キスのノルマは24回

深夜明星

キスのノルマは24回

「はい、まず一回」


​日曜日の朝、コーヒーの香りが漂うリビングで、健斗(けんと)が私の額に軽く唇を寄せた。

壁の時計は午前九時。


​「おはよう。今日のノルマはあと23回だね」

​私はトーストを齧りながら、カレンダーの隅に書かれた『ノルマ:24』という数字を眺める。


​私たちは付き合って三年の、いわゆる「安定期」という名のマンネリズムにいた。

それを打破するために私が提案したのが、この『日曜日は24回のキス』ルールだ。


​最初は情熱的だった。

ベランダで洗濯物を干しながら。

その後、録画していたバラエティを観て笑いながら。

​でも、午後を過ぎたあたりから、空気は少しずつ変わり始めた。

​「……ねぇ健斗」

「わかってる。次で4回目?」

​健斗がスマホのゲームを一時停止して、ソファの私に近づいてくる。

流れ作業のように唇が重なり、一秒で離れる。

​「……なんか、いまの雑じゃない?」

「そんなことないよ。ルール通りだろ? ほら、ゲーム戻るから」

​おやつのケーキを食べ終えて一回。

健斗が昼寝をしているのを無理やり起こして一回。

夕飯の献立を考えている時に、健斗が背後からやってきて「はい、本日7回目」と私の頬にチュッとして去っていく。


​「……ねぇ」

夕食のパスタを啜りながら、私はついに口を開いた。

​「なに?」

「……なんか、一日中そればっか待ってる気分なんだけど」

​健斗はフォークを止めて、深いため息をついた。

「正直に言っていいか。……俺もさっきからあと何回でこの義務から解放されるか、そればっかり考えてる」

​「私も……」

私はフォークを置いた。


「最初はキュンとしたかっただけなのに。

今は『あ、あと何回だっけ?』って、仕事の納期前みたいなプレッシャーを感じてる」

​私たちは顔を見合わせた。


目の前の大好きな人は、さっきから「愛着のある恋人」ではなく、「定期的に唇を寄せてくる鳩時計」みたいに見えていた。


​「24回って決めちゃうとさ、キスが『目的』じゃなくて『処理』になっちゃうんだね」

​健斗が苦笑いして、私の横に座り直した。

「そもそも、キスって『したくなった時』にするもんだろ。回数を強制されると、脳が『はいはい、タスク完了』って冷めていくのがわかるんだ」

​「ロマンチックの欠片もないね。……やっぱ中止しよっか、このルール」

​「賛成」

​そう言った瞬間、部屋の空気がふっと軽くなった。

カウントとプレッシャーのない、ただの静かな日曜日の夜が戻ってきた。


​「……あー、せいせいした」

健斗がソファに深く背中を預け、リラックスした顔でテレビを眺める。


​すると、不思議なことが起きた。

義務がなくなった途端、隣にいる健斗の体温が急に愛おしく感じられたのだ。


​私は自分から、健斗の肩に頭を乗せた。

健斗も自然な動作で、私の肩を抱き寄せる。

​「……次、何回目?」

健斗が低い声で聞いた。

​「……もう、関係ないでしょ」

​「そうだな」

​そう言って、健斗がゆっくりと私の顔を覗き込んだ。


カウントされないキス。


ただ、お互いの瞳の中に「今、したい」という柔らかな熱が見えた。

​重なった唇は、さっきまでの作業的なものとは比べ物にならないくらい温かくて、少しだけ長かった。


​「……なんか解放感あるな」

離れたあと、健斗がいたずらっぽく笑う。

​「だね。一回の『本物』があれば充分ってこと」

​私たちは笑い合って、残りのパスタを食べ始めた。


結局、その夜のキスはそれが最後になったけれど、私たちの心は間違いなく、義務を果たしていた時よりもずっと深く満たされていた。


​おしまい。

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キスのノルマは24回 深夜明星 @midnightpink

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