闇喰らいの代償

@raputarou

闇喰らいの代償

第一章 贖罪の始まり


雨が降っていた。


いつも雨が降っている。この呪われた街、ノクスヴィルには太陽が昇らない。三十年前の大災厄以来、空は灰色の雲に覆われ、絶え間ない雨が街を腐らせ続けている。


俺の名前はカイン・アッシュフォード。かつては王国騎士団の一員だったが、今は「闇喰らい」と呼ばれる存在だ。


闇喰らい。人の罪を喰らい、その罰を代わりに受ける者。


街の片隅にある俺の小屋に、今日も客が訪れた。


「あなたが、闇喰らいですか」


震える声。扉の前に立っていたのは、二十代半ばの女性だった。濡れた黒髪が顔に張り付き、青白い顔には絶望が刻まれている。


「依頼なら、対価を支払える者だけだ」


「お金なら」彼女は震える手で革袋を差し出した。「これが全財産です。お願いします、私の罪を喰らってください」


革袋の中身は、わずかな銀貨が数枚。だが、彼女の目には本物の絶望があった。


「入れ」


部屋に招き入れると、彼女は名乗った。エレナ・クロウ。かつて医師として働いていたが、三ヶ月前に患者を死なせてしまったという。


「医療ミスでした。私の判断が遅れて......十歳の少女が死んだんです」


彼女の声は涙に震えていた。


「それ以来、眠れないんです。少女の母親に呪われ、街中で罵られ......もう、生きていけない」


「その罪を、俺に喰わせたいのか」


「はい」エレナは深く頭を下げた。「お願いします」


俺は彼女の額に手を当てた。


闇喰らいの儀式。それは、相手の記憶に潜り込み、その罪の重さを自分の魂に刻み込むことだ。


視界が暗転し、俺はエレナの記憶の中に入り込んだ。


病院のベッド。苦しそうに呼吸する少女。エレナの焦り。判断の遅れ。そして、少女の最期の瞬間。


母親の絶叫。「あんたが殺したのよ!」


罪の重さが、俺の胸に突き刺さる。


だが、その時だった。


記憶の奥に、何か違和感を感じた。少女の死の瞬間、影のようなものが少女の体から抜け出ていく。まるで、何かに引き抜かれたように。


「これは......」


記憶から抜け出すと、エレナは安堵の表情で座り込んでいた。


「ありがとうございます......楽になりました」


罪を喰らった俺の体には、鈍い痛みが走る。これが代償だ。他人の罪を背負い、その罰を受ける。


だが、俺の心には疑問が残った。


あの影は、何だったのか。


エレナが去った後、俺はもう一人の客を迎えた。


「カイン、久しぶりだな」


その声に、俺は顔を上げた。


銀髪に赤い瞳。長い黒衣を纏った男。かつての戦友、ルシアン・グレイだった。


「ルシアン......お前、なぜここに」


「お前に頼みがある」彼は真剣な表情で言った。「街で連続殺人が起きている。被害者は全員、闇喰らいに罪を喰わせた者たちだ」


俺の背筋に冷たいものが走った。


「まさか......」


「ああ。お前の客も、狙われているかもしれない」


その時、外から悲鳴が聞こえた。




第二章 連鎖する死


悲鳴の方向へ走ると、路地裏に人だかりができていた。


人々の隙間から見えたのは、地面に倒れた女性の死体。


エレナだった。


彼女の体には無数の黒い痣が浮かび上がり、目は見開かれたまま固まっている。まるで、何か恐ろしいものを見たかのように。


「これで七人目だ」


ルシアンが低く呟いた。


「全員、闇喰らいに罪を喰わせてから一週間以内に死んでいる。死因は不明。検死しても、外傷も毒物も検出されない」


俺は拳を握り締めた。


「なぜ、もっと早く教えなかった」


「教えたところで、どうする? お前は闇喰らいをやめるのか?」


答えられなかった。闇喰らいをやめれば、俺は生きていけない。これが、俺の贖罪だからだ。


「調査に協力しろ、カイン。お前の記録がないと、被害者の特定もできない」


俺はルシアンと共に、街の治安局へ向かった。


治安局長のマーカス・ブラックウェルは、五十代の渋い男だった。顔には無数の傷跡があり、かつて魔物討伐隊の隊長だったという。


「カイン・アッシュフォード、お前の協力が必要だ」


マーカスは机の上に、七つの写真を並べた。全て、闇喰らいに罪を喰わせた後に死んだ者たちだ。


「共通点は何だと思う?」


俺は写真を見つめた。年齢も性別もバラバラ。職業も、罪の内容も異なる。


だが、一つだけ共通点があった。


「全員、俺が記憶の中で『影』を見た相手だ」


「影?」ルシアンが聞き返した。


「ああ。罪の記憶の奥に、何か黒い影のようなものが見えた。まるで、魂を引き抜くように」


マーカスとルシアンが顔を見合わせた。


「それは......『魂喰らい』かもしれない」


「魂喰らい?」


マーカスが古い書物を取り出した。


「三十年前の大災厄で現れた、禁忌の存在だ。人間の魂を喰らい、その生命力を奪う。伝説では、魂喰らいは一度喰らった魂の持ち主を追跡し、完全に魂を喰い尽くすまで追い続けるという」


背筋が凍った。


「つまり、闇喰らいに罪を喰わせた者は、魂喰らいに狙われる?」


「その可能性が高い。お前が罪を喰らう時、相手の魂に干渉する。その際、魂喰らいが相手の魂に『印』をつけているのかもしれない」


ルシアンが俺を見つめた。


「カイン、お前は無意識のうちに、魂喰らいの手先になっていたんだ」


言葉が出なかった。


俺が救おうとした人々を、俺が死に追いやっていた。


「どうすればいい......」


「魂喰らいを倒すしかない」マーカスは立ち上がった。「だが、問題がある。魂喰らいは人間に擬態する。お前の記憶を辿れば、魂喰らいの正体を突き止められるかもしれない」


その時、扉が開いた。


入ってきたのは、治安局の副長、サラ・ホワイトだった。金髪をポニーテールにした、鋭い目つきの女性だ。


「局長、新たな情報です。目撃者が現れました」


「誰だ?」


「街の占い師、マダム・イヴリンです。彼女が、魂喰らいらしき存在を見たと」


俺たちは急いで、イヴリンの元へ向かった。


彼女の占いの館は、街の中心部にあった。紫の布で覆われた室内には、怪しげな香りが漂っている。


「ようこそ、闇喰らい」


イヴリンは、六十代の痩せた女性だった。白髪に深い皺、そして濁った目。だが、その目は何かを見透かすような鋭さがあった。


「あなたが見たという魂喰らいについて、教えてください」


「ああ、見たとも。三日前の夜、路地裏で黒い影が人の魂を喰らっているのを」


「その影の特徴は?」


「人の姿をしていたわ。でも、顔は見えなかった。ただ......」


イヴリンは俺を見つめた。


「その影は、あなたの小屋の方向へ歩いて行ったのよ」


全員の視線が、俺に集中した。




第三章 疑惑の渦


「待て、俺じゃない」


必死に否定する。だが、マーカスの目には疑念が浮かんでいた。


「カイン、お前が闇喰らいになったのは、いつだ?」


「三年前だ。お前たちも知っているだろう」


三年前、俺は王国騎士団で任務中に仲間を見殺しにした。その罪に耐えられず、俺は闇喰らいになることを選んだ。他人の罪を背負うことで、自分の罪を贖おうとした。


「だが、連続殺人が始まったのも三年前だ」サラが冷たく言った。「最初の被害者は記録されていないが、お前が闇喰らいになった直後から、不審な死が報告されている」


「偶然だ」


「偶然にしては、一致しすぎている」


ルシアンが間に入った。


「待て。カインを疑う前に、他の可能性も考えろ。魂喰らいが彼を利用している可能性もある」


「それを確かめる方法がある」


マーカスが言った。


「カイン、お前の記憶を全て見せろ。この三年間、お前が喰らった全ての罪の記憶だ。そこに魂喰らいの正体が隠れているはずだ」


記憶を見せる。それは、闇喰らいにとって最大の禁忌だった。他人の罪を背負う者が、その秘密を漏らすことは許されない。


だが、俺には選択肢がなかった。


「わかった。だが、一人だけだ。ルシアン、お前が見ろ」


「カイン......」


「お前なら、信じられる」


俺はルシアンの額に手を当て、自分の記憶を開いた。


三年間の記憶が、奔流となって流れ込む。


殺人者の罪、詐欺師の罪、裏切り者の罪。無数の罪が、俺の魂に刻まれている。


そして、その全ての記憶の奥に、あの黒い影があった。


ルシアンが記憶から抜け出すと、彼の顔は青ざめていた。


「カイン......お前、気づいていなかったのか」


「何を?」


「その影は......お前の中にいる」


言葉の意味が理解できなかった。


「どういうことだ?」


「お前が罪を喰らう時、その罪の一部がお前の中に残る。その罪が積み重なって、お前の中に『影』を作り出している。それが、魂喰らいの本体だ」


衝撃が走った。


「つまり、俺自身が魂喰らいだと?」


「正確には、お前の中に魂喰らいが宿っている。お前が罪を喰らうたびに、魂喰らいは成長し、お前の客を狙っている」


マダム・イヴリンが頷いた。


「その通りよ。闇喰らいは、禁忌の業。他人の罪を喰らえば、いつかその罪に飲み込まれる。あなたは、自分の贖罪のために、怪物になりつつあるのよ」


俺は膝から崩れ落ちた。


「じゃあ、俺が......俺が、エレナを殺したのか......」


誰も答えなかった。その沈黙が、全てを物語っていた。


サラが剣を抜いた。


「カイン・アッシュフォード、魂喰らいの容疑で拘束する」


「待て!」ルシアンが制止した。「まだ方法がある。魂喰らいを分離すれば——」


「分離? そんな方法があるのか?」


イヴリンが立ち上がった。


「あるわ。だが、代償は大きい」


「何だ、言え!」


「あなたの魂を、一度完全に砕く必要がある。そして、魂喰らいだけを取り除き、残った魂の欠片を再構築する。成功率は......三割程度ね」


七割の確率で死ぬ。


だが、このままでは俺は怪物になる。


「やろう」


「カイン!」ルシアンが叫んだ。


「他に方法はない。これ以上、俺のせいで人が死ぬのは嫌だ」


マーカスが頷いた。


「儀式の準備をしろ。今夜、決行する」


その時、窓ガラスが割れた。


黒い影が、部屋に侵入してくる。


それは、人の形をしているようで、しかし輪郭が定まらない。まるで煙のような存在。


「魂喰らい!」サラが叫んだ。


影は俺に向かって伸びてきた。


そして、俺の体に触れた瞬間、意識が闇に沈んだ。




第四章 魂の深淵


目を覚ますと、俺は暗闇の中にいた。


いや、暗闇ではない。無数の記憶の断片が、周囲を漂っている。


これは、俺の魂の内部だ。


「ようやく会えたな、カイン・アッシュフォード」


声が響く。振り向くと、そこには俺と同じ姿をした存在が立っていた。


ただ、その目は真っ黒で、全身から黒い霧が立ち上っている。


「お前が、魂喰らいか」


「そう呼ばれているな。だが、俺はお前自身でもある」


影が一歩近づく。


「お前が喰らった罪、背負った罰。それら全てが俺を作り出した。お前の贖罪が、俺という怪物を生み出したんだ」


「なぜ、俺の客を殺す」


「殺している? 違うな」影は笑った。「俺は、罪を完全に喰らっているだけだ。お前が中途半端に罪を喰らうから、罪人の魂に傷が残る。その傷から、俺は魂を喰らい尽くしている」


「中途半端?」


「お前は、他人の罪を喰らいながら、自分の罪からは目を背けている。三年前、お前が見殺しにした仲間のことだ」


胸を突き刺す言葉。


三年前、魔物討伐の任務中、俺は仲間を見殺しにした。正確には、自分が生き延びるために、仲間を囮にした。


その仲間の名前は、エリック・マーロウ。俺の親友だった。


「お前は、その罪から逃げるために闇喰らいになった。他人の罪を背負えば、自分の罪が軽くなると思ったんだろう? だが、違う。お前の罪は、一つも消えていない」


影の言葉が、俺の心を抉る。


「お前が本当に贖罪したいなら、自分の罪と向き合え。エリックの死を、正面から受け止めろ」


「できるわけがない......」


「できないなら、お前は永遠に怪物のままだ。そして、お前の客を喰い続ける」


暗闇の中で、俺は膝をついた。


「俺は......弱い。エリックを見殺しにして、その罪に耐えられなくて、逃げた。闇喰らいになることで、自分を誤魔化した」


涙が溢れた。


「ごめんな、エリック。俺は、お前を救えなかった。いや、救わなかった。お前を犠牲にして、俺は生き延びた」


記憶が蘇る。


魔物に囲まれた洞窟。逃げ道は一つ。だが、二人では通れない。


「カイン、お前が行け」


エリックの最期の言葉。


「俺が時間を稼ぐ。お前は生きろ」


俺は、エリックを置いて逃げた。


後ろから聞こえる、エリックの断末魔。


そして、俺は生き残った。


「許してくれとは言わない。でも......」


俺は顔を上げた。


「エリックの分まで、俺は生きる。そして、本当の意味で罪を背負う。逃げずに、向き合う」


影が、ゆっくりと笑った。


「ようやく、自分の罪を認めたか」


影の体が、光に変わり始めた。


「お前が自分の罪を受け入れた時、俺は消える。俺は、お前の逃避が生み出した幻影に過ぎないからな」


「待て、お前が消えたら——」


「お前の客は救われる。だが、お前は全ての罪を一人で背負うことになる。それでもいいのか?」


俺は頷いた。


「それが、俺の贖罪だ」


影が完全に光に変わり、俺の体に吸収されていく。


膨大な痛みが、全身を貫いた。




第五章 贖罪の果て


目を覚ますと、俺はイヴリンの館にいた。


周囲には、ルシアン、マーカス、サラ、そしてイヴリンの顔があった。


「カイン! 無事か!」ルシアンが駆け寄る。


「ああ......何とかな」


体中が痛む。全ての罪を背負った代償だ。


「魂喰らいは?」マーカスが尋ねた。


「消えた。もう、誰も殺されることはない」


安堵の表情が広がる。だが、俺の胸の痛みは消えなかった。


「だが、俺が背負った罪は消えない。これから、俺はその罰を受け続ける」


イヴリンが頷いた。


「それが、真の闇喰らいよ。罪を喰らい、罰を受け、それでも生き続ける。あなたは、本物の贖罪者になったわ」


サラが剣を鞘に収めた。


「カイン・アッシュフォード、お前を釈放する。だが、今後は治安局の監視下に置く」


「構わない」


ルシアンが肩を叩いた。


「よく戻ってきたな、相棒」


「まだ、戻ってはいない。これからが、本当の贖罪だ」


その夜、俺は一人で街を歩いた。


雨が降り続いている。この街の雨は、俺の涙のようだ。


エリックの墓の前に立つ。


「エリック、俺はまだ生きている。お前の分まで、罪を背負って生きる」


墓石に手を当てる。


「許してくれとは言わない。でも、忘れない。お前のこと、お前の死、俺の罪。全部、忘れない」


風が吹いた。


まるで、エリックが答えているかのように。


翌日、俺の小屋に新しい客が訪れた。


「闇喰らいさん......私の罪を、喰ってくれますか」


若い男だった。目には絶望と、かすかな希望が宿っている。


「代償は重いぞ。お前も、俺も」


「それでも......お願いします」


俺は男の額に手を当てた。


罪の記憶が流れ込む。だが、今度は違う。俺は逃げない。全てを受け止める。


痛みが全身を走る。だが、俺は耐える。


これが、俺の贖罪だ。


儀式が終わると、男は涙を流して感謝した。


「ありがとうございます......」


男が去った後、俺は窓の外を見つめた。


雨は降り続いている。


だが、遠くの空に、わずかに光が差し込んでいた。


「いつか、この雨も止むのかもしれないな」


俺は小さく呟いた。


体中の痛みは消えない。背負った罪の重さは、日に日に増していく。


だが、俺は生きる。


エリックの分まで。全ての罪人の分まで。


これが、闇喰らいカイン・アッシュフォードの、終わらない贖罪の物語。


街の片隅で、俺は今日も罪を喰らう。


暗闇の中で、ただ一人。




数週間後


治安局の報告書には、こう記されている。


「闇喰らいカイン・アッシュフォードによる被害者は、以降発生せず。彼の活動は継続を許可するが、厳重な監視を続ける。なお、彼が背負った罪の総量は、人間の限界を超えつつある。余命は、おそらく一年以内」


マーカスはその報告書を引き出しに仕舞い込んだ。


「カイン......お前は、本当に英雄だったよ」


窓の外では、雨が降り続けていた。


だが、空の一角だけ、雲が薄くなっている。


まるで、誰かの贖罪が、世界を少しだけ浄化したかのように。


街の片隅の小屋で、カインは今日も客を待っている。


罪を喰らうために。


罰を受けるために。


そして、生き続けるために。


暗闇の中で、ただ一人。

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