番外編「社長の休日と秘書の憂鬱」
「あー、極楽、極楽……」
湯気が立ち込める露天風呂。
レオンは頭に手ぬぐいを乗せ、だらしない顔で空を仰いでいた。
激務が続いたご褒美として、二人は社員旅行と称して箱根の温泉旅館に来ていた。もちろん、福利厚生の一環である。
「日本の温泉文化、これこそが至高の魔法だな。全回復ポーションより効く」
レオンがつぶやくと、隣の男湯にいた一般客のおじいさんが「んだんだ」と相槌を打った。
レオンの正体を知る由もないおじいさんと、腰痛談義で盛り上がる。平和だ。
一方、女湯の舞は、ため息をついていた。
「はぁ……リラックスできない……」
彼女の悩みは、レオンとの距離感だった。
ビジネスパートナーとしては最高の関係だ。信頼し合っているし、息もぴったりだ。
でも、それ以上となると……。
「鈍感なんだよなぁ、あの人」
舞はお湯をパシャリと叩いた。
命を救われ、共に修羅場をくぐり抜け、毎日顔を合わせている。意識しない方が無理だ。
でもレオンにとって、自分は「有能な相棒」止まりなのではないか。異世界の王女様とか、美人のエルフとかと浮名を流していたのではないか。そんなネガティブな妄想が膨らむ。
風呂上がり。
浴衣姿の二人は、宴会場で向かい合って座っていた。
豪華な懐石料理が並ぶ。
「舞、この刺身すごいぞ! 口の中で溶けた!」
レオンは子供のようにはしゃいでいる。
舞はお酌をしながら、意を決して聞いてみた。
「あの、レオンさん。異世界では、その……恋人とか、いなかったんですか?」
「ん? 恋人?」
レオンは箸を止め、きょとんとした。
「いるわけないだろ。毎日魔物と殺し合いだぞ? 寝る暇もなかったし、王女様からは『魔王を倒すまで交際禁止』って契約魔法をかけられてたしな」
「えっ、ブラック企業……」
「だろ? だから俺は決めてたんだ。平和な世界で、一緒に美味い飯を食って、笑い合える相手を見つけるってな」
レオンはそこで言葉を切り、じっと舞を見た。
その瞳に、熱い色が宿る。
「……で、見つかった気がするんだが」
「え……」
舞の心臓が跳ね上がった。顔が熱い。酔いのせいだけではない。
「一緒に飯食って、仕事して。……お前といると、飽きないんだよな」
レオンは照れくさそうに視線を逸らし、ビールを一気に煽った。
「ま、これからも頼むぜ、相棒」
「……はい!」
舞は満面の笑みで答えた。
明確な告白ではなかったかもしれない。でも、今はこれで十分だ。
この心地よい関係を、少しずつ、大切に育てていけばいい。
二人の夜は、美味しい料理と、少し甘酸っぱい空気と共に更けていった。
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