きみの空模様

@study-v

きみの空模様

 多目的室は二階のかど部屋にあり、窓は北側と東側に向いている。

 午後の光が直接入らないその部屋は、晴れの日でもどこか色がにぶく、曇天どんてんの日には空と溶け合ってしまう。


 その日も、にび色の空が窓一面に広がっていた。

 厚すぎず、薄すぎない雲。曖昧あいまいで先送りにしたような空だ。


「次の掲示けいじ、誰か手伝える?」


 委員長の声に、僕は顔を上げた。周りから手が上がっていき、作業が振り分けられる。


 文化委員会。月に数回、掲示物や行事ポスターを整えるだけで、単調な作業が多い、決して目立つ委員会ではないが、顔を合わせる機会はそれなりにある。


 僕――高瀬たかせ悠真ゆうまは、無言で紙を揃えながら、向かいに座る女子を時折ときおり、視界のはしで追っていた。


 篠宮しのみやみおさん。

 別のクラスで、委員会が同じ。話したことはほとんどない。委員会で顔を合わせる“知っている人”の一人。それ以上でもそれ以下でもない関係。


「高瀬くん、その端、もう少し揃えたほうがいいかも」


「あ、うん。ありがとう」


 声は柔らかいが、言い方に迷いがない。

 必要なことだけを、静かに差し出す感じがした。


 黙々と作業が始まる。

 紙の端を揃える音、ホチキスの軽い衝撃。

 窓の外では、低い雲がゆっくりと流れていた。


「……今日、くもりだね」


 無意識に口にすると、篠宮さんは少し間を置いてから頷いた。


「うん。曇天の一歩手前」


 意外な返しだった。


「一歩手前?」


「なんとなく。曇天って、もっと重たそうだから」


 そう言って、ようやくこちらを見る。

 目が合った瞬間、篠宮さんは少しだけ笑った。


「ねえ、高瀬くん」


「なに?」


「"明日天気になあれ"ってあるでしょ。あれ、なんで"晴れ"になあれって言わないのかな?」


 唐突とうとつな問いだった。

 多目的室の曖昧な光が、その問いを浮かせる。


「え?……まあ、語呂がよかったからじゃない?」


 そう答えながら、僕は自分の返事の内容が浅いことを自覚していた。


「やっぱりそう考えるよね。でもさ⋯⋯」


 篠宮さんは窓の外を見た。


「"良い天気"って、いつの間にか晴れに決められてる。でもくもりも、ちゃんと天気なのに」


「くもりは……微妙な感じがする」


「微妙、って便利な言葉だよね」


 くすっと笑う。


 手元の紙に視線を戻しながら、篠宮さんは続ける。


「私はくもりが好き。曖昧で、種類があるから」


「種類?」


「うす曇り、曇天、にび色の空。高いところにうろこ雲が出てる日もあるし、低い雲が重なってる日もある」


 彼女はまた窓に向き直し、指先で空の層をなぞるような仕草をした。


「全部"くもり"なのに、全部ちがう」


 その言葉を聞いて、僕は初めてくもり空を見ようとした。

 ただ灰色として処理していた空が、急に複雑な表情を持ち始める。


「くもりって、途中みたいじゃない?」


「途中?」


「晴れにも雨にもなれる。完成してない感じ」


 完成していない。その言葉が、妙に胸に残った。


 進路希望。将来。

 どれも決めきれず、宙に浮いている自分と、今日の空が重なる。


「晴れは強いよね。まぶしくて、影をくっきり作る。でもくもりは影が薄いから、顔が見やすいの」


 その瞬間、僕は彼女の横顔を見ていた。

 くもり空の光は確かにやさしく、表情の輪郭りんかくを溶かしている。


 委員会が終わる頃、外は霧雨きりさめに変わっていた。

 音を立てない雨。


「この雨も好き」


 篠宮さんがぽつりと言う。


「小さい音の雨は、会話も小さくなるから」


 確かに、多目的室の中がさっきより静かだった。


「篠宮さんって、天気に詳しいね」


「詳しいわけじゃない。ただ、気になるだけ」


「どうして?」


 少し考えてから、彼女は答えた。


「天気って、誰のせいにもならないから。理由を探さなくていい」


 その言葉は、僕の中で静かにしずんだ。


 ――その日から、僕は一人で空を見るようになった。


 朝、学校へ向かう途中。

 昼休み、校庭の端で。

 放課後、自転車の鍵を外すとき。


 うす曇りの日は、なんとなく安心して、どんよりした曇天の日は、篠宮さんが言っていた"重たさ"を思い出す。


 空を見上げるたび、彼女の表情が重なった。

 驚いた顔、考え込む顔、照れたように笑う顔。


 委員会で再び会った日、空はうろこ雲が広がるうす曇りだった。


「今日は、軽めのくもりだね」


 そう言うと、篠宮さんは驚いたようにこちらを見て、すぐに笑った。


「高瀬くん、空を見るようになったんだ」


「……篠宮さんのせいで」


 その一言に、彼女の表情が変わる。

 驚き、照れ、少し困ったようなくもり顔。

 そして、少し嬉しそうに笑う。

 その笑顔は、くもり空の切れ間に差す、弱い光みたいだった。


「ねえ、高瀬くん」


「なに?」


「"くもり"、悪くないでしょ」


 僕は少し考えて、頷いた。


「うん。顔が、見やすい」


 一瞬の沈黙。

 それから、篠宮さんは困ったように目を伏せ、すぐに笑った。


 うろこ雲。

 曇天。

 うす曇り。

 曇りのち晴れ。


 その表情は、ころころと変わる。

 どれも曖昧で、どれも飽きない。


 ――ああ、と思う。


 これは、僕にとっての"良い天気"だ。


 晴れよりも、ずっと。

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