密室の遺言状
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密室の遺言状
第一章 死者からの招待
十二月の寒い夜、私は一通の手紙を受け取った。
差出人は、三ヶ月前に他界したはずの叔父、桐生総一郎だった。
封筒には確かに叔父の筆跡で私の名前が書かれており、消印は叔父の命日の前日。つまり、叔父は死の直前にこの手紙を投函したことになる。
『親愛なる甥、柊一馬へ
突然の手紙で驚かせて申し訳ない。この手紙が君の元に届く頃、私はもうこの世にいないだろう。
私は殺される。犯人は、私の遺産を狙う者の中にいる。
十二月二十四日、クリスマスイブの夜八時、私の山荘に来てほしい。そこで真実を知ることになる。他の相続人たちにも同様の手紙を送った。
必ず来てくれ。君だけが、この謎を解ける。
桐生総一郎』
私は推理作家だ。叔父はそれを知っていて、この奇妙な招待状を送ってきたのだろう。
十二月二十四日、午後七時。私は雪に閉ざされた山道を車で登っていた。
桐生山荘は、山奥の森の中にある洋館だ。叔父が晩年を過ごした場所で、三ヶ月前、この館で心臓発作により死亡したとされている。
玄関に着くと、すでに五人の客が到着していた。
「やあ、一馬くん。久しぶりだね」
声をかけてきたのは、叔父の元秘書、真田俊介だった。四十代半ば、眼鏡をかけた神経質そうな男だ。
「真田さん。他の方々は?」
「全員、手紙を受け取って来たようだよ」
リビングには、私を含めて六人が集まっていた。
真田俊介、叔父の秘書。遺産の一部を遺贈される予定。
桐生麗子、叔父の姪で私の従姉。三十代前半の美人だが、冷たい性格で知られている。
天野修一、叔父の主治医。五十代の温厚そうな男性。
黒木律子、叔父の家政婦。六十代の無口な女性。
佐々木健太、叔父の会社の元部下。三十代の野心家。
そして私、柊一馬。叔父の甥で推理作家。
「それで、なぜ私たちはここに呼ばれたんですか?」佐々木が苛立った様子で言った。「桐生さんはもう亡くなっているのに」
その時、古い振り子時計が八時を告げた。
すると、リビングの大型テレビが突然点いた。
画面には、叔父の姿が映し出された。これは、録画映像だ。
『皆さん、お集まりいただきありがとうございます。私、桐生総一郎は、三ヶ月前に死にました』
叔父の声が、静かに響く。
『しかし、私の死は自然死ではありません。殺されたのです。この中の誰かに』
「何ですって!?」麗子が叫んだ。
『私は、自分が殺されることを予見していました。だから、この映像を残したのです。そして、真実を暴くための仕掛けを用意しました』
画面の中の叔父が、こちらを見つめる。
『この館のどこかに、私は遺言状を隠しました。その遺言状には、犯人の名前が記されています。それを見つけた者に、私の全財産を譲ります』
ざわめきが広がる。
『ただし、条件があります。遺言状は密室の中に隠されています。そして、その部屋に入れるのは、真実を見抜いた者だけです』
『柊一馬。甥よ、君に頼みます。この謎を解き、犯人を暴いてください』
画面が暗転した瞬間、館の全ての電気が消えた。
第二章 密室の謎
悲鳴が上がる。数秒後、電気が復旧した。
だが、一人いなくなっていた。
家政婦の黒木律子が、姿を消していた。
「黒木さん!」真田が叫ぶ。
全員で館内を探した。そして、二階の書斎の前で、私たちは異様な光景を目にした。
書斎のドアが、内側から鍵がかけられている。
「黒木さん、中にいるんですか!」
応答はない。佐々木が体当たりでドアを破ろうとするが、頑丈な扉は微動だにしない。
「窓から!」
庭に回り、書斎の窓を確認する。だが、窓は内側から施錠されており、カーテンが閉まっていて中が見えない。
しかも、雪が積もった地面には、一切の足跡がなかった。
「これは、完全な密室だ」私は呟いた。
「どういうことですか?」天野医師が尋ねる。
「黒木さんは、この密室の中にいる。しかし、外からは入れない。窓の外には足跡がなく、ドアは内側から施錠されている」
「まさか、叔父様の言っていた密室とは......」麗子が震える声で言った。
その時、書斎のドアの下から、一枚の紙が滑り出てきた。
私はそれを拾い上げた。
『遺言状は、この部屋にある。入るためには、三つの謎を解け』
そして、三つの文章が記されていた。
『一、最初に疑われる者は、最後に疑うべし』
『二、時計の針が示すのは、時間ではなく方向』
『三、死者は嘘をつかないが、生者は嘘をつく』
「これは......叔父からの謎かけか」
真田が眉をひそめた。
「しかし、黒木さんはどうなったんです? 中にいるなら、返事があるはずでは」
私は書斎のドアに耳を当てた。
中から、かすかな音が聞こえる。何か、規則的な音だ。
「時計の音......?」
その時、麗子が叫んだ。
「あれを見て!」
彼女が指差す先、リビングの振り子時計の針が、通常とは逆方向に回り始めていた。
『時計の針が示すのは、時間ではなく方向』
「そういうことか」私は理解した。「この時計は、何かの方向を指し示している」
時計の針が止まった。それが指す方向は、書斎とは反対側、一階の地下室への入り口だった。
「地下室に何かあるのか?」
全員で地下室へ向かう。そこは、叔父のワインセラーだった。
暗い地下室の中、私は壁に貼られた一枚のメモを見つけた。
『最初に疑われる者は、最後に疑うべし。犯人は、最も疑われない人物だ』
「つまり......」佐々木が言った。「この中で、最も疑われない人物が犯人?」
天野医師が首を振った。
「しかし、それでは範囲が広すぎる」
その時、私の目に、地下室の隅に置かれた古い写真立てが留まった。
写真には、十年前の叔父と、若き日の黒木律子、そして見知らぬ少女が写っていた。
「この少女は......?」
真田が答えた。
「黒木さんの娘さんです。十年前に亡くなったと聞いています」
「どうやって?」
「事故死だったはずです」
私の脳裏に、一つの推理が浮かんだ。
「もしかして、その事故に叔父が関わっていた?」
真田の沈黙が、答えだった。
「そういうことですか。だから黒木さんは、復讐のために......」
「待ってください」天野医師が割って入った。「しかし、黒木さんは今、密室の中にいるんですよ。彼女が犯人だとしても、どうやって密室に?」
その瞬間、地下室の天井から、何かが落ちてきた。
第三章 交錯する証言
落ちてきたのは、古い日記帳だった。
叔父の日記だ。最後のページには、死の前日の日付が記されていた。
『十二月二十一日
ついに、真実を告白する時が来た。十年前、私は取り返しのつかない過ちを犯した。
黒木の娘、美咲を事故死させたのは、私だ。
当時、私は飲酒運転をしていた。美咲は、偶然道路に飛び出してきた。私は、彼女を轢いてしまった。
そして、私は逃げた。
黒木は真実を知らない。警察は事故として処理した。だが、私は十年間、この罪を背負って生きてきた。
そして今、私は報いを受ける。
黒木が、真実に気づいたようだ。彼女の目に、殺意を見た。
私は、もうすぐ殺されるだろう。
だが、私は逃げない。これは、私の罰だ。
ただ、真実だけは残したい。この日記を、一馬に託す』
日記を読み終えた私は、深い溜息をついた。
「つまり、黒木さんは復讐のために叔父を殺した。そして、密室に閉じこもることで、自分の罪を隠そうとしている」
「しかし」麗子が言った。「それなら、なぜ私たちをここに呼んだの? 叔父様が犯人を暴くための仕掛けを用意した意味が分からないわ」
確かに、矛盾がある。
叔父は自分が殺されることを予見していた。そして、犯人を暴くための謎を用意した。
だが、日記には「これは私の罰だ」と書かれている。矛盾している。
「待てよ......」
私は、もう一度日記を読み返した。
そして、ある一点に気づいた。
日記の日付は十二月二十一日。だが、叔父が死んだのは十二月二十四日だ。
つまり、叔父はこの日記を書いた後、三日間生きていた。
その三日間で、何があったのか。
「真田さん、叔父の死の状況を詳しく教えてください」
真田は少し考えてから、話し始めた。
「桐生さんは、十二月二十四日の朝、この書斎で死んでいるのを発見されました。死因は心臓発作。遺体の状況から、前夜に亡くなったと推定されています」
「発見したのは?」
「黒木さんです」
全ての状況が、黒木律子を犯人として指し示している。
だが、何かがおかしい。
『死者は嘘をつかないが、生者は嘘をつく』
叔父のメッセージの意味は何だ?
その時、佐々木が突然叫んだ。
「あの、黒木さんはまだ書斎に閉じこもっているんですよね? もしかして、中で何か起きているんじゃ......」
私たちは急いで二階へ戻った。
書斎のドアは、相変わらず施錠されたまま。
「黒木さん! 返事をしてください!」
応答はない。
天野医師が言った。
「ドアを壊すしかありません」
佐々木と真田が協力して、何度もドアに体当たりする。そして、ついにドアの蝶番が外れ、ドアが倒れた。
書斎の中に入ると、そこには――
誰もいなかった。
第四章 消えた家政婦
密室の書斎は、完全に無人だった。
「そんな馬鹿な!」佐々木が叫ぶ。
窓は施錠されたまま、天井にも床にも隠し扉の類は見当たらない。
「黒木さんは、一体どこへ?」
麗子が震えている。
私は冷静に部屋を調べた。書斎は広く、壁一面に本棚が並んでいる。叔父の趣味だった古書が、整然と並べられている。
机の上には、封筒が一つ置かれていた。
封筒には、『柊一馬へ』と書かれている。
中身を確認すると、一枚の紙が入っていた。
『よくここまで来たね、一馬。
さあ、最後の謎を解く時だ。
黒木律子は、本当に存在したのか?
答えは、あなたの記憶の中にある』
「どういうこと?」真田が尋ねる。
私は深呼吸をして、記憶を辿った。
黒木律子。今夜、確かに会った。リビングで、彼女は無口に立っていた。
だが、待てよ。
彼女と、私は言葉を交わしたか?
いや、交わしていない。
彼女が話すのを聞いたか?
いや、聞いていない。
「まさか......」
私は全員を見渡した。
「皆さん、黒木さんと会話をしましたか?」
全員が首を横に振った。
「そんな......じゃあ、黒木さんは本当にいたの?」麗子が混乱している。
「いた」私は断言した。「だが、『黒木律子』としていたわけではない」
「どういう意味ですか?」天野医師が尋ねる。
私は、全ての点が線になるのを感じた。
「この密室には、最初から誰もいなかった。黒木さんが消えたのではなく、『黒木律子という人物がこの場にいるという錯覚』を、私たちは見せられていたんです」
「しかし、私たちは確かに彼女を見た!」佐々木が反論する。
「見たのは、黒木さんに『似た人物』です。暗いリビング、突然の停電、そして私たちの思い込み。それらが重なって、私たちは『黒木律子がいる』と信じ込んでいた」
真田が顔色を変えた。
「まさか......」
「そうです。黒木律子を演じていた人物が、この中にいる」
私は、一人の人物を見つめた。
「麗子さん、あなただ」
麗子の顔から血の気が引いた。
「何を言っているの、一馬。私が黒木さんを演じるなんて——」
「演じる必要はなかった。ただ、私たちに『黒木律子がいる』と思い込ませればよかった。暗闇と混乱の中で、それは可能だった」
「証拠は?」
「証拠は、あなたの行動です。停電の瞬間、あなたは黒木さんの服を着て、私たちの前に姿を見せなかった。電気が復旧した時、あなたは元の服に戻っていた」
「それだけで私が犯人だと?」
「いいえ」私は首を振った。「あなたは犯人ではない。共犯者だ」
そして、私は真実を告げた。
第五章 真実の遺言
「この事件の真犯人は、すでに死んでいる」
私の言葉に、全員が凍りついた。
「真犯人は、桐生総一郎。私の叔父本人です」
「馬鹿な!」真田が叫ぶ。「桐生さんは被害者でしょう!」
「いいえ。叔父は、自分で自分を殺したんです。計画的な自殺です」
私は、推理を展開した。
「十年前、叔父は黒木さんの娘を事故で死なせた。その罪に苦しんだ叔父は、黒木さんに復讐される形で死ぬことを望んだ。だが、黒木さんは復讐などしなかった。彼女は、叔父を許していたんです」
天野医師が頷いた。
「そういえば、黒木さんは非常に温厚な方でした」
「だからこそ、叔父は苦しんだ。許されることが、彼にとっては最大の罰だった。そして、叔父は決断した。自分で罰を作り出すことを」
私は、書斎の本棚を指差した。
「この本棚の配置を見てください。不自然に隙間がある」
佐々木が本棚を調べると、裏に隠し部屋があった。
小さな部屋の中には、黒木律子の遺体があった。
彼女は、穏やかな表情で眠っているようだった。
「黒木さんは、二ヶ月前に病死していたんです」天野医師が検死して告げた。「おそらく、病気を苦にして......」
「そして、叔父は黒木さんの死を隠蔽した」私は続けた。「彼女の遺体をこの隠し部屋に安置し、自分が『黒木さんに殺される』という物語を作り上げた」
「なぜ、そんなことを?」
「贖罪です。叔父は、黒木さんの娘を死なせた罪を、黒木さん本人に復讐される形で贖いたかった。だが、現実の黒木さんは彼を許し、そして病死した。だから、叔父は『架空の復讐劇』を演出したんです」
真田が呟いた。
「では、私たちが今夜見た黒木さんは......」
「麗子さんが演じていた。正確には、麗子さんは叔父の依頼で、黒木さんの『代役』を演じていた」
麗子が、ついに告白した。
「そうよ......叔父様から頼まれたの。『クリスマスイブの夜、黒木さんの服を着て、ただ立っていてほしい。そして停電の瞬間に姿を消してほしい』と」
「あなたは、叔父が何を企んでいるか知らなかった」
「ええ。ただ、遺産のために従っただけ。まさか、こんなことになるなんて」
私は、書斎の机の引き出しを開けた。
そこには、本物の遺言状があった。
『私、桐生総一郎は、自らの意思で命を絶つ。
これは誰のせいでもない。ただ、私自身の罪の重さに耐えられなかっただけだ。
黒木律子さん、あなたの娘を死なせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
そして、この物語を解き明かしてくれた一馬へ。
ありがとう。君は、私が望んだ通り、真実を暴いてくれた。
私の全財産は、黒木美咲さんの慰霊のために使ってほしい。
そして、どうか私を許さないでほしい。私は、許されるべきではない』
遺言状を読み終えた私は、深い虚無感に襲われた。
「叔父は、最後まで罪に苦しんでいたんですね」天野医師が呟いた。
「ええ。そして、自分を罰するために、この壮大な密室劇を演出した」
麗子が涙を流していた。
「叔父様......」
私たちは、黒木律子の遺体を丁重に運び出し、警察に通報した。
後日、叔父と黒木さんは、並んで埋葬された。墓石には、黒木美咲の名前も刻まれた。
エピローグ
春が来た。
私は、叔父の山荘を訪れていた。
遺産は全て、慈善団体に寄付された。この山荘だけが、私の元に残された。
書斎で、私は新しい小説を書き始めた。
タイトルは、『密室の遺言状』。
叔父の物語を、フィクションとして世に問う。
「叔父さん、あなたの罪は、本当に許されないものだったのでしょうか」
窓の外、桜が咲いている。
叔父が愛した景色だ。
私は、ペンを走らせ続けた。
罪と罰。許しと贖罪。
それらのテーマを、物語に込めて。
これは、一人の男の贖罪の記録。そして、真実を求めた者たちの物語。
密室は、解かれた。
だが、心の密室は、まだ閉ざされたままかもしれない。
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