見知らぬ君と食む夕餉。

数多未

第1話

午前零時。人気のない住宅街を通って、蛾の集る消えかけの街灯を尻目に見て、酔っ払いのものだろうか、吐瀉物を懸命に舐めとる猫を哀れんで、ツンと鼻を刺すような痛みに思わず夜空を仰ぐ。

漏れ出たため息はすぐに雲となって星々へと昇ってゆく。やがて視界を支配する、氷点下の世界で場違いなほど明るく輝く提灯に、安堵する。足取りは自然と軽くなり、顔は前を向き、呼吸がぐっと楽になる。

今日も『はつみ亭』の暖簾をくぐり、"先客"に会いに行く。

「お、けんちゃん!いらっしゃい」

「お久しぶりです、はつさん」

(最近はずっと会社で寝泊まりしていたから、ここに顔を出すのも久しぶりだ)

上着をいつもの位置にかけて、いつもの席に座って、いつもの先客を一瞥する。

(やっぱり、今日もいる)

それだけで少し、日常が戻ってきたようで、安心する。

「今日は何にする?」

「あ〜…ちょっと待ってください」

そう答えた時には、既に俺の視線ははつさんから逸れていた。先客の繰り広げる食事風景を鑑賞するために。

(今日は…お、親子丼か!俺の好物だ…なんか嬉しいな)

なぜ俺がこんなに熱心にただの女性客の食事姿を見ているかというと、彼女の食べ方が…あまりにも…!!美味しそうだからだ!!!今日も、スプーン一杯に盛られた小さな親子丼を大きな口で頬張れば、血色の悪い頬は少し赤みを帯び、元々切長の目をさらに細め、口いっぱいに詰め込んだ米と鶏肉と玉子をじっくり味わいながら咀嚼し、満足気に頷いて、また一口。

(美味そ〜…!!!)

「けんちゃん、また見てるね〜?」

「あっ、ちょ…ちょっと!言わないでくださいよ…!」

「だってあんまり見るもんだからさ。それにそんだけ熱烈な視線送られてたら、誰だって気づくだろうよ」

わかっている。我ながら異性の食事しているところをまじまじと見るのは本当にキモイと思う。怖がらせてしまっているなら切腹して詫びたい。だが…もはや俺はこの工程──勝手に食前飯テロと呼んでいるが──を経ないと満足に飯が食えなくなってしまった。自分だけで食べても、なんか味気ないというか…。

「はつさん、親子丼お願いします」

「あいよ!やっぱりな〜」

「う"…」

─カタン─

隣を見ると、彼女は既に箸を置いて静かに手を合わせていた。はつさんに小さく礼をした後、荷物を持って颯爽と去っていく。

(すっごい仕事できそうだな〜あの人…。でも口いっぱいのご飯をもぐもぐしてるの可愛いんだよなぁ…意外と抜けてたり?)

「けんちゃん〜。冷めないうちにちゃんと食べてくれよ?」

「あっ!!すみません…」

(なんという失態。ご飯に対する冒涜だ)

幸い、まだ湯気は立っている。ゆっくりと親子丼を口に運ぶ。これは個人的なこだわりだが、一口目は大事にしたいのだ。人間もファーストコンタクトが大切って言うし。

まずは色味を見る。玉子がツヤツヤしていて、ぷるんとした食感が容易に想像できる。玉ねぎも飴色で美味そうだ。三葉もひとつポツンと置いてあるだけで良いアクセントになっている。

次に匂いをかぐ。カツオの出汁の香りが一気に脳まで突き抜けてくる。

(あ〜〜疲労回復〜〜〜)

ほんのり香る三葉の匂いも食欲をかきたてる。

もう我慢できない。スプーンにかぶりつく。玉子のプルプルとした食感と、玉ねぎのシャクッとした歯ごたえが最高だ。黄色い布団を被っていた鶏肉が姿を表したので、すかさず一口。ぐにゅりと鶏肉を噛み締めると、出汁と肉汁が溢れ出した。米との相性が抜群だ。米の中では割と一粒一粒がしっかりしていて、すぐに飲み込んでしまわないので、最後まで鶏肉と一緒に味わうことができる。食べているのに腹が減る。手が止まらない。あっという間に丼は空になってしまった。

「ご馳走様でした」

「はい、お粗末さま」

はつさんに丼と箸を手渡し、勘定を済ませ、再び外へ出る。

相も変わらず外は凍えるような寒さで、手も耳も赤いけれど、心はさっきより暖かかい気がした。

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見知らぬ君と食む夕餉。 数多未 @Amatami-saikyo

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