換気扇のごうごうという唸り。

 扇風機が首を振り、湿った空気を掻き回している。

 壁には効能を書いた看板。

 水着および湯浴み着禁止のポスター。

 

 湯気と石鹸の匂い。

 明らかに弟たちは異なる人の気配。

 全裸の宿敵。


 水瀬の顔が一瞬で蒼白になり、唇が震えた。

 高峰も目を見開き、呼吸が止まった。


 そして、水瀬がその場にしゃがみ込んだ。

 膝を抱え、うつむき、動けない。


「……あ」


 その姿を見て、高峰は我に返る。

 慌ててタオルを巻き、脱衣籠から服を引っ張り出す。

 シャツを逆さまに着ようとするし、ジッパーが引っかかる。

 髪も乾かさず、靴下も片方だけ履くと二人の弟の手を引いて、脱衣場の扉を開けて飛び出していった。


 高峰は壁にもたれ、天井を見つめていた。

 髪はまだ濡れ、シャツの裾は出たまま。

 頭の中は真っ白で、何も考えられない。


 明日からどんな顔で水瀬と会えば良いのか?

 いや、もう二度と会話することも無いかもしれない。


 そのとき、影が差した。

 視線を下ろすと、そこには水瀬が立っていた。

 きちんと着替え、髪を整え、少しだけ頬を赤らめている。


 二人の間には重苦しい沈黙が流れていた。

 高峰は何を言えばいいのかわからず、水瀬もまた視線を逸らしたまま動かない。

 このままでは永遠に沈黙が続きそうだ。


 そのとき、小さなすすり泣きが響いた。


「……うぅ」


 ユウが涙を浮かべていた。

 頬を伝う涙を見て、高峰と水瀬は我に返る。


「ユウくん、どうしたの!?」

「ユウ、大丈夫か!?」


 二人が慌てて声をかけると、ユウは泣きながら言った。


「……ごめんなさい……僕のせいで……お姉ちゃんと昇くんが……ケンカしちゃった」


 ユウは自分が原因で二人が険悪になったと思い込んでいた。


「違うよ、ユウくんのせいじゃない」

「そうだ、ユウは悪くない」


 二人は慌ててユウをなだめた。

 この状況で子供を泣かせてしまった罪悪感が、二人の胸を締め付ける。


「おー、ユウくん泣かせた」


 フルーツ牛乳を手に、呑気な顔でカツが現れた。

 兄の危機的状況など知る由もなく、のんびりと飲み物を買ってきたのだろう。


「カッくん……僕、悪い子になっちゃった……」

「えー、ユウくんが悪いわけないじゃん」


 カツはユウの頭をポンポンと撫でる。

 そして、ユウの耳元に口を寄せて、何かヒソヒソと囁いた。


「……本当?」


 ユウが涙を拭いて、カツを見上げる。


「うん、だからさ」


 カツがニヤリと笑った。

 その笑顔に、何か悪巧みの匂いを感じるのは気のせいだろうか。

 ユウは立ち上がり、高峰と水瀬の前に歩み寄った。


「みーつけた」


 突然の宣言に、二人はきょとんとした。


「……え?」

「ユウくん、何を?」


 カツが得意げに説明する。


「ユウくんが先に見つけたから、ユウくんの勝ちだよ!」

「見つける……?」


 高峰が首を傾げる。

 水瀬も同じように首を傾げた。


 そのとき、二人の脳裏にフラッシュバックが走る。

 休憩スペースで会う約束。先に見つけたほうが勝ち。お願いをひとつ聞いてもらえる約束。


「……あ」

「……そうか」


 二人は同時に顔を上げた。

 ユウは既に二人を見つけていた。つまり、ユウの勝ちだ。


「ユウくんの勝ちだから、お願いを聞いてもらえるんだよね?」


 カツが確認するように言う。

 高峰と水瀬は顔を見合わせた。


「……ケンカは嫌だから……僕のお願いを聞いて」

「そうだな、約束は約束だ」

「ええ、約束は守らないと」


 こんな仲裁も悪くないかもしれない。

 二人はそう思った。子供の純粋な願いなら、聞いてあげてもいいだろう。

 今日は弟たちに振り回されてばかりだったが、最後くらいは優しい兄と姉でいよう。


「わかったよ、ユウくんの勝ちだから何でもお願いしていいよ」

「そうね、どんなお願いでも聞いてあげる」


 水瀬が優しく微笑む。


「……本当?」

「本当だよ」

「絶対だからね?」


 解決したような空気が流れる。

 二人は少しだけ肩の力を抜いた。

 これで一件落着。ユウも泣き止んだし、平和に終われそうだ。


 そのとき、カツが何かを取り出した。


「はいこれ」


 見たことのある紙切れ。

 高峰と水瀬の目が、その紙切れに釘付けになる。


「……まさか」


 カツが差し出すのは、家族風呂の予約券だった。

 時間は今から二時間。

 水瀬の後の時間をカツが予約していたのだ。


「僕とカックンもVRでお風呂に入りたい」


 ユウがそう言うと、カツが続けた。


「約束だから、絶対だよね?」


 二人は言葉を失った。

 まさか、ここで待っていたとは。


「わーい!」


 弟たちは手を繋いで、家族風呂の扉を開けて飛び込んでいく。

 高峰と水瀬は慌てて追いかけた。


「ちょっと待て!」

「ユウ、カツくん!」


 しかし、弟たちは既に浴室の中に消えていた。

 二人は仕方なく、家族風呂の中へと入っていく。


 閉じられた引き戸。

 壁には効能を書いた看板。

 そして、水着および湯浴み着禁止のポスター。


 また、ここから始まるのだ。


(了)

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VR温泉で健全デート中、現実では宿敵と全裸で混浴中 長田桂陣 @keijin-osada

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