第05話 国を捨てる覚悟

「家族と一緒なら、どこでもいいです」


 その何気ない言葉に、室内の空気が少しだけ和らいだ。

 剣を震わせていた父親のグレイスの肩が静かに落ち、眉間に皺を寄せていた兄であるアレクの表情にも、かすかな安堵が浮かぶ。

 レイリアのこういうところ――飄々としていてどこか達観していて、けれど家族には真っすぐなその在り方が、きっとこの家族をつないでいるのだろう。


 それからの数日は、まさに嵐のようだった。


 急な出立にもかかわらず、荷造りは驚くほどの速さで進めら、エルヴァーン家の使用人たちは何も言わずにその意思を理解していた。

 レイリアも荷物は最小限。戦闘用の衣服と、旅先でも快適に眠れるようにと持っていくふかふかの枕だけ。


(……次の国でも、昼寝できるといいな)


 そんな呑気なことを考えながら、彼女は屋敷の扉を最後に振り返る。

 数えきれない日々を過ごした家。でも、不思議と心に未練はなかった。

 なぜなら――ここには、【大切なもの】はちゃんと連れていくのだから。


 そして出発の日――エルヴァーン家を乗せた馬車が静かに王都の石畳を進み出す。

 カーテンの隙間から、遠ざかっていく王城の塔が見えた。

 かつての婚約者と、その取り巻きたちが住む場所。何もかもが、レイリアにとってもう過去のことだった。

 レイリアはそれを、ただ一度だけ見て――そして、目を閉じる。


(……もう、どうでもいい)


 心の中で、そう呟き、旅立ちの鼓動に揺られながら彼女は静かに背もたれへ身体を預けたのだった。


   ▽ ▽ ▽


 ――その頃、王都の城内。ディオン・アークフェンの執務室は昼下がりの光に照らされていた。

 部屋の中には、彼と新しい婚約者であるミラ・コルネリアの姿があった。


「やっぱり、言い過ぎだったんじゃないですか? レイリア様に、あんな言い方……」


 ミラが、申し訳なさそうに、しかしどこか距離のある声音で言った。

 彼女の指先は紅茶のカップを持ちながらも微かに震えており、その目はディオンをまっすぐには見ていない。

 ディオンは腕を組んで窓の外を睨んでいた。


「……あいつは、最初から感情を持っていなかった。まるで人形のようだった。婚約を破棄されても平然として、悔しがる様子もない……あれが、本当に人間なのか?」


 そう言いながらも、ディオンの中に、かすかな不安が残っていた。

 あれほど冷たく、何の執着も示さず去っていったレイリア。

 ディオンはあの言葉を思い出した。興味なさそうにしながら冷たい瞳でこちらを見つめている彼女の姿を。


『そちらが勝手に持ち込んだ婚約でしたよね』

『――だって私、あなたの名前、?』


 その一言が、胸の奥に棘のように刺さっている。


「ミラ、レイリアが……怒りも、悲しみも見せなかったのは何故なんだ……?」


 問いかけるようにそう呟いたディオンに、ミラは何も答えなかった。

 ただ、小さく目を伏せるだけ。

 どこかぎこちない空気の中で、室内の時計が【カチリ】と音を立てた。

 それは、時間が確かに動いているという証明。だが、気づかぬうちに自分たちは取り返しのつかない時も同時に――過ぎ去っていた。


 こうして、【拳姫】とその家族は王国を離れた。


 彼らがいなくなった事で、何が失われたのか――それを、ディオンとミラが知るのはまだ少し先の話である。

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