白鳳派への帰還と最後の決戦

白鳳派の本山は、華山の頂上に位置していた。


そこから望む、江湖全体の壮大な景色は、変わることなく存在していた。しかし、その風景を見つめる凌雲の心は、もはや、かつての清廉さを失っていたのである。


凌雲が帰ってきたのは、彼が龍淵秘窟へ向かってから、半月後のことであった。


白鳳派の弟子たちは、凌雲の帰還を知ると、すぐさまそのことを掌門に報告した。しかし、その報告と同時に、彼らは、凌雲の異変にも気付いていたのである。


凌雲から放射される気が、かつての純粋な白銀色ではなく、何か黒く、邪悪なものへと変わっていたのだ。


白鳳派の弟子たちの顔には、深い懸念が浮かび始めていたのである。


白鳳派の掌門・蓮心真人は、その報告を受けると、すぐさま凌雲に会おうとした。蓮心真人は、七十を過ぎた老人であり、白鳳派の歴史の中でも、最高峰の実力を持つ武人である。その顔には、深い皺が刻まれ、その瞳には、幾十年もの修行と経験による、静謐とした光が宿っていたのだ。


凌雲は、掌門の前に跪いた。その時点では、彼は、まだ、かつての礼儀正しい弟子の姿を保っていたのである。


「掌門。お久しぶりです」


凌雲の声は、表面上は変わっていなかった。しかし、蓮心真人の武人としての感覚は、その声の奥底に、何か異常が潜んでいることを、即座に感知したのである。


蓮心真人は、凌雲を見つめた。その時、彼は、凌雲の瞳に宿っている、深い闇を見た。


かつてのような、純粋で透き通った瞳は、そこには存在していなかった。


「凌雲。お前は、どこへ行っていたのか?」


蓮心真人の質問は、表面上は穏やかであったが、その奥底には、一種の緊張が感じられたのである。


凌雲は、一瞬、沈黙した。その沈黙の間に、彼の心は、掌門にこれまでの経験を話すかどうか、葛藤していたのだ。


しかし、凌雲が口を開いた時、その言葉には、かつての凌雲とは異なる、一種の冷徹さが満ちていたのである。


「掌門。私は、龍淵秘窟へ向かいました。そこで、淵龍珠と呼ばれる秘宝を発見し、その秘宝と一体化いたしました」


蓮心真人の顔色が、その時、わずかに変わった。


「淵龍珠?お前は、その秘宝に触れたのか?」


蓮心真人の声には、深い懸念が感じられたのである。


「はい。そして、その秘宝から、淵龍真経と呼ばれる秘籍の知識を得ました。掌門。その秘籍の修行により、我はもはや、白鳳派の正統な修行の範疇にいません。我はそれを超えた、より高い境地に到達したのです」


凌雲の言葉には、一種の傲慢さが感じられた。それは、かつての謙虚な弟子のそれではなく、自分の力に酔った者特有の、その傲慢さであったのだ。


蓮心真人は、その時、一つの重大な決断をしなければならないことを理解した。


凌雲は、すでに、正統な武学の道を踏み外しているのだ。そして、その者を救うためには、相応の代償が必要になるであろう。


「凌雲。お前は、今すぐ、修行を一旦中止し、我のもとで、心の修行に専念するのだ」


蓮心真人は、そう命じた。


しかし、凌雲の反応は、掌門の期待とは異なるものであった。


凌雲は、静かに、しかし確実に首を横に振ったのである。


「掌門。申し訳ございません。しかし、私は、もはや、かつての凌雲ではありません。白鳳派の教えは、私にとって、足かせでしかなくなったのです」


凌雲は、立ち上がった。その時点では、まだ、彼と蓮心真人の関係に、武力的な対立は存在していなかった。しかし、その対立が訪れるのも、時間の問題であることは、両者とも理解していたのだ。


「私は、淵龍珠の力を使い、江湖全体を支配するつもりです。そして、新しき武林の秩序を、自分の手で作り上げるのです。掌門。お別れです」


凌雲は、白鳳派の本山を去った。


その背中には、もはや、かつての弟子のそれではなく、一人の邪悪な力に支配される者のそれが、明確に映っていたのである。


蓮心真人は、凌雲が去った後、すぐさま行動を起こした。


彼は、武林盟の最高指導者たちに、緊急の連絡を入れたのである。


「凌雲が、淵龍珠という邪悪な秘宝に支配されている。このままでは、江湖全体が大きな危険に晒されるであろう。我々は、一刻も早く、正派連合を結成し、対抗策を講じる必要がある」


蓮心真人の報告は、武林盟の最高評議会を動かした。


少林派の方丈、武当派の真人、崑崙派の長老、峨眉派の長老——江湖の最高権力者たちが、緊急の評議会を開いたのである。


その評議会では、一つの決定が下された。


凌雲を、正派連合により封印し、淵龍珠の支配から彼を救うこと。そして、淵龍珠そのものを、この世界から排除することである。


凌雲と正派連合の対決は、龍淵秘窟の周辺で繰り広げられた。


その戦いは、壮絶なものであった。


凌雲の力は、複数の大宗師級の武人たちを相手にしても、圧倒的な優位性を示していたのだ。彼の黒い気は、敵の武人たちの心を蝕み、彼らの力を奪っていったのである。


しかし、蓮心真人は、ある秘法を発動した。


それは、自らの生命力を完全に消費することで、相手を無条件に封印する、禁忌の秘法である。


蓮心真人は、その秘法により、凌雲の全身を白銀色の光で包み込んだ。凌雲の体は、その光に支配され、動くことができなくなったのだ。


「凌雲よ。許してくれ。だが、我々は、お前を救わねばならぬ。その心に宿った邪悪な力から」


蓮心真人の言葉は、深い悲しみに満ちていた。


凌雲が消滅する時、淵龍珠もまた、何らかの力により、異次元へと吸い込まれていった。それは、秘宝が、新しき時代を待つかのように、別の時間軸へと移動することになるのだ。


蓮心真人は、凌雲の封印と同時に、その生命力を失った。


彼の体は、やがて塵へと変わっていった。


白鳳派の掌門の自己犠牲により、江湖は、一つの時代の終わりを迎えたのである。


正派連合は、この勝利により、武林盟の結束を一層強固にしたのだ。


そして、その時、誰も知ることはできなかったのである。


凌雲の魂は、完全には消滅していないこと。淵龍珠も、完全には消滅していないこと。


1000年の時を経て、同じ武林世界に、二つは、新しき形で、再び現れることになるのだという、その運命のことを。

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